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頑張った金曜日の外ごはん︰おっちゃんとわたし

金曜日、朝から新入社員研修を担当する。久しぶりのオフラインのワークショップは気楽なようで、それはそれでエネルギーを使う。

帰りそのままいつもの店へ!水木金、と、よく頑張った。京橋の店はもう満席だ。8タングラスの白ワインをお供に、存分に自分を労おう。よーし今日は串カツからスタートだ(ひと皿3串200円)。

飲み始めて、あ、いかんと気付く。隣に座っているおっちゃんからムンムンした気配を感じる。今日は弱ってるからうまく対処できる気がしない。と思っている間に、声をかけられた。

これまでもこの店で(あまりおんなひとりで来るひとがいないタイプの店であることもあり)幾度となく声かけられてきた。1杯おごってもらったり、おっちゃんの注文したアテを譲ってもらうとかもあった。下心というほどのものではない、彼らの「女の子(女の子って図々しいが)に何かしてあげたい」という欲求の美しさよ。酒やアテでなく、何かについて教えてやろうと言葉・経験談・人生の教訓を共有してもらえることも多々ある。たいていは快く申し出を受け容れ、スマイル+気持ちよく受容(いい反応に加えていい飲みっぷり食べっぷり)で応えることができる。

おんなひとりの酒場での在り方は、一歩間違うといやらしくなったり勘違いさせたりしてしまうから難しい。こっちはこっちで、せっかくのひとり晩酌タイムを過ごしているわけでもあり、互いに「隣席のご縁でしたね」と軽やかにすがすがしく“袖振り合う”には、振る舞いや何をどういう表現で伝えるかにちょっとした匙加減が必要と思っている。

本当におこがましいが、ここでの主導権はこちらにある。うまくやればおっちゃんもわたしも、ほのかにあたたかく、でも施されたとか騙されたとか思わずに、どこか甘やかに満たされて、別れることができる。逆に、気が大きくなったおっちゃんに適切でないもの(量・質)を奢ってもらうようなことになったり(それはわたし自身も落ち着かないし、おっちゃん自身に「あっまずかった」と後悔させることになったりする)、違う方向へ展開(「別で美味しい店知っとんやけど」など誘う言葉を引き出してしまうなど)させてしまったりしたら、“負け“だ。要はおっちゃんの好意や善意をちゃんと受け取りつつ、きよらかさを保ち、不要な期待を起こさせない。これは、わたしが経験と学びで獲得してきたカウンターでの奥義かもしれない。

その奥義が、心身弱っていたために発動させられなかったのです。まさかの「箸をつけた焼き魚(太刀魚)…に添えてある大根おろし」を勧められた。まじか。その上、おっちゃんの延々続くひとり語りにロックオンされてしまう。こうなると、飲めるが食べられない。これはわたしだけのパターンなのかもしれないが、「聴き手」という立ち位置に入り込んでしまうと食べ物を選ぶ・注文する・味わう…に抵抗感が湧いてきて(なんか相手に失礼と思ってしまうのか、面倒くさくなるのか、ともかくそちらにエネルギーを割けなくなり)酒場で食べるための一連の動作ができなくなる(酒は空いたら注文できるのですが)。その結果おかしな酔い方をしてしまう。

今日はおとなしく焼き鳥でも持ち帰りにして、家で晩酌にすべきだったのかもしれない。いやでも外で乾杯したかったしな…どうすれば良かったのか分からない。とにかくおっちゃんからのエネルギーにこてんぱんにやられて、フラフラで帰路についたのでした。「こっち側は食べてるけどな、この辺は大丈夫やからな、大根おろしやったら白ワインに合わんでもないんちゃうか」って何が大丈夫なん。あーでも白ワインと合うものを食べさせたろうと思ってくれたおっちゃんの不器用な善意よ!おっちゃんは怒るだろうが、かわいいなと思ってしまう。しかし大根おろしを奢られそうになったのは初めてでした。食べへんかったけど。

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