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時代に翻弄されたカール・ツァイス

ドイツのツァイス(カールツァイス)は、精密光学のパイオニアとして、170年以上にわたって光学技術の分野をリードするレンズメーカーです。メガネ、顕微鏡、医療機器、そしてプラネタリウムなと高精度なレンズを世界に提供しています。

創業は1846年。ロベルト・コッホが1876年に、カール・ツァイス製の顕微鏡を使って炭疽菌を発見したことで知られていますが、それ以外にも多くのノーベル賞受賞者たちが同社の光学機器を活用してきました。

日本では、東郷平八郎が発売されて間もないカール・ツァイスの双眼鏡を愛用し、戦艦三笠の艦上で敵の沈没状況や降伏信号の確認等に使用したと言われています。

しかし第二次世界大戦の敗戦直後、ドイツは東西に分断、ツァイスは両陣営の思惑に翻弄されることになりました。当時、カールツイスはドイツ東部のイエーナにあったのですが、同社の技術がソ連にわたることを嫌ったアメリカが光学技術者125名とその家族を拉致、8万枚の図面とともに、ドイツ西部のオーバーコッヘンに移動させ、光学機器の生産を続けさせました。

ソ連もまた、イエーナの工場群を接収しイェーナに半官半民の「人民公社カール・ツァイス・イェーナ」を設立、このカール・ツァイスもまた東ドイツの光学機器メーカーとして成功します。

東西に分かれても出自は同じ。両メーカーともに、世界の一流メーカーとして有名になりました。ウィキによりますと、そこで両社間の合意がなされ、次のように取り決めたとあります。

(1) 西側では西ドイツ側が「カール・ツァイス」を、東ドイツは「カール・ツァイス・イエナ」と名乗る。
(2) 東側では東ドイツ側が「カール・ツァイス」を、西ドイツは「カール・ツァイス・オプトン」と名乗る。
(3) アフリカ、アジア、中南米地域では両社ともに「カール・ツァイス」を使用する。
(4) ただし英国と日本のみは双方が「ツァイス」を使用してもよい。

1989年、東西ドイツは再統合に向かいます。当時、東ドイツの経済は低迷しており、イエーナにあった東側のツァイスもまた経営が悪化。その結果として西側オーバーコッヘンのツァイスが吸収する形となりました。

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カール・フリードリヒ・ツァイス(1816年~1888年)が、イエーナに小さな工房を開いた1846年。道具がほとんどない環境で顕微鏡レンズを創り出したのが出発点です。

彼が亡くなった翌年の1889年、かねてから工場の近代化を主張していた共同経営者エルンスト・アッベにより、カール・ツァイス財団が設立され、東西両陣営が取り合うほどの技術力を誇る存在に成長しました。

それが創業者の意志だったのかどうかは、わかりません。