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「女子力」に含まれた意味とは

近頃、よく耳にする「女子力」であるが、どうも腑に落ちない。
まず、やたらとその言葉を使いたがる女性に「女子力」は無いかと思う。
男の私から見て「女子力」とは「人間力」とは異なった何か。
つまり、女性が女性たらしめる何か、では無く、女子が女子である為の主義主張であり、つまりは自己満足の塊のようなものであり、自己中心的な考えに基づいた大した事の無い「力」なのである。

立派な自立した女性にはそういった高慢な「女子力」を敢えて「力」とは言わない自然体としての「礼儀」が備わっているのである。
そういった姿に世の男性は惹かれるのであるが、憎たらしい女子が主張したがるそれは男性の目からすれば至極当然の行いであり、そもそも「女子力」とは女子の間でしか成立していない「私は女の子」という馴れ合いの果てに生まれ落ちた路傍の石なのである。
そして、それは男性に持て囃されたいという悪辣な精神の元に形成されているのではないか。
気の利くことをすれば、それがその人に備わった「力」である事は確かだが、何も女性に固執したものではない。
それをわざわざ顕在化するところに浅はかさが生じるのである。
言わば、自然なものを人工化したと言ってもいい。

「女子力が高い」とは己に無いものを持っている事に対しての嫉妬と憧れの混在した主張であり、そこに人間性は感じられない。

では、どうすれば良いか。
礼儀礼節を「力」というものに押し込め誇示する事を辞め、厚顔無恥な姿に目を背けずに理解し受け入れる事だ。
だが、それが出来ない。
ならどうするか。
答えは一つ。
馬鹿な男を騙す他ない。
「女子力」とは元来備わっていない礼儀礼節の濫用であるから真意でない為、いつ何時使おうが、正常であろうが、騙す事になる。
「女子力」ではなく「人間力」を高める為には、まず初めに己を捨てなければならない。
相手を優先に、と意識するほど狡猾な「女子力」は無いが、「人間力」が成せるそれは意識の外にある。
己の利害の範疇を超えたその先に「人間力」が発揮される。
この境地に至った女性は何とも言えない輝きに覆われている。
直視すれば蒸発する程に熱くなる。
が、同年代でそのオーラを纏った女性は未だかつて見た事が無い。
絶滅危惧種に認定されてもおかしく無い。
それ程、この世界は「女子力」の横行により捻じ曲がっている。
「女子力」は人間を荒廃させる。
覚えておいて欲しい。
特に、名も無き「女子力」が高い女性には。

2015/10/08 かなり捻じ曲がった過去の戯言

#日記 #女子力 #人間力 #戯言 #散文 #過去


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