ひがしやしき『きょうはかえりますね』が好き

まえがき

 音楽を聴くのは大抵、移動中や作業中の「ながら」だ。音楽そのものに心を向け、聴くだけをすることはあまりない。好きなアーティストや音楽ジャンルを聞かれても明瞭には答えられない。

 でも、音楽のことをなんとなく好きだと思っているし、音楽にも好かれたいと思っているので、時々自分の好きな楽曲について書こうと思う。

 言い訳というか、予防線だけど、僕は音楽に関する知識がほんとうにないので、勘と偏見で「これ好き!」と言うから、あまり気にしないでね。

ひがしやしき『きょうはかえりますね』

 ひがしやしきさん。最近知って、ちょっとずつ曲を聴いている。二人で活動してらっしゃるのかな。最初そういう名前の一個人だと思ってた。

 曲をいくつか聴いた印象として、理想と現実の狭間で反復横跳びするオタクが立ち現れる。僕はこんなナリをしておきながらアニメやマンガへの意欲が薄いので詳しくは知らないが、楽曲内外で登場する作品群はまさしくオタク的アイコンだろう。

 そんなオタク的要素とともに、現実と向き合ったり逃げ惑ったりする人間的葛藤が刻まれている。理想の二次元美少女に憧れていながら、しかし現実から逃れることができないことを自覚しており、それでもなお理想を忘れられない、人間の柔らかいところが表出するような気分だ。

 その中でも、上に貼った『きょうはかえりますね』という曲が特に印象に残った。もちろん他にも好きな曲はたくさんある(『君が永遠でとても嬉しかった』とか『もと内田いま藤田』とか)ので、それはまた今度記事を書くと思う。

 いわゆるサビの歌詞がとても印象に残っている。歌詞ってこういうところに丸々載せると怒られそうな気がするので各自聴いてほしい。

 聴いたか?

 聴いたね?

「世界が意外と優しくて」

 サビの歌詞から僕が読み取ったのは、世界との線引きである。ほんとうの自分というものがあり、そしてそれは世界との間に線を引いている。その線は確かに自分と世界とを隔てており、おそらくずっとそのままである、というような。

 僕の経験上、このような線を引く人は大抵、世界との「対立」を意識し始める。自分と世界は相容れず、宿命づけられた相手として「敵対」にまで意識が及ぶこともある。そしてそれを僕はあんまり好まない。僕自身もそうであるから、僕は僕のそういうところもあんまり好まない。

 だが、ここで歌われたのは対立ではなかった。「世界が意外と優しくて」「みんなが意外と優しくて」、そう言って自分は一歩下がり、世界と距離を取る。

 線で分断された相手にファンティングポーズを取るのではなく、その優しさを認め、自分のどうしようもなさを認め、しかしそのどうしようもないのは間違いなく自分であるので、しゃあなし大切に抱えて世界にサヨナラする。

 行きつけの定食屋のおばちゃんに「いつも来てくれてありがとう」と言われたので、もうあそこには行けないなと思った。そのような書き込みはインターネットに溢れている。ここには各々異なった含意があるだろう。認知されるのが嫌だ、そんなつもりじゃなかったから、必要以上に他人と関わりたくなくて、といった感じ。

 その中には、僕がこの歌詞から読み取ったような、世界の優しさに相対したときの自分のどうしようもなさを自覚してしまったから、という人もいるのではないだろうか。いてくれ。

 アンテナが過敏なのか、自意識が過剰なのか、原因はよくわからないけど、優しさに素直であれない、優しさを重圧に変換してしまう困ったコンバーターを搭載したあなたに聴いてほしい曲だと思う。

あとがき

 文字ばかり読んでいるせいか、どうしても歌詞に印象が偏重してしまう。メロディに込められた想いにも目を向けられるようになりたいね。あと言ってることかなり適当だから、これを読んで正解だなんて思わないでね。どこにもないよ正解って。お前の後ろぐらい無い。あなたの片隅ぐらい無い。

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