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小学生男子の恋バナ (皐月物語 39)

 雀のさえずるようなぱいの音に混じって階段のきしむ音がかすかに聞こえた。牌の音にかき消されそうなほど小さな音は小百合寮に住み込んでいる及川頼子おいかわよりこのものではない。抜け番だった藤城皐月ふじしろさつきにはその足音が及川祐希おいかわゆうきのものに違いないと確信した。
 麻雀まーじゃんはまだ続いていたが、祐希が来たらもう終わらせてもいいはずだ。どうせ月花博紀げっかひろきたちは祐希に会いに来ただけだから。入屋千智いりやちさとの歌が聞けなかったのは残念だが、今泉俊介や月花直紀にも祐希を紹介できると思うと皐月は胸が弾んだ。
 障子がゆっくりと小さく開いた。隙間から戸惑い気味の祐希の顔が見えた。皐月は手を伸ばせば障子に届くところに座っていたので、さっと戸を引いた。
「おかえり」
「ただいま。本当にお母さんの部屋で遊んでいるんだ……」
 麻雀をしていたみんなの手が止まり、四人の視線が一斉に祐希に注がれた。
「あっ、千智ちゃんだ。今日は雰囲気違うね~」
「祐希さん、おかえりなさ~いっ!」
 祐希と千智が高速で手を振り合ってはしゃいでいる。月花直紀げっかなおき今泉俊介いまいずみしゅんすけはほえ~っとした顔で二人を見ている。博紀は祐希に見てもらいたいのか、物欲しそうな顔をしている。みんなの様子を見ている皐月はニヤニヤが止まらない。
「祐希って制服着ていると本当に女子高生だね」
「尊いでしょ。崇めてもいいよ」
 おどけたことを言ってみたら期待以上の言葉が返ってきた。祐希のまとっていた硬さはもうそこにはない。昨夜の恋バナで打ち解けたのか、それとも学校で友達と会えたことがよかったのか、あるいは恋人と……。祐希がを出せるようになったことを喜ぶ気持ちはあるが、祐希が遠くなったようで皐月は少し寂しかった。
 麻雀は中断され、祐希と千智は楽しそうに話をしている。博紀と直紀、俊介はそんな二人に心を奪われているように見える。そんな中、皐月はにわかに孤独を感じ始めた。なんで自分はここにいるんだろう、ここに自分がいる必要があるのだろうか……。
「コップ片付けてくるね」
 皐月はみんなが飲み終えたコップを回収し、お盆に載せて階下の台所へ運んだ。台所には頼子が一人だった。
「わざわざ持って来てくれたの。ありがとう」
「あの階段、急だから。二階まで持ってくるの大変だったでしょ。コップの中身が入っててよく持って来られたね」
「配膳は得意なのよ。仲居やってたから」
 台所のテーブルにはケーキが一つ残っていた。さっき皐月たちが食べたものと同じだ。祐希の分も買ってあったのだろう。
「祐希っておやつのケーキがあるの知ってる?」
「ああ、まだ言ってなかったわね」
「俺、伝えてくるよ」
 お盆の上にお茶と不揃いのグラスを6個用意して、お盆に載せた。グラスにお茶を注いでから行こうとすると、頼子からやめた方がいいと言われた。さっきミルクチャイを2階へ上げた時、大変だったらしい。昔の建物は階段が急なので、いくらお盆に滑り止め加工が施されていても配膳が難しかったそうだ。
 皐月はお茶の入った冷水ポットとグラスを2回に分けて階段の上まで上げ、みんなのいる頼子の部屋へ運んだ。そこでは祐希を中心に直紀や俊介たちも談笑していたようだ。
「お茶持って来たよ~」
「ありがとう。皐月はいい子だね~」
「先輩、言ってくれれば私も手伝ったのに」
「そうか。じゃあ、次は千智に助けてもらおうかな。ところで祐希ってモンブランが好きなの?」
「好き! でもどうして皐月が私の好きなケーキのこと知ってるの?」
「おやつに買ってあるから食べにおいでって頼子さんが言ってた。行ってきたら?」
「どうしようかな……」
 祐希は男たちに気を使っているようだ。
「皐月君、俺たちにはおやつないの?」
「直紀、みっともないこと言うなよ!」
 博紀は弟の無遠慮をたしなめたが、皐月にはかえってありがたかった。
「お前さ、そういうもんは普通、遊びに来る奴が持ってくるもんじゃないの? まあいいや、ちょっと待ってな。婆菓子だったあるかもしれないから、何か持ってきてやるよ。千智、みんなにお茶淹れておいてもらえる?」
「は~い」
「じゃあ祐希、下に行こ」
「一度部屋に戻って、制服着替えてから行くね」
「えっ? 着替えちゃうの? 尊くなくなっちゃうじゃん。もう崇めてやんないよ」
「皐月って制服好きなんだ。へぇ~」
「制服嫌いな男子なんているわけないじゃん。なあ、俊介」
「そうですよ、祐希さん。博紀も直紀も、男子はみんな制服が大好きなんです」
 直紀と博紀はムキになって反発したが、祐希も千智も嫌がる様子もなく笑っていた。この空気は男だけで遊んでいる時ではあり得ない。学校では女子にちやほやされている博紀が顔を赤くしているのが面白い。
「もう、しょうがないな。じゃあしばらくは制服のままでいてあげるよ」

 皐月と祐希が下へ降りると、頼子の部屋には千智と博紀、直紀、俊介だけになった。千智は直紀以外とはほとんど話したことがなかったし、直紀ともぎくしゃくしていたので気まずかった。千智がお茶を淹れている間、男たちは無言で千智の手元を見ていた。
「入屋さんってどこで皐月君と仲良くなったの?」
 沈黙に耐えかねた俊介が事もあろうにド直球の質問を千智にぶつけた。
「夏休みに学校のプールで知り合った。潜水を教えてもらったのがきっかけで仲良くなった」
 警戒感丸出しでそっけなく答えた。
「皐月君ってさ、最近アイドルにハマってるみたいなんだけど、入屋さんのこと坂道グループの選抜になれるレベルだって言ってたよ」
「えっ……本当?」
「うん。ドヤ顔で自慢してたよ」
 頬を赤く染めている千智を直紀が複雑な表情で見ている。
「入屋さんは皐月と付き合ってるの?」
 博紀は俊介以上にストレートな質問をぶつけてきた。そんな博紀を直紀は不思議そうな顔をして見ている。博紀も直紀の顔をチラっと見て千智からの返事を待った。
「付き合うも何も、まだ知り合ったばかりだから」
 千智はキレ気味に応答する。
「皐月のこと好きなのか?」
「はぁ? なんでそんなこと言わなきゃいけないの? 意味わかんないんだけど」
「兄ちゃん、やめなよ!」
 千智は席を立って、部屋を出て行った。
「博紀君、どうしたの? らしくないよ」
「……ああ、そうだな。でもこういうことははっきりさせておいた方がいいんだ」
「は~ん、そういうことね。よくやるよ、そんな役回り」
「何言ってんの? 俊介」
 俊介には博紀の行動の意味がわかったが、直紀には俊介の言葉を聞いてもわかっていない。
「ブキミはさ、明日学校で入屋さんに謝っとけよ。博紀君の代わりに」
「謝るのはいいけどさ……。兄ちゃん、なんであんなこと聞いたの?」
 博紀は深いため息をついた。
「ちょっと皐月のことが羨ましかったんだよ。あいつばっかりモテやがってさ」
「何言ってんの。兄ちゃんの方がモテるじゃん」
「もういいじゃねえか、この話は」
「俺、今から入屋に謝ってくるよ。兄ちゃんも直接本人に謝れよ」
 直紀も部屋を出て、一階まで千智に謝りに行った。
「博紀君、なんであんな嘘ついたの?」
「まあ、直紀にもプライドがあるだろうからな」
「でもブキミってさ、博紀君が思ってるほど入屋さんのこと好きって感じじゃなさそうだったね」
「そうみたいだな。なんか俺、一人で悪者になってバカみたいだ」
 俊介は博紀の性格が温厚なのを知っていたし、ビジュアルがいいだけでなく運動や勉強もできるので憧れすら抱いていた。
「入屋さんはたぶん、皐月君のこと好きなんだろうね」
「そんな感じだな。まあそのことがわかっただけでも言った甲斐があったかな」
「そうだよ。直紀はともかく、僕は入屋さんに聞きにくいことを聞いてくれた博紀君に感謝してるよ。僕もふっきれそうだわ」
「俊介、お前まさか……」
「隣のクラスだから、今までは遠くから見ていただけだったけど、一緒に遊んでたら好きになりそうだった。いや……もう好きかも。ヤバ……」
 表情を変えないまま大粒の涙がこぼれた。博紀は急いでティッシュを3回抜いて俊介に渡した。
「博紀君はいいよね。本命は祐希さんでしょ」
「いや……俊介じゃないけど、俺も入屋さんといろいろ話しているうちにいいなって思い始めてさ……」
「博紀君ってさ、結構気が多いよね。ファンクラブの子には冷たいくせに」
「俺さ、自分より頭のいい子が好きなんだよね。それでそういう子ってどういうわけか皐月と仲がいいんだよな。なんかムカついちゃってさ」
「入屋さん、頭良さそうだもんね。皐月君も頭いいし」
漸近線ぜんきんせんとか俺の知らんこと、もう知ってんだもんな。まだ5年だぜ、あの子」
 直紀が部屋に戻ってきた。
「ちゃんと謝っておいたからね」
わりぃな、直紀」
「後で兄ちゃんに謝らせるって言ったら、別にいいって言ってた。でもちゃんと自分でも謝れよな」
「皐月は?」
「ケーキ買いに行ったって。別にそこまでしてくれなくても良かったのにね」
「入屋さんはもう麻雀やらないのかな?」
「入屋は祐希さんと遊びに行くって言ってたよ。どうする? 兄ちゃん。もうお目当ての祐希さんいなくなっちゃうよ?」
「そうだな……もう麻雀って気分じゃないしな……」
「せっかく皐月君がケーキ買いに行ってくれてるんだから、後のことはケーキでも食べながら考えようよ」
「僕は皐月君に好きなアイドルのこともっと聞きたいって思ってたから、麻雀やらなくてもここにいるよ。さっきフルで歌えなかった『ゼンキンセン』をもう一回見ようかな」
 俊介がノートPCを操って動画を開いた。

「名曲だよね、これ。僕は今まで何をしていたんだろう。テレビに出るアイドルに縛られ過ぎていた。全然知らなかったな、この『26時のマスカレイド』って」
 俊介がエディターを開いて、歌詞をコピペして何か操作をして、キーボードをパシパシと叩いていた。
「ねぇ、この歌『好き』っていう言葉が21回も出てくるよ。すごいね。ところで直紀って好きな子いるの?」
「なんだよ、いきなり。そういうことを人に聞くんだったら、俊介から先に言えよ」
「僕はアイドルが好きだから、子どもには興味ないんだけど」
「そういや俊介はそういう奴だったな」
 俊介は博紀に小さな声で「ずるいな」と言われて小突かれた。
「僕は直紀の好きな子って入屋さんだと思ってたんだけど、違うの?」
「ん~、入屋も悪くはないんだけど違うな」
「違うのか!」
 思わず博紀が叫んだ。さっきの行為は徒労に終わった。ただ祐希を傷つけて博紀が嫌われただけだった。
「じゃあ誰だなんだよ……」
 博紀ががっくりしているのを見て、決して言うまいと思っていた直紀も話す気になった。
「兄ちゃんは知らないと思うけど、月映冴子つくばえさえこって奴」
「お前、好きな子のこと奴って言うなよ」
「月映さんか……納得」
 俊介は4年生の時に冴子と同じクラスだった。冴子は千智のような美少女というわけではない。俊介は冴子の喜怒哀楽を表に出さず、影があるところに魅かれていた。ただ、俊介の趣味ではなかったので好きにはならなかった。朗らかな直紀が冴子のことを好きになるとは思わなかった。
「でも21回も好きって言うほどじゃないんだけどね。暫定一位って感じ。まだ俺には恋愛とかよくわかんないや。こうやって俊介と遊んでる方が楽しいし」
「そうだよな!」
「兄貴は最近色気づいてきてるみたいだけどな」
「うるせえよ!」
 なんとなく手持無沙汰で卓上の麻雀牌をかき混ぜると、直紀も俊介も博紀の後に続いた。皐月が帰ってくるまで三人麻雀をやって待つことにした。


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