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日記を読み返す

先日のインタビューセッションから、「書く」「読む」について再燃している自分を感じている。インタビューで「日記を読み返している」ことを話したら、過去の日記を読みたくなって、すぐ出せるところにある2014~15年の日記を夜中にひとり、読み返した。

この頃は毎年、12月を待たず翌年のリフィルを買うのが習慣だった。仕事用の手帳とは分けていたので、日記用は一番小さなシステム手帳。見開き2週間のものなので、一日の欄は小さく、細かい字6~8行くらいで日々が綴られている。2015年のダイアリーなのだが、あえて前年使っていた10月6日からのリフィルを差し込んで残している。メモ書きで「あまりに愛おしくて大切で、そして明らかにエポックな期間だったので10/13からの記録」と書いている。ちょうど転職し、東京から大阪へ引っ越し、なにもかもをリセットするような期間だったのだ。

2014年10/13から始まって、2015年10/12まで書かれているこの日記は、過去の日記の中でも読み応えがある。インタビューの中でも話したのだが、「この年は捨てられない」と思う年の日記は残してあり、中でもこの期間の日記は何度読んでも没頭してしまう。

過去の日記の中でも読み返したくなるのは、「本気度」が高い時期だ。本気、といえば、この頃は恋愛か仕事。2014~15年はこのふたつの要素が重なっていて、更にそこに酒が加わって、素晴らしくもがき苦しみ、決断しては進む…そんなわたし自身が展開されている。何度読んでも傑作だ。ただし、自分以外の誰にも共有できない作品。わたしだけが繰り返し味わえる文章なのです。

日記には、共に働いたメンバーや酒場で出会った人たち、新しく出会った人・もう会わない人・これからも関わる人…人の名前も頻繁に出てくる。本気で人生を進めている自分を愛おしく思うと共に、日記に登場する人たち(中にはネガティブな思い出として書かれている人も少なからずいるのだけれど)が元気でいることを思わず願ってしまうし、ジタバタと、しかも酒臭く過ごしていたわたしと関わってくれたことへ感謝を伝えたい。

またこんな必死なときを生きることもあるのかなぁ。きっとあるのでしょう。そのときは日記を書こう、と思う。

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