ガチ から ゴス へ①様式美について

キャプチャ



勤務先、昼食後、休み時間の残りで、Facebook投稿をダラダラながめていた。すると、心に強烈な印象を残す動画に出くわす。

1990年代のアメリカのプロレスである。ジ・アンダーテイカーというレスラーの登場場面なのだが、リング上の出来事はどうでもよい。

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顔色が悪いチャップリン風な人物が、謎の金属製のツボを大事そうに抱え、血の気のない巨人を従えて、入場している。

何かと何かがシンクロしたのだ。

なぜにこの動画に出くわしたのか。

Facebookでは友達の投稿だけを見るのではなく、いろんなグループの投稿をフォローしている。そのなかに格闘技のグループもあり、電車の中、飲み屋のカウンターで、視聴することがある。

リアルな総合格闘技、MMA、K1、ムエタイのグループもフォローしている。

そこに、フェイクなアメリカン・エンターテインメント・プロレスリングが混入してきた。

そして、不覚にも衝撃を受けた。

このネガティヴなチャップリンな人物は奇怪であるが、説得力がある。何の説得力なのかはわからないが、ある種のフォーマットに溶け込んでいるから説得力があり、納得がいくのではないでしょうか。

悪役レスラーのマネージャーというフォーマットに適合しているのだが、それ以上の何かがある。かつて、こんな感じのマネージャーがいたが、スーパー戦隊モノの悪役どまりの印象で、ああそうですか、ぐらいのもので、何も爪痕を残さない。


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ジ・アンダーテイカーのマネージャーは、顔色が悪くて、オドオドしているのに、凄味は上だ。

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この人物(キャラクター)の名前は、Paul Bearerだそうだ。

それはどうでもよい。3枚のPaul Bearer氏の写真を張り付けているが、1枚目がすべて。2枚目、3枚目の画像、動画には、何も感じない。

これから、「様式」によって発動する「凄味」について考えていきたい。


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