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異性を意識し始める年頃 (皐月物語 40)

 藤城皐月ふじしろさつき月花直紀げっかなおきたちが欲しがったおやつを取りに台所へ下りてきた。及川祐希おいかわゆうきとその母の頼子よりこが向かい合って座っており、祐希の前にはアイスコーヒーとモンブランがあった。
「ねえ頼子さん。友達におやつを出したいんだけど、何かお菓子あたっけ?」
「確か小百合さゆりがお客さんからもらったお土産があったと思うんだけど……あ、あった」
 頼子が持って来たのは「安城一番あんじょういちばん」という最中もなかだった。これは皐月が好きな和菓子で、皐月の母の小百合が安城のお座敷に呼ばれた日には客から必ずもらって来てくれる。
「この箱、軽いわね。あら? 二つしか残ってない」
 皐月は今朝、学校に行く前に一つだけつまみ食いをしていた。安城一番がまだ残っていることは知っていたが、残りの数までは把握していなかった。
「俺、コンビニで何か適当にスナック菓子でも買ってくるよ」
「スナック菓子じゃなくて、ケーキを買ってくればいいじゃない」
「え~っ、あいつらにケーキなんてもったいないじゃん」
「皐月って意外にせこいんだね」
「違うよ! 今まであいつらにケーキなんて出したことなかったから……」
 祐希にせこいと言われたことは皐月にはショックだった。自分たちの間柄ではこれが普通だったし、遊びに来た友達にお菓子を出すことさえ稀だった。自分としてはお金のことを気にしたつもりだったので、祐希の言葉はキツかった。
 祐希の視線が急に皐月を超えて表情が輝いたので振り返ると、皐月の背後から入屋千智いりやちさとが台所の中の様子を窺うように顔を出していた。
「あれ? 千智ちゃんどうしたの?」
「うん……祐希さんに会いに来たんだけど……」
「おいでおいで」
 祐希が嬉しそうに大きなアクションで迎えると、千智は喜んで祐希の横に座った。月花博紀げっかひろきたちが来てから千智のこんな顔を見ていなかったような気がする。
「今から博紀たちにケーキを買いに行くんだけどさ、千智もケーキ食べる?」
「えっ? さっき食べたからもういいよ」
「そう? おれ食うけど」
「先輩、食べ過ぎじゃない? 太っちゃうよ」
「大丈夫。たったの2個じゃん。そんなんで太るとかないから」

 皐月は頼子から預かったお金をポケットに突っ込んで外に出た。日が傾いたので狭い路地にある小百合寮の前は建物の影になっていた。ゆるく生温かい風ではあるが、軽く髪がなびくだけで暴力的な暑さがだいぶ和らいだように感じた。
 往来を歩きながら、皐月は台所で見た千智の様子が少し変だったことを思っていた。皐月は細かいところを気にし過ぎる癖がある。
 皐月にはさっき千智が言った「もういいよ」と「太っちゃうよ」の語尾の「よ」が気になっていた。別段どちらの言い方にもおかしなところはない。ただ2回「よ」続いたことが引っ掛かっている。どうして続けて「~よ」と言われなければならなかったのか。千智との間に隔たりが発生したのを感じないわけにはいかなかった。
 皐月は自分が千智に何か嫌われるような振る舞いをしたかを思い返してみたが、決定的なものはなかったはずだと結論を出した。となると、原因は自分以外にあると考えたい。
 自分が台所に下りた後、すぐに千智も来たことから博紀たちと何か感情の軋轢があったのかもしれない。そこまで勘ぐらなくても、ただ単に男たちの中に放置されて居心地が悪かっただけのかもしれない。だから自分に対しても気持ちを引きずり、微妙に態度に出たのではないだろうか……。そう考えると千智と二人で部屋にいながら博紀たちを家に上げたこと自体が良くなかったことになる。
 皐月がケーキを買って家に戻ると、台所では頼子が夕食の準備をしていた。
「祐希と千智ちゃんね、ちょっと出かけてくるって。皐月ちゃんに伝えておいてって」
「二人で遊びに行っちゃったんだ……そっか、もういないのか……」
「寂しい?」
「そうだね、ちょっと寂しいかな。でもしょうがないか……」
「しょうがないって?」
「だって女の子同士の方が楽しいんじゃない? 俺も男同士で遊んでいる方が楽しいし」
「へぇ~、皐月ちゃんはまだそういう年頃なんだね。もうちょっと大きくなったら女の子と遊ぶ方が楽しくなるよ」
 クラスの女子が好きそうな婉曲な取り調べだ。
「あ~、恋愛とかそういうやつ? そーいうの、まだ俺にはよくわかんないや」
「そうね。皐月ちゃんはまだわからなくてもいいかな」
 適当に誤魔化すつもりで言ったのに、恋愛はまだ早いみたいな予想外の応答をされてしまった。皐月はへらへらと話を合わせることが苦痛になってきた。
 頼子がこの家に祐希を連れて来たその日から、皐月は急速に異性を意識し始めていた。千智、祐希と出会ったことが触媒となって、幼馴染の栗林真理くりばやしまりや隣の席の筒井美耶つついみやでさえ意識してしまい、今までのような接し方ができなくなっている。
「でも千智と二人で遊ぶのは楽しいよ。二人で遊ぶのは今日が初めてだったからまだ慣れていないけど……」
「そう……楽しくてよかった。じゃあ皐月ちゃんと千智ちゃんは相性がいいんだね」
 頼子の言葉に思わず瞳孔が開いてしまった。頼子は最初からクラスメートのように心の奥を探るような真似をしていたわけではなかった。ただただ自分のことを気にかけてくれていただけだった。
 これ以上頼子と視線を合わせていると、浮かれた気持ちを隠しきれなくなる。慌てて視線を外し、顔を背け、ケーキを載せるトレーを探した。頼子に取ってもらったトレーにケーキの入った箱とケーキ皿、フォークを載せた。まだ何か千智のことを聞かれるかなと思って間を取ってみたが、特に何も言ってこなかったのでトレーを持って台所を出た。ちらっと頼子の方を振り返ると、笑いながら手を振っていた。
 慎重に階段を上り、最上段に掲げたトレーを置いて一息ついた。洗面台の古く大きな鏡を見ていたら、女子のように伸びた髪を切りたくなった。
 頼子の言った「相性がいい」という言葉……あの状況で出てくる不自然さに皐月は胸が高まった。皐月の見立てでは、頼子は千智にも自分と同じような取り調べをしていたはずだ。頼子は千智の皐月に対する想いを確かめ、その上で皐月と千智の相性がいいと言った。つまり、頼子は皐月と千智の両想いを確認したことになる。
 鏡に映る飾り気のない自分のビジュアルを見ていると、少しは持っていた自分の見た目に対する自信が揺らいできた。もっと格好いい男になりたい……自分に自信の持てる男になりたい。皐月は生まれて初めてそんなことを思った。


最後まで読んでくれてありがとう。この記事を気に入ってもらえたら嬉しい。