名前は代筆してあります

一定より幼い学年の絵には達筆な名前が記されている(親が書くので)

「考え」より

 この時期なので商業施設には書き初めが展示してある。地域の子どもたちが書いたものだ。きっと僕が地域の子どもたちのひとりであった時もここに飾られたのだろう。

 だいたいの書き初めはアグレッシブでダイナミックでロマンティックギガンティックである。たまにとても上手なものが紛れているので感心する。子どもの身で墨汁で遊ばずにいられる精神力、大成するよ。それは間違いない。

 ロマンティックギガンティックなのは書き初め本体だけではない。添えられた名前と学年もおおよそそうである。細筆で書かれたとは思えないビッグネームが空間を圧迫する。先々を考えて余白を作るなんて大人でも難しいからね。

 しかし、それも上手いこと収めてくる子どもがおり、これには感服つかまつりまくりであるね。僕より空間が把握できている。数学とかやらせてみようよ。図形問題瞬殺かもよ。

 そんな風に年中子どもたちの作品が飾られているので、絵やら習字やら尽きることなく展示されるのだが、中には子どものやることですからと見逃せないものがひとつ、ふたつ。

 立派な絵。ダイナミックな抽象画だなあ。何っ、これは自画像なのか。ダイナミックな自己認識だなあ。しかしお名前は非常に達筆だ。きちんと学年まで書いてある。絵のタッチにそぐわない丁寧さだ。これはどういうことだろう......という感じ。

 察するに、名前は親が代筆しているんだろうな。あるいは先生か。先生のほうがありえるか。わざわざ親元に持って帰ってまで名前書かんだろうし。そこまでして親の署名が欲しいのか。未成年なら欲しいか。

 大人のサポートが入ることでチグハグな作品が出来上がる。成長すると自分で名前を書いてしまうから、本当に小さい頃にしか見ることのできない貴重な作品である。大切にしてくれ。うちはかなり昔の作品まで取っててくれたよ。ありがとね。

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