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一斉下校で感じた博紀への親しみ (皐月物語 24)

 始業式のこの日は一斉下校だ。全校生徒が校庭に集まり、班旗を持った班長のもとに集まって順次帰路につく。藤城皐月ふじしろさつき栄町さかえまち2班で、月花博紀げっかひろきは栄町1班。同じ町内でも大通りをはさむと班が違ってくる。
 各班の班長が校庭の所定の位置に立っていると、隣の班の博紀が皐月に話しかけてきた。
「今月のお前の席、いいな」
「そう? 先生の真ん前だけど」
 皐月には博紀の言いたい事がわかっている。でも敢えて知らんぷりを決め込んだ。
「俺、吉口さんが男子と喋ってるの初めて見た」
「そうだよな。実は俺もそうだった。吉口さんが自分以外の男子と話しているのって見たことなかったよ。でもあの子って話してみると普通の女の子だよ。見た目ちょっと怖そうな雰囲気がなくもないけど、ふとした仕草とか表情とかかわいいし」
「そうか……」
 博紀は吉口千由紀よしぐちちゆきの話がしたかったわけではない、その程度のことは皐月にだってわかる。本当は栗林真理くりばやしまり二橋絵梨花にはしえりかの話がしたかったはずだ。あるいは皐月の家に住み込んでいる及川祐希おいかわゆうきのことか。
 近くを通る5年生の女子がチラチラと博紀の方を見ていく。同じクラスの中だけでなく、違うクラスや下級生にも博紀のファンは多い。こんなにモテるくせにどうして博紀は俺と仲のいい女の子が気になるのだろう、と皐月はいつも不審に思う。
 博紀の弟の直紀なおきが皐月の班の今泉俊介いまいずみしゅんすけと一緒に小走りでやってきた。5年生は6年生よりも元気がいい。直紀は博紀と違ってカラッと明るいので、皐月は好感を持っている。博紀は外面そとづらは爽やかだが、皐月には負の感情を隠そうとしない。そんな博紀のことを皐月は嫌いではないのだが、鬱陶しいと感じている。
「なあブキミ、千智って今日どんな服着てた?」
「ちさと?」
「直紀のクラスの入屋千智いりやちさとのことだけど」
「……ああ、そういうこと! 皐月君、名前で言うからわかんなかったわ。なんで入屋のこと名前呼び捨てで呼ぶの?」
「昨日言ったじゃん。俺たち仲いいって。それにブキミだって名字呼び捨てにしてるじゃないか」
「何、その『俺たち』って。なんか教えたくなくなっちゃったな~」
 皐月は学校で千智を見かけたら手を振る約束をしていた。一斉下校の今はそのチャンスだ。少しでも千智を早く見つけられるよう、直紀に今日の服装を聞いておこうと思ったが、思わぬ抵抗にあってしまった。直紀は皐月の思っていたよりも千智のことが好きみたいだ。
「俊介知らない? 千智の今日のファッション。もし知ってたら教えてよ」
「さぁ、どうだったかな? 体操服じゃなかったっけ、知らんけど」
「俊介、お前適当なこと言ってるだろ」
「皐月君の発言は俺たち入屋ファンを完全に敵に回したんだよ。わかってる?」
 俊介は直紀と違って面白がっている。皐月は俊介が年上のアイドルの女の子の方が同級生の女の子よりも好きだと思っていた。だが、もしかしたら俊介も直紀と同じなのかもしれない。
「また女の子の話してるんでしょ。皐月君と俊介君は女の子のことばっか話してるよね」
 班の集合場所に4年生の山崎祐奈やまざきゆうながやって来た。祐奈は大きくなるにつれて恋バナに敏感になってきた。
「祐奈ちゃん知ってる? 入屋さんの今日のファッション」
「知ってるよ。黒のワンピースに黒のキャップかぶってた。なんかいつもと雰囲気が違って格好よかったよ」
「ありがとう。やっぱファッションのことは祐奈ちゃんしか頼りにならんな~。そういえば今朝、祐奈ちゃんを見た時に思ったんだけど、祐奈ちゃんの今日のジャンスカ、新しいのだよね。超かわいいね」
「ありがとう。ジャンスカ着るの初めてだからドキドキしてた」
「すごく似合ってるよ。着こなしもカンペキ!」
 嬉しそうにしている祐奈を気にかけつつ、皐月は千智を見つけられるよう周りに視線を巡らせていた。低学年の子たちが次から次へとやって来て、各班に分かれていく。皐月の班にも4年生の近田晶こんだあきらが1年生の弟の近田ひかるの手を引いてやって来た。そのすぐ後ろに3年生の岩月美香いわつきみかもいた。これで皐月の班の子が全員揃う。
 人の流れから考えると、今日はもう千智にはもう会えないかもしれない。人の波から目を戻して班の子たちを見ようと思った時、視界の隅に人の流れに逆らうように歩いている黒い服を着た子を見つけた。
(千智だ!)
 千智を見失わないように目で追い続けた。少しでも目線があったら大きく手を振ってやろうと思った。千智は背の低い外国人の女の子と手をつないでいる。
 目が合った。皐月は背伸びをして大きく手を振った。千智も皐月に気が付いたようで、大きく手を振り返してくれた。だが嬉しそうな千智の顔が一瞬で強張った顔になり、一礼して踵を返した。皐月が博紀の方を見ると博紀も軽く手を挙げていた。博紀の顔はかすかに引き攣っていた。
「皐月君、誰に手を振ってんの?」
 直紀は博紀が手を挙げていたことに気づいていないようだ。
「うん、クラスの友だち」
 皐月の嘘に博紀は何も言わなかった。
「嘘! あれ、入屋さんじゃん!」
 祐奈にあっさりバラされた。せっかく直紀に気を使って博紀が黙っていてくれたのに、これじゃ台無しだ。
「祐奈ちゃん、目、いいね」
「私が服教えてあげたんだよ。間違えるわけないじゃん」
 無邪気な祐奈に皐月は文句を言う気にもなれない。
「あ~あ、ブキミにバレちゃった」
「いいよ皐月君、変な気を使わなくたって。……そういや今日の入屋ってさ、なんかいつもと違って機嫌が良かったんだよね。いつもなら放課に帽子かぶって顔隠してるのに、今日は普通に顔出してたし」
「入屋さんのファッション、ワイルドだけど女の子っぽくて格好よかったな~。なんか攻めてるって感じでいつもよりも近寄り難かった」
「なんだ俊介、さっき体操服だって言ってたじゃんか」
 皐月は俊介に嫌味を言いつつも顔がにやけている。
「あのね、入屋さんってね、いつも男の子っぽい服着てるのに、今日は女の子っぽかったよ」
「へ~、良く見てるんだね、祐奈ちゃん」
「そりゃ見てるよ。だって私、入屋さんのファンなんだもん。私もあんな風に着こなしてみたいなって思う」
 皐月は自分の知らないところで千智がこんなにも人気があるとは思わなかった。階が離れているだけでこうも常識が違うものなのか。でも博紀は下の階の下級生にも人気がある。博紀の場合は見た目だけでなく、運動会や球技大会で目立っていたからだろう。千智は見た目に加えて普段のファッションが目立っているからモテるのか。
「もうみんな揃ったし、そろそろ帰ろうか」
 一部の班はもう帰り始めている。博紀たちの班も全員集まったようなので途中の豊川稲荷のスクランブル交差点まで一緒に帰ろうということになった。

 皐月に手を振った千智と付き添っていたステファニーは自分たちの班の場所に戻ってきた。ステファニーが千智に英語で話しかけた。こういう時はまわりに話を聞かれたくない時だ。
"Who is that boy you waved?"
"He is Satsuki. He means the world to me."
"Lovely!"
 普段はできるだけ日本語で話したいとステファニーは言うが、クラスの女子の雰囲気が悪いので、二人の秘密の会話は英語でしようと決めている。ただ千智の英語力がまだ英検3級程度しかないので、あまり込み入ったことが話せない。
「千智、素敵な言い方するね」
「この言い方、最近覚えたの。英語の歌で覚えたんだよ」
「私も歌で日本語覚えたい」
「それ、いいね。どんな歌がいいかな?」
「テレビで見るかわいい女の子たちの歌が好き」
「アイドルの歌だね。また一緒に動画を見ようか。わからない言葉があったら私に聞いてね。わかる言葉だったら私が教えるけど、意味のわからない難しい言葉は二人で一緒に調べよう」
「でも千智、2学期から塾に行くでしょ。それに皐月とデートしたら私と遊ぶ時間、なくなっちゃうね」
「そんなことないよっ! ステファニーと遊ぶ時間は大切だから。それにデートなんてしてもらえないかもしれないし……」
「大丈夫。千智の誘いを断る男子なんていないよ。自信持って」
「ありがとう、ステファニー」

 校門を出た皐月と博紀の班はすぐに左に曲がって狭い路地に入った。先生の目も届かなくなるし、車も通れない道なので早速列が乱れ始めた。珍しく博紀が皐月に近寄って来て話しかけた。
「なあ、俺ってあの子に嫌われてるのかな?」
 さっきの千智の態度の急変の話だ。
「お前、あの子と何かあったの?」
 博紀が千智のことを「あの子」と呼んだので、皐月も合わせた。たぶん直紀に聞かれた時にごまかせるようにしたのだろう。
「そんなのあるわけねーよ。昨日初めて会ったんだし」
「そっか……じゃあ気のせいじゃない? ていうか、なんでそんなこと聞くんだよ?」
 冷たい言い方だったかなと思ったが、皐月としては一応確認しておきたかった。
「俺が手を挙げたら急に顔色が変わった。お前も見てたよな」
「うん、あれはちょっと俺も何事かと思ったよ。むしろ俺に何か問題があったのかと思った」
 もちろん嘘だ。博紀が原因だと思ったから、あの時皐月は博紀の方を見た。ただ博紀が弱っていたので慰めてやりたくなっただけだ。
「後で聞いてみるよ。さっきどうして顔色が変わったのかって。俺も気になるし」
「やめろよ。そんなことされたらみっともないじゃないか」
「そうなのか?」
「皐月はそういうとこ軽率なんだよ。思ったことすぐに口にするから」
「疑問はすぐに解消した方が気が楽じゃん」
「結果が悪かったら余計に気が重くなるだろう?」
「……そっか。そういう風に考えるのか、博紀は」
 博紀は女子からちやほやされるくせに女子と話すのがあまり得意ではない。変に気にし過ぎているように皐月は感じていた。皐月は博紀以上に気を使って女子と話をしていると自負している。コミュ力の差だと思っている。
「まあ気を付けて探りを入れてみるよ。やっぱ俺も気になるし。大丈夫、博紀に恥をかかせるようなことはしないから、安心しろって」
「そうか……じゃあ頼んだわ」
 ここにきて博紀の皐月に対する態度が明らかに変わった。皐月はずっと博紀に対して苦手意識を持っていたが、もう今までのような圧力を感じることはないだろうと感じ始めた。だがこれは精神的に優位に立ったというわけではない。欠点らしい欠点のない博紀に対して、皐月はいまだにコンプレックスを感じている。でもそれは博紀も同じだということがわかってきた。皐月はやっと博紀に親しみを感じられるようになった。


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