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お前その頭で修学旅行に行くのか? (皐月物語 72)

 帰りの会が終わり、児童たちが楽しそうに教室を出て家に帰り始める。そんな中、修学旅行実行委員の藤城皐月ふじしろさつき筒井美耶つついみやは理科室へ向かった。今日は第1回目の修学旅行実行委員会がある。
 委員会は3棟ある校舎の真ん中の中校舎の2階の理科室で行われる。中校舎には職員室や備品室があり、理科室は教師にとっては使い勝手がよい。6年生の教室は同じ校舎の3階なので、6年生の児童にとっても理科室へは移動が楽だ。
「ねえ藤城君、修学旅行実行委員って他の委員会よりもプレッシャーがあるよね。そう思わない?」
「ああ、そうかもね。思ったよりも責任が重そうだよな。それにやることが多くて面倒くさそう」
「あ~あ、なんか緊張してきちゃった」
「大丈夫だって。俺がいるじゃん」
 皐月も美耶も今まで責任の重い委員を経験したことがなかった。今までに一度でも学級委員をやっておけば、実行委員なんかにプレッシャーなんか感じかったのかもしれない。実行委員は毎日のように委員会があり、クラスでその報告をしなければならない。美耶は人の矢面やおもてに立つようなタイプではないので、質疑応答は物怖じをしない皐月がするつもりでいる。
 6年1組側の階段を下りるとすぐに理科室がある。戸が開いているのでもう誰かが来ているのだろう。皐月は他のクラスの実行委員が誰なのか気になってきた。
 理科室に入ると一組の男女がすでに来ていた。そこには昼休みに見た顔があった。
「あれっ? お前、実行委員だったの?」
「藤城君! そっか……実行委員だったんだ。だから図書室で京都の本なんか見てたんだ」
 6年1組の修学旅行実行委員は児童会長の江嶋華鈴えじまかりんと、顔は知っているが話したことのない黄木昭弘おおぎあきひろという男子だ。
「会長なのに修学旅行の実行委員までやるんだ。大変じゃない?」
「まあね……。でも修学旅行の期間中は児童会の仕事、全部副会長に丸投げしちゃうからいいや」
「やるな、江嶋」
「藤城君、よく実行委員なんてやろうと思ったね。こういう面倒なこと好きじゃないでしょ。もしかして押し付けられた?」
 最初は学級委員の月花博紀げっかひろきが実行委員をやると言っていたが、彼の個人的な理由を聞かされた皐月が代わりに引き受けた。学級委員に推薦されたという形になっているが、体よく押し付けられたと言えなくもない。
「まあそんなとこかな……よくわかったな?」
「そりゃわかるよ。藤城君って断るの苦手だもんね。要領悪いし」
「じゃあ要領のいいお前がなんで実行委員なんてやろうと思ったんだよ?」
「だって卒業アルバムに写真が載るでしょ。やらない手はないよね」
「えっ! お前、そんなこと考えてんの? じゃあ児童会長もそんな理由でなったのか?」
「そうだよ」
「……バカじゃねえの、お前」
 苦笑した皐月の言葉に笑顔で応える江嶋華鈴。皐月には華鈴の本心がわからなかったが、「そうだよ」を言葉通り受け取る気にはなれなかった。5年生の時の華鈴はそんなに目立ちたがり屋ではなかったからだ。
 2組と3組ののクラスの実行委員が理科室に入って来て、4組までの総勢8人が集まった。真面目そうな児童が集まったという印象で、児童会役員が2人もいる。皐月が一緒に遊んだことのあるのは2組の中島陽向なかじまひなただけだった。
 他の委員も学級委員でもやっていそうな子ばかりだ。ちなみに学級委員を置いているのは4組だけで、他のクラスには学級委員は存在しない。クラスによっては細かく委員を決めたり、行事ごとに実行委員を決めたりしている。

 修学旅行実行委員を担当している6年3組の担任の北川先生はまだ理科室に来ない。どうせすぐに来ることは誰もがわかっていたので席に着くことにした。
 理科室の実験台は固定されたシンクを挟んで2台のテーブルが連結されている。シンクとの連結を外し、キャスター付きのテーブルを移動させ、教師用実験台を囲むように4台のテーブルを並べた。1台のテーブルは二人掛けなので、クラスごとに分かれて着席した。
 この配置を提案したのは児童会会長の江嶋華鈴と、2組で児童会書記をしている水野真帆みずのまほだ。児童会でときどき理科室を使用することがあるので、テーブルの使い勝手をわかっている。皐月はシンクとテーブルが切り離せるなんて考えてもいなかったので欣喜雀躍きんきじゃくやくした。
「こうやって弧を描くように並べると格好いいな! 国際会議みたいだ」
「クッサい会議」
「うん、国際会議」
「ギャハハハハッ!」
 皐月と2組の陽向がくだらないことを言いあって爆笑しているのを尻目に、女子の委員たちが黒い天板の実験台の下から背もたれのないスツールを引き出して座り始めた。皐月と陽向は座るとすぐにキャスター付きのスツールで遊び始めた。
 陽向と皐月は3・4年時の同級生で、今は昼休みに行われるクラス対抗のドッジボールなどでよく対戦するライバルだ。陽向は2組では博紀のような男子の中心的なポジションにいる。
「4組は月花が実行委員をやるのかと思ってた。あいつってこういう先生に受けのいいことやりたがるタイプじゃん?」
「最初は博紀がやるって言ったんだけど、俺が代わってやったんだ。あいつ、サッカーの方が忙しくなったんだって」
 陽向は博紀の性格を少し誤解しているようだ。博紀は先生受けのすることをやりたがるタイプではない。皆が嫌がることをやらなければいけないと思う奴だ。その場の空気が悪くなる前に引き受けるので、目立ちたがり屋に見られることもある。ここで陽向に博紀のことを弁護してやろうと思ったが、そこまでしなくてもいいかと思い直した。
「それより中島が修学旅行の実行委員やってる方が不思議だわ。お前って運動会の実行委員やってたよな? 実はお前の方が博紀より目立ちたがり屋なんじゃね?」
「修学旅行も実行委員をやれって、みんなに押し付けられたんだよ。運動会の実行委員をやったんだから修学旅行もやれだって。ひでぇよな~」
「はははっ。お前、人望があるんだよ。喜べ」

 美耶は3組の中澤花桜里なかざわかおりとおしゃべりを始めた。二人は5年生の時に同じ1組で仲がいい。花桜里は5年1組の時は優等生で、奈良県から転校してきた美耶のお世話をしてくれた子だ。
「まさか美耶ちゃんが実行委員やるとは思わなかったよ。こんな目立つ委員なんてよくやろうと思ったね」
「成り行きでやる羽目になっちゃった。最初は晴香はるかちゃんがやるはずだったんだけど、なんか途中で嫌って言い出して、それで私に代わってって言われちゃって……」
「何それ? ひどくない?」
「晴香ちゃんはね、好きな子が実行委員になったから立候補したんだけど、その男の子が藤城君と代わっちゃってね、それでやりたくないって言い出したの。で、私が代わりにやることになっちゃった」
「ああ、月花か……。で、藤城に変わっちゃったんで美耶ちゃんが押し付けられたってわけだね。なんか聞いてるだけで腹が立ってきた」
「そんな、いいのよ。私もちょっと実行委員やってみたいなって思ってたから」
「美耶ちゃん、嘘つかなくてもいいんだよ。私、気付いちゃってるから」
 美耶が皐月のことを好きなのは6年生の間では有名な話になっている。男子と一緒にドッジボールやサッカーをやる美耶は他のクラスの男子からの注目度が高い。狸系の愛嬌のある顔なのに身体能力が異常に高いので、美耶に心を寄せている男子は少なからずいて、美耶の好きな男子が皐月だということもバレている。

 理科室に6年3組の担任で修学旅行実行委員会を担当する北川先生が入ってきた。みんな一斉におしゃりをやめ、ピリッとした空気に変わった。皐月と陽向は慌てて席に戻った。
「遅くなってすまん。じゃあ今から第1回の修学旅行実行委員会を始める。今日の予定は委員長・副委員長の選出をする。後で昨年の修学旅行のしおりを実行委員に配るので、明日の朝の会でクラス全員に配布してもらいたい。毎年この学校のオリジナルの栞を作っているんだけど、今年も作るぞ。過去8年分の栞を見せるから、今年の栞作りの参考にしてもらいたい」
 北川は皐月が5年生の時の担任だった。皐月は北川の今日の話し方が5年生の時とかなり違っていることに気がついた。担任の時と委員会の時とモードを切り替えたのか、先入観ほど北川が不快ではなかったことに皐月は安堵した。
「え~まずは本題に入る前に自己紹介をしてもらおうかな。クラスと名前、あとどうして修学旅行実行委員になったのかを話してもらいたい。まずは君から」
 北川が指差したのは右端に座っている男子だ。
「1組、黄木昭弘おおぎあきひろ。絵が得意ということでクラスのみんなから推薦されました」
「昭弘は絵が得意なのか。栞の表紙を描いてもらえると嬉しいな」
 皐月は昭弘がなぜここにいるのかこの時わかった。写生大会やクロッキー大会などでいつも最優秀賞を取っていたのが黄木昭弘だった。皐月も絵を描くのは好きだったので、昭弘の絵を見ていつも敵わないなと思っていた。皐月は委員会を通して昭弘と友達になれたら楽しいだろうと思った。
「1組、江嶋華鈴えじまかりんです。私は小学校最大のイベントに関わりたいと思い、立候補しました。よろしくお願いします」
「華鈴は児童会長もやってるな。大変だけど頑張ってくれ」
 皐月は華鈴の性格がいまだによくわからない。自己主張が強いのは確かだと思うが、自分の考えを押しつけるようなことはしない。目立ちたがりなところもあるが、少し無理をしているようにも見える。優等生を演じているように見えなくもない。
「2組、水野真帆みずのまほです。私はクラスのみんなから推薦されました。修学旅行を支える縁の下の力持ちになりたいと思っています」
「真帆も児童会だな。頼りにしてるぞ」
 皐月は真帆のことをあまりよく知らないが、言葉遣いや立ち振る舞いに華鈴よりキツそうな印象を受ける。未知であるがゆえに観察対象として興味深い。
「2組、中島陽向なかじまひなたです。僕もクラスのみんなから推薦されました」
「陽向は実行委員になって何かやってみたいことってある?」
「楽しい旅行にしたいです」
「いいね。はい、次」
「3組、田中優史たなかゆうしです。みんなの思い出に残る修学旅行にしたいと思い立候補しました。よろしくお願いします」
「優史、ありがとう」
 優史とはクラス対抗の遊びで戦うこともあるが、毎回参加しているわけではないので印象が薄い。あまり球技が上手くないので、おそらく人数合わせで駆り出されているのだろう。真面目でおとなしそうに見える。どうして優史が実行委員に立候補したのか、皐月にはよくわからない。
「3組、中澤花桜里なかざわかおりです。楽しい修学旅行にしたいと思い立候補しました。よろしくお願いします」
「花桜里もありがとう」
 花桜里の話は美耶からすこし聞いたことがあり、その時に花桜里に世話になったことを教えてもらった。家が近いらしく、一緒に下校したりお互いの家に遊びに行ったりしているようだ。
「4組、筒井美耶つついみやです。私はクラスのみんなから推薦されました。一生の思い出に残る修学旅行にしたいと思います」
「きっと美耶の一生の思い出になると思うぞ。はい、次」
「4組、藤城皐月ふじしろさつきです。僕も推薦されました。最高の修学旅行にしたいと思います」
 北川はすぐに返答をしなかった。北川の顔から笑みが消え、沈黙が流れた。
「藤城、お前その頭で修学旅行に行くのか? 旅行までに黒く染めておけ」
 和気藹々わきあいあいと進んでいた修学旅行実行委員会だったが、ここに来て急に緊迫した空気に変わった。皐月は自分だけ名字で呼ばれたことに北川の強い嫌悪を感じた。皐月は5年の時から北川に好かれていなかったので、もしかしたらこういう展開になるかも、とある程度は予想していた。特に驚きはなかったが、実際にいきなり自分のことを否定されると悲しくなる以上に反発したくなってくる。
「髪の毛の色についてですが、担任の許可はもらっています。校長からは格好いいと言ってもらいました。だから黒く染めるつもりはありません」
 皐月は勝負に出た。自分のクラスの野上実果子のがみみかこの茶髪を黙認しているような奴に文句を言われる筋合はない。
 自分に直接関わりのある担任からの許可を得ていないのは確かだ。ただ北川のように注意はされなかったし、校則で禁止されているわけでもなかったので、皐月は暗黙にヘアカラーの許可をもらっていると解釈をしている。もし北川から何かを言われても、前島先生ならきっと自分を守ってくれると皐月は信じている。
 稲荷小学校の校長は女性で、皐月から挨拶をするといつも嬉しそうにしてくれる。稲荷小学校の児童は校内で校長に会った時は全員挨拶をしているが、皐月は挨拶だけでなくいつも自分から言葉をかけている。
 校長は50代だが、いつもお洒落をしていてすごく若々しい。皐月は校長のファッションを見るのが楽しみで、そんな校長のことが大好きだ。会うたびに校長を褒めているせいか、皐月は校長にとても可愛がられている。髪を染めた時はさすがに怒られるかと思ったが、校長は「素敵な色ね」と褒めてくれた。だから皐月は何かあっても校長は絶対に自分の味方をしてくれると信じている。
「もういい。座れ。今から委員長と副委員長の選出をする。立候補するものはいないか?」
 北川が急に不機嫌になったのでみんな委縮してしまい、誰も立候補しなかった。委員会が始まるまでは児童会長の華鈴が真っ先に委員長に立候補すると皐月は思っていたが、華鈴が一番北川を怖がっていて関わりを避けようとしている。
「俺、やります」
 皐月が手を挙げた。本当はそんなつもりはなかったが、北川をイラつかせているのは自分の存在そのものだ。皐月も腹が立っていたが、他に誰も委員長をやりたがらなかったので、自分が委員長をやるしかないと思った。
 北川を怒らせていなかったら江嶋華鈴が委員長に指名されていたかもしれない。だが北川の暗黒面が表に出てくると、華鈴はただの怖がりの気の弱い少女になってしまう。そんな華鈴の姿を皐月は5年生の時に何度も見てきた。だから自分が華鈴を北川から少しでも離してやりたいと思った。
「他に誰かいないのか?」
 北川が険しい顔で実行委員たちを見まわしたので、誰も目を合わせようとはせず俯いていた。北川の子供を威嚇する態度は昨年と何も変わっていない。
「じゃあしかたがない。藤城、お前がやれ。次、副委員長」
 やはり誰も手を挙げない。北川のイライラが増しているせいか、みんな指名されないように身を潜めている。無理もない。去年の5年3組の時もそうだった。
「先生、副委員長はいなくてもいいです。俺が副委員長の仕事もやります」
「そういうわけにはいかん。お前が思っている以上に実行委員は大変なんだ」
「大丈夫ですって。何とかなります」
 本当に仕事が大変だったらみんなに割り振ればいいし、副委員長がいない方が独断で決められるからかえって楽かもしれないと思った。
「何とかなるだと? お前、実行委員のこと何もわかってないだろ? 軽々しく『何とかなります』なんて言うな」
「軽々しくなんて言ってません。委員長に立候補した時、最悪全部自分一人でやってもいいって覚悟してましたから」
「生意気なこと言うな!」
 北川が声を荒げた。皐月は立候補した時に一人でやる覚悟をしていたと言ったが、これは口から出任せで、今この場で勢いに任せて啖呵を切ったのが真相だ。だが覚悟を決めたこと自体は嘘ではなかった。
「副委員長は華鈴、君がやってくれ。藤城じゃ頼りにならん」
「えっ、私が……」
 恐らくいろいろな感情が混じり合っているのだろう、華鈴は明らかに動揺していた。
「先生、江嶋は児童会長やってますよ。修学旅行実行委員がそんなに大変なら、江嶋に負担かけ過ぎなんじゃないですか?」
「修学旅行期間中に児童会の仕事はない。今までも児童会が修学旅行実行委員を兼任してきたから大丈夫だ。それにお前には有能なサポートがいないと安心して任せきれん」
「なんだよ、人のこと無能扱いしやがって……」
 北川に聞かれても構わないと思い、皐月は心の中をあえて声に出した。皐月は5年生の時、提出物の忘れ物が多かったり授業中に隣の女子とおしゃべりをしてうるさかったりして、北川からは目をつけられていた。それなのにテストの点だけは良かったので嫌われていたのかもしれない。
「先生、私、副委員長やります」
「そうか。華鈴、やってくれるか。じゃあ頼んだぞ。君に任せたら安心だ」
 北川は少し機嫌が良くなったようだ。みんなの顔を見回すと他の実行委員たちはほっとした表情を浮かべている。この時、皐月は実行委員たちの自己紹介を思い出した。3組の田中優史と中澤花桜里は実行委員に立候補したと言っていたが、きっと華鈴が副委員長に立候補させられたように、3組の二人も指名されたんだろうなと思った。そう考えると本気で修学旅行実行委員に立候補したのは江嶋華鈴ただ一人ということになる。
 何はともあれこれで場が落ち着いた。修学旅行の担当の先生が誰であれ、皐月は修学旅行を最高のものにしたいという考えは変わっていない。華鈴が副委員長になったことで、対北川の雑用は全部華鈴に任せられる。皐月は委員長に立候補した時より気持ちが軽くなり、やる気が出てきた。


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