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カウンター佳話 なおきとレイ

たまに行く京橋の居酒屋でよく会う女の子がいる。
「レイ」と店主から呼ばれているその子は、いつもひとりカウンターで日本酒を飲んでいる。

初めて隣に座ったときは、飲むスピードがあまりに速いのでぎょっとした。
誰と話すわけでもなく、しかし店の人とは親しいようで、声をかけられたらニコニコと返している。そう、いつもニコニコしてるんだよな。女の子の笑顔はいい。機嫌よく、笑顔でいるってほんと大事だと思う、世の女性みんなにそう言いたい。

まぁそれはいいとして、気付くと、レイちゃんに声をかけてしまっていた。
あまりにスイスイ日本酒を空けるので、止めたくなったのかもしれない。「日本酒、好きなんですね」と言葉に出ていた。大衆居酒屋の、冴えない顔したおやじ達が並ぶカウンターに、にこやかに静かに座っている長い髪の女の子。みずみずしい果実があるようだ。
下心とかじゃなくて、誰だって興味を持つし、声をかけてしまうんじゃないかな。自分がそうするとは思わなかったけど。

実際、はじめは思っただけで声には出てないと思ってた。
「日本酒好きなんだな」と何度か思ったから。それだけだと思った。
でもレイちゃんが、こちらを向いて「うーん…そう、そうですね」と返ってきたので、声に出てたんだと分かった。
「まだ寒いから…熱燗が美味しくって」
…なんだろう、レイちゃんも誰かと話したいと思っていたのかな。
自分は2杯めのビールを飲んでいるところだが、次は熱燗を頼もうと思う。
「よくいらしてますよね」
「そう。週に5日は来てます…ほとんど家みたい」
ふふふと笑っている。
すごく顔立ちが整っている、とか美人とか、そういうんじゃないけど、なんだか光って見えるようだ。
しかし週5か。ほとんどカウンターのおやじ達と一緒じゃないか。なんだろう、女の子に見えるけど、本当は違うのかな。

「よくいらっしゃるんですか?」
おぉ、話しかけられた。
「そうですね、月1回くらいかな…」と答える。
嘘、嘘。来ててもせいぜい3ヶ月に1度だろ。ここは気安い店で、実際に酒も料理も安いし放っといてくれるからいい店だけど、家が遠いんだ。でもこれからは月に1回くらいは来ようと思う。

それからいろいろ話した気がするけど、あまり覚えてない。日本酒を頼んでしまったからだ。
普段飲まない日本酒を飲んで、記憶がなくなって、気付いたら家だった。
ズキズキする頭以上に、何かおかしなことを言わなかっただろうかという不安がすごい。
…こういう時、間を開けるとますます足が遠のくし、会いにくくなるんだよな。近いうちにまた行こう、と思う。

水曜の夜、早く仕事が終わったので京橋の店に行くことにした。
駅のトイレでワイシャツがヨレていないか確認する。
店に向かいながら、なんだか初めてデートするときみたいな気持ちだと我ながらおかしくなる。待ち合わせもしてないのに。

果たして、店に行くと、いた。
しかも隣の席が空いてるじゃないか。隣に座りたい。でも前回の記憶がないから不安だ。どうしよう。
迷っていると、紫のメッシュを入れたおばちゃん(店員)が、「あんたこないだもレイちゃんと喋ってたね」と言って隣の席に促してくれた。
グッジョブ!いつもしゃがれた声で不愛想なおばちゃんだと思っていたけど、ハスキーボイスが彼女の魅力なんだと思う。

「あ、こんばんは!なおきさんでしたよね」
なんてことだ、名前も言ってたのか、俺。なんでもない顔でこんばんは、と返しながらドキドキしているのを感じる。
他になにか余計なことを言わなかったか?
あ、でも、すっごい親しげだな。
いつも以上ににこやかじゃないか、なんか感じよくないか?
みっともなく酔っ払ったやつだと心の中では嗤ってるんだろうか、いやいやレイちゃんはきっとそんな子じゃない。

あぁ、感情が入り混じる。血がかけ巡るような感覚。ビールを頼みながら、日本酒を頼むんだったと考えている。冷静なのか冷静じゃないのか、なんなんだこの状態は。

レイちゃんは静かに、水のように熱燗を飲んでいる。
今夜のカウンターは、特別明るい。


ライティングマラソン(23年8月)で、『INNOCENCE(きよらかさ)』(30分)のテーマで書いた文章をベースにしています。
※ライティングマラソンについては、大前みどりさんのページで詳しく紹介されています。

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