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祇園祭男の「元銀行マン」からみたコロナ禍での祇園祭【前編】

こんにちは、彌榮自動車note編集部です。
そして今年春の記事から再びのご無沙汰でございます...(;´・ω・)

少しづつ日常を取り戻すべく試行錯誤している京都の街。
そのなかで「京都の夏」といえば、やはり「京都三大祭」そして「日本三大祭」のひとつでもある「祇園祭」ではないでしょうか。

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【写真】2021年の祇園祭、手前から長刀鉾、函谷鉾、月鉾

みなさまもご存じの通り、コロナ禍によって2020年から「人が集まることが予想される神事」については、その多くが規模縮小または中止となっていました。しかしあくまで祇園祭は地域の大切な祭礼として厳かに行われ、2022年はついに「山鉾巡行」を含む形での催行が決定しました。

実はこの記事に手を付けたのは2020年の夏のこと。
まさしくnote編集部が立ち上がった中での困難...それを京都の会社である彌榮自動車はどう伝えられるだろうか...

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上の写真の左ガラスばりの建物、ヤサカ四条烏丸ビルは、下京区四条烏丸西入の函谷鉾(かんこぼこ)町に所在しています。そのご縁で彌榮自動車は、祇園祭の鉾町に所在する町衆企業として函谷鉾保存会の一員となっています。そんな私たちだからこそできることは何か....。note編集部はとても悩みました。

そして議論の末、出た結論が、「鉾町から見た祇園祭、そしてコロナ禍における祇園祭に対する素直な想いをnoteでみなさんに伝えよう!」ということでした。

そこで早速、(公財)函谷鉾(かんこぼこ)保存会にお伺いしてお話をお聞かせいただくことになりました。

※この記事は2020年7月13日に(公財)函谷鉾保存会に伺った際の様子を記事としたものです。

そこでお話をお伺いしたのが、専務理事(当時:現在は副理事長)の櫻井忠弘さま(当時84/現在86)。

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【写真】櫻井忠弘専務理事(2022年春に撮影)

「『祇園祭男』との異名を持つ銀行マン」と言われながら、函谷鉾に携わることなんと49年! 今回はご縁を頂戴して、函谷鉾を50年近く見つめてきた櫻井さまからみた「祇園祭」と「コロナ禍における祇園祭」についてお伺いさせていただきます。

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【写真】お話を伺った函谷鉾保存会の会所(2021年 祇園祭時に撮影)

― それでは、櫻井さま。これまでの祇園祭のかかわりについて教えていただけますでしょうか。

わしの生まれは昭和10年(1935年)10月22日。知ってはる方もいてるやろけど、10月22日は時代祭の日。今思うとほんま「お祭り男」ですねん(笑)、せやけど自分がこないどっぷりと祇園祭に関わるとは思ってへんかったけどな(笑)

京都で生まれ、高校時代出おうたのが「狂言」(なんとお師匠は「五世 茂山千作」さんとのこと!)。で、その面白さに魅了され、同志社大学在学時は「狂言部」を立ち上げてん。

大学出て京都中央信用金庫(以下略:中信)に就職したんやけどな、当時中信本店は「丸物前(注:まるぶつひゃっかてん、近鉄百貨店京都店の前身、今のヨドバシカメラマルチメディア京都)」にあったんやけど、昭和47年に現在の四条烏丸西入ルに移転することが決まってな、当時総務課長やったからわしに「鉾町に関わるように」と言われたわけや。翌年に新本店ができたんやけど、当時この辺で結構高い建物でな。産業会館(注:旧京都産業会館、現在の京都経済センター)もあれへんくて、広い空き地で時折サーカスしてたくらいやで。そして、何がいちばん嬉しゅうたって、(銀行として)ライバルだった三和銀行より建物が高かったことやわな(笑)。

そこから中信勤めながら、狂言で各地を飛び回って、函谷鉾やろ。まぁ、せわしくてせわしくてな。せやけどむっちゃ充実してたな。

ー狂言をされてたとのことですが、どんなことが印象に残ってますか?

まぁ、いろんなことがあるけどな。さっき言ってた新本店の竣工式で「総務課長やから」という理由で司会を任されたんや。宝ヶ池の会議場(注:国立京都国際会館)でしたんやけどな、狂言してたおかげでむっちゃ(場内に)通る声が出せるようになってん、でその声で偉いさんみんなが(一同礼などの動作で)動かはるわけや。そらまぁ、狂言してたからそんな声も出せるようになったんやし、気持ちよかったわな(笑)。今でもこの建物(保存会の入る函谷鉾ビル)の端から端まで(南北約25メートル)、声通る自信あるで。

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【写真】函谷鉾 鉾立ての様子(2021年 祇園祭時に撮影)

でな、さっき言うたこの建物(函谷鉾ビル)やけど25メーターあんねん。これは昭和49年(1974年)に建てたんやけど、全てを鉾に合わせて作ってあんねんな、車輪とか動力に関するものは1階、それ以外のものは2階な。あ、一応言うとくけど1階は古いしきたりで女人禁制やし女性は入られねん。それからな、この建物にはもひとつ特徴があってな、屋上に「函谷鉾の鉾」をモチーフにしたオブジェがあるんや(編集部一同驚き)。この新聞記事見てもらったらわかるやろ、まぁ、いっぺん機会があったら見てみなはれ。

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【写真】函谷鉾ビル竣工と櫻井さまを取り上げた当時の新聞記事

桜井さまのお話は非常にテンポが良く、本題に入る前にたくさんのお話を聞かせていただきました。後半では「祇園祭男」桜井さまからみた祇園祭について、そして「コロナ禍における祇園祭」についてお話を伺います。どうぞ後半をお楽しみにお待ちください。

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