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最後の修学旅行実行委員会(皐月物語 108)

 この日の修学旅行実行委員会はしおりの製本のため、理科室から印刷室に変更になった。委員長の藤城皐月ふじしろさつきは委員のみんなを迎えるため、早めに印刷室へ向かった。
 印刷室には副委員長の江嶋華鈴えじまかりんがすでに来ていた。華鈴は一人でクラス毎に刷り上がった栞の束を分け、製本用のホチキスを栞の上に置いて委員会の準備をしていた。
「江嶋はいつも早いなぁ」
「うちの担任の太田先生って、帰りの会がいつも短いから」
「何か手伝うことってある?」
「もう終わるから、ないよ」
 華鈴はいつものように皐月の目を見て話をしてきた。昼休みの時は顔も見ずに話していたので、皐月は華鈴の機嫌が直ったのかなと思った。
「今日の委員会は製本だけやって、終わりにしちゃう?」
「私は栞の読み合わせをした方がいいと思うんだけど、藤城君はどう思う?」
「そうだな……。じゃあ軽く読み合わせでもしておくか。そういえば、俺たちのクラスは前島先生が栞の説明をするって言ってたけど、委員会はみんなより先にざっと栞に目を通しておいた方がいいかもね」
「うん。どのクラスも担任の先生から栞の説明があると思うけど、藤城君の言う通り、委員会のみんなには先に栞を見てもらっておいた方がいいと思うよ」
 皐月は担任の前島先生から修学旅行実行委員にやってもらいたいことをA4用紙1枚にまとめたプリントを手渡されていて、その中に実行委員がやるべきことと、先生主導で行われることが明確に書かれていた。華鈴に提案された栞の読み合わせは先生の領分だと明記されている。
「まあ、栞の出来上がりの確認ってことで、委員会でやる読み合わせは手短に済ませようぜ」
「私が読み合わせやろうか? こういうの、児童会で慣れているから」
「いいのか? ……いや、やっぱり二人でやろう。江嶋が先に読み合わせしてくれたら、俺はそれを参考にさせてもらうから」
「わかった。じゃあ二人でやろうね」
 皐月は久しぶりに華鈴から親しみを感じたことで、華鈴に対して変な自信が生まれた。
(なんだ。大丈夫じゃん)
 中休み、昼休みと華鈴と目を合わせて話ができなかったのを取り戻すかのように、華鈴の顔を見ていた。皐月は華鈴の涼しげな一重瞼の古風な顔立ちが大好きだ。
「どうかした?」
 華鈴を見ていたら、不意に声をかけられた。
「久しぶりに江嶋の顔を見たなって思って」
「何言ってんの? 今日は何度も話してるでしょ?」
「よく言うよ。全然俺の顔見なかったくせに」
 合っていた目を華鈴に逸らされた。やっぱり華鈴は意識的に視線を合わせないでいたんだと確信した。
「江嶋」
「何?」
「こっち向けよ」
「嫌」
「さみしいこと言うなよ」
 華鈴が皐月に顔を向けた。楽しそうに笑っていた。
「ねえ、藤城君。部屋の隅にある椅子を持ってきて、テーブルに人数分揃えておいてもらえる? もうすぐみんな集まってくるから」
「は~い」
 華鈴とはぎくしゃくしていたが、今までよりもいい感じの間柄になったような気がして、皐月はやっと気分が軽くなった。
「ところでさ、委員会って今日で終わりにしてもいいんじゃないかな?」
 皐月は華鈴に委員会の終了を提案した。委員の仕事はまだ残っていると思うが、全員が集まる必要はないと思ったからだ。
「そうだね……。もうみんなで集まってやることはないかもしれない」
「あとは何か仕事があれば、俺と江嶋の二人でやれば何とかなるよ」
「水野さんもね」
「ああ、そうだな。じゃあ、委員会は今日が最後ってことでいいか」
「うん」
「これで終わるのかと思うと、ちょっと寂しいかな」
「うん」

 印刷室に各クラスの修学旅行実行委員が集まって来た。1組の黄木昭弘おおぎあきひろが自分の描いた表紙のイラストを見て満足気な顔をしている。他のクラスの委員たちも刷り上がった栞を見てざわつき始めた。委員長の皐月は早く作業を始めたいので、クラス毎の所定の位置に座らせた。
「今日はこの印刷が終わった栞をホチキスで止めて製本するよ。製本が終わったら、全員で栞の中身の確認をして、今日の委員会を終わる予定だからね。ホチキスは各クラス1個ずつしかないので、一人がホチキスで留める係をして、もう一人は紙の束を整えて留める人に渡す、みたいな感じで協力してやってね」
 今日の委員会の段取りを言い終わった後、皐月は4組の場所へ戻った。
「筒井。お前がホチキスで留めてくれないかな。俺が栞を整えて渡すから」
「こんなにたくさんの紙、ホチキスで留まるの?」
「大丈夫。小学生の力でも余裕でできるから」
「本当に? なんか信じられない」
「江嶋みたいな女の子が軽々とやってたんだから、怪力女のお前なら大丈夫だろ。力入れ過ぎて、ホチキス壊すなよ」
「そんなことするわけないじゃない!」
 皐月が筒井美耶つついみやをからかうと、いつものように叩いてきた。こんな形でも美耶とスキンシップを取れるのが嬉しいということに、皐月は今頃になって気が付いた。痛くてたまらない時もあるが、気持ちが軽くなっているせいか、今日は叩かれた右肩の熱さが心地良い。
 書記の水野真帆みずのまほが表紙のレイアウトを組む時に、ホチキスを当てる箇所に線を引いておいたので、そこにホチキスを当てれば一定の品質で栞ができる。まず一冊の栞の紙束を、紙がずれないように皐月が押さえ、美耶がホチキスで留めてみた。
「あっ、凄い! 簡単にできた。ねえ、花桜里ちゃんもやってみて」
 美耶が隣に座っている6年3組の中澤花桜里なかざわかおりにもやってみるように促した。花桜里と田中優史たなかゆうしはまだ何もせず、皐月たちの様子を見ているだけだった。
「田中君。私がホチキスやってみたい。紙、押さえてて」
「いいよ」
 花桜里がホチキスで紙を挟むと、軽快な音を立てて紙が留まった。
「本当に軽く留められるね。おもしろ~い!」
 ホチキスで2カ所留めた花桜里が次の冊子をもらおうとすると、優史が目を輝かせていた。
「ちょっと俺にもやらせてくれないか?」
 優史が初めて委員会の仕事に積極的になった。花桜里と優史の役割が代わり、6年3組がサクサクと作業を進め始めた。優史が楽しそうに委員会の仕事をしてくれることが皐月には嬉しかった。

 製本作業が終わると、委員たちは思い思いに出来上がった栞を見始めた。皐月はしばらくは好きにさせておこうと思い、みんなの様子を見ることにした。華鈴の様子が何となく委員会を進めたがっているように見えたので、皐月は席を立って華鈴に耳打ちした。
「もう少し好きに見させてあげよう。俺たちは先に出来上がった栞を見ちゃったから感動が薄いけどさ、みんなはこういうの嬉しいんじゃないかな」
 小声で話すことを理由に、皐月はわざと華鈴の耳元に口を寄せた。華鈴は誰とも違ういい匂いがした。
「帰りが遅くなっちゃうけど、いいの?」
「製本が早く終わったから、そんなに遅くならないだろ」
 このままでは華鈴に心が惹かれてしまいそうなので、皐月は華鈴の隣に座っている昭弘に声をかけた。
「黄木君のイラストのお陰で、俺たちの代の栞が今までで一番の出来になったと思うよ。ありがとう」
「そう言ってもらえると嬉しいな。藤城君が僕の好きにさせてくれたから、のびのびと描けたよ」
「すごく可愛く描いてもらったって、水野さんが喜んでいたよ」
「ほんと?」
「うん。俺はイケメン過ぎだってからかわれたけどね」
「僕にはそういう風に見えたんだけどね」
 皐月と昭弘は隣の隣に座っている真帆に聞こえないくらい小さな声で内緒話をしていた。普段は表情をあまり表に出さない昭弘だが、イラストを褒められて嬉しそうな顔をしている。
「なあ、藤城。このアンケートのところ、めっちゃ面白いな。このアイデアはよかったな」
 昭弘と話していると、6年2組の中島陽向なかじまひなたが声をかけてきた。
「中島が最初に『それ面白そうじゃん。俺、読んでみたい』って言ってくれたからアンケートが実現したんだよ。ありがとうな」
「こんなん読んでたら、早く修学旅行に行きたくなっちゃうよ」
「みんながそう思ってくれたら、この栞は大成功だ。やっぱ旅行って行く前のワクワク感がいいよな」
 印刷室がだんだん騒がしくなってきた。職員室がすぐ隣にあるので、華鈴が先生に怒られやしないかと心配し始めた。
「委員長。そろそろ読み合わせを始めたいんだけど」
「そうだね。じゃあ、江嶋に進行をお願いするよ」
 皐月が元いた席に戻ると副委員長の華鈴が席を立ち、みんなのおしゃべりを止めた。
「今から出来上がった栞の読み合わせをしようと思います。まずは表紙を見てください」
 慣れた様子で華鈴が委員会を進めていった。児童会長を兼任しているだけあって、淀みなく読み合わせが進んでいく。余りにも進行がスムーズなので、皐月は読み合わせの交代をするのを忘れてしまった。
 華鈴の修学旅行の栞の説明は、省略するところと詳しく話すところのメリハリがあって要領が良かった。自分ではこうはできないな、と皐月は華鈴の手腕に舌を巻いた。読み合わせは皐月の予想していた時間よりも早く終わり、最後に委員長の皐月が委員会を締めた。
「これで委員会でやる最大の仕事が終わったかな。後は修学旅行に向けて、それぞれの担任が主導になって準備を進めていくことになるから、実行委員は先生の言うことを聞いて動くことが多くなると思う。今後は委員会を開いてみんなで集まる機会はあまりないと思うけど、もし何かあったらまたみんなに集まってもらいたいんで、その時はよろしく! そういうわけで、今日はこれで解散とします。お疲れさまでした」

 各クラスの委員は出来上がった栞を教室まで持って行った。皐月も美耶と一緒に6年4組へ一度戻った。
 皐月たちが戻った教室には誰もいなかった。教卓の棚に栞を置き、明日の朝の会への備えをした。
「あ~終わった終わった。やっと栞作りが終わったよ~。疲れた~」
「藤城君、頑張ったね」
「筒井が協力してくれたからだよ。ありがとう。助かったよ」
「私、大したことしてないよ?」
「そんなことねーよ。中澤さんと二人で誌面作ってくれたし、中澤さんのフォローもしてくれたし。それに筒井が俺のことフォローしてくれたおかげで委員長の仕事に専念できたんだぜ」
「褒め過ぎだよ……」
「松井じゃなくて筒井が実行委員になってくれて良かったって思ってる」
 目を見て言うのが恥ずかしかったので、耳元に顔を寄せ、囁くように美耶に伝えた。二人の距離が近くなったので、皐月は美耶を抱き寄せたくなってしまった。最近は真理を相手にこういう行動に慣れてきたので、つい美耶の身体にも触れたくなってしまう。
「クラスでの実行委員の仕事はまだあるから、修学旅行が終わるまでは一緒に頑張ろうぜ」
「……うん」
 皐月は美耶から距離を取って、いつもの自分に戻った。美耶とはまだそこまでの関係ではないので、慎まなければならない。
「今日も中澤さんと一緒に帰るの?」
「うん。約束してるから」
「そうか……。じゃあ、俺は先に帰るね。バイバイ」
 美耶に軽く手を振って、皐月は教室を出た。美耶の顔が少し寂しそうに見えた。

 皐月は一人で校舎を出た。玄関で華鈴が待っているかもしれないと期待したが、この日はいなかった。もしかしたら華鈴は皐月に内緒で、まだ一人で委員会の仕事をしているのかもしれない。確認しようかと一瞬考えたが、華鈴がやりたいなら好きにさせておけばいいと思い直した。
 誰とも一緒に帰らないのは久しぶりで、皐月は急に暇になったような感覚になった。ここのところ誰かといる時間が多過ぎて、少し疲れていた。家にいても一人になれる時間が少なくなっているので、こういう開放感に満たされた一人の時間が嬉しかった。
 修学旅行は来週の金曜日からなので、まだ一週間と二日ある。修学旅行の栞の制作が始まったのがちょうど一週間前だった。北川先生からは修学旅行の一週間前までに栞を完成させてほしいと言われていたので、二日早く完成したことになる。よくこの短期間で完成できたものだと自画自賛したくなった。
 校門を出て周りを見たが、今日は皐月を待っている入屋千智いりやちさとはいなかった。出待ちなんてアイドルじゃないのに何を考えているんだと、モテてる気になった自分が恥ずかしくなった。
 今日は細い路地の通学路に入らずに、県道495号線沿いを一人歩いた。皐月の隣には誰もいないので、ちょっと検番けんばんに顔を出してみてもいいかなと思った。皐月が低学年だった頃はほぼ毎日のように検番に立ち寄っていた。
 明日美あすみと口づけを交わしたのはちょうど一週間前の火曜日だった。今日までにいろいろなことがあり過ぎて、随分昔のことのように思えてくる。皐月は無性に明日美に会いたくなった。


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