見出し画像

気持ちのいい朝 (皐月物語 51)

 リビングで一人、藤城皐月ふじしろさつきが日本経済新聞を読みながらモーニングサテライトを見ていると、幼馴染の栗林真理くりばやしまりからメッセージが届いた。昨夜コンビニで買ったピーチパフェを食べに来いと言う。消費期限が今日までなので、また朝に食べに戻るという条件で昨夜は真理の家に泊らずに家に帰って来た。寝坊の真理なのでそんな約束は反故になるだろうと高をくくっていたが、とんだ思い違いだった。今朝の経済ニュースは米金利の急騰など面白い話題が多かったのでこのまま見続けていたかったが、真理との約束を破るわけにはいかない。
 母の小百合さゆりや朝食を作ってくれる住み込みの及川頼子おいかわよりこは、昨夜遅くまでお座敷があったのでまだ寝ている。母たちからは、今朝は及川祐希おいかわゆうきと二人でパピヨンのモーニングを食べてから登校するように言われていた。皐月はパピヨンには行かず真理の家に行って、そのまま家に戻らず学校へ行こうと思った。ランドセルを取りに二階の自分のへ上がると、洗面所に祐希がいた。
「おはよう」
「おはよう。テレビ見てたんじゃなかったの?」
「うん。でも出かけなきゃならなくなったから、今日はここまで」
「こんなに朝早くどこに行くの? 部活があるわけでもないのに」
「ちょっと真理んに用があってね。悪いけど祐希さ、今日は一人でパピヨンに行ってもらえないかな。おれは真理ん家から直接学校に行くから」
「真理ちゃんと二人で学校に行くの? 青春ドラマみたいだね」
「まさか。二人ともそれぞれの通学班に分かれて学校に行くよ。祐希みたいに高校生だったらそんな楽しいこともできるのにね」
「私は一緒に学校に行く人なんていないよ」
「でも一緒に帰る恋人はいるよね?」

 マンションのオートロックで真理を呼び出すと、もう可愛く仕上がっている真理が出てきた。エントランスを通してもらい、エレベーターで上がって真理の部屋の扉を開けると、玄関で嬉しそうな顔をして待っていた。
「おはよう」
「おはよう。思ったよりも早く着いたね。まだ朝食できてないや」
「何か食べ物あるの? ラッキー! 俺、スイーツしか食べられないのかと思ってたよ」
「わざわざ家まで呼んでおいてそんな仕打ちをするわけないじゃない。上がって」
 玄関にランドセルを置いて家に上がると真理が抱きついてきた。昨夜の続きのキスをして、真理はキッチンに戻り、皐月はリビングに行ってテレビをつけた。経済ニュースがまだやっている。
「お待たせ~」
 昨夜買ったスイーツと2枚のトースト、焼いたウインナーとサラダを運んできた。
「なんで一枚の皿に全部乗せてくるんだよ。これじゃ食べにくいじゃん」
「だってお皿2枚使ったらお母さんに誰か来たんじゃないかって勘繰られるかもしれないでしょ」
「あ~ぁ、りん姐さんならそういう細かいこと気にしそうだよな。怖い怖い」
「だから皐月が来た痕跡は残したくないの」
 皐月と真理は二人が引き離された理由を、家庭の事情だけでなく二人が仲良くなり過ぎたこともあるのではないかと考えるようになっていた。小さかった頃は親の言うことをそのまま信じていたが、大きくなって物を考えられるようになると、親の話すストーリーを疑うようになっていた。
「もしかして隠しカメラで録画されてたり、盗聴されてたりしていない? このAIスピーカーなんて怪しいよな」
「たぶん大丈夫だと思うけど……仮に音声を録音されているとしても、チェックされなければいいわけだし。私って普段の行いがいいから信用されてると思うよ」
「まあ勉強しかしていない生活だからな」
「そう。また今日から勉強だけの生活になるの……まあ受験が終わるまでは仕方がないんだけどね」
 改めてこういう話を聞かされると皐月も切なくなってくる。
「もう皐月とはこんな風に会えなくなるかもね」
「そんなことねーよ。泊りは無理だけど、俺はいつだって来てやるから」
「ありがとう」
 テーブルの上にパンの粉をぼろぼろと落としながらトーストを食べた。真理の焼き過ぎた目玉焼きは皐月の好みではなかったが、今朝は美味しい。ゆっくり味わって食べていると、真理が早く食べろと急かしてくる。一枚の皿に盛ったものを二人で突っついているから食べにくい。早食い気味に食べ終わると、少しの時間も惜しむように真理がキスをしてくる。
 頭がおかしくなりそうなシビれる感覚にボ~ッとしてくる。皐月には男と女が惹かれ合うのは心だけじゃないということを、自分が体験するまではわからなかった。悪友の花岡聡はなおかさとしに見せられたエロ動画で、男と女の間にはもっと甘美な世界があることを皐月はすでに知っている。そこへ踏み込んでみたいという衝動に駆られるが、これから小学校へ行かなければならない。
「なあ、学校サボっちゃおうか」
「ダメだよ」
「ずっとこうしてようぜ」
「もうすぐお母さんが帰ってくるからダメ」
 真理の心と身体が裏腹なのは吐息の熱さで伝わってくる。昨日と逆だな、と思っていたら急に舌が深く入ってきた。真理の熱情に応えようと思ったら急に舌を抜かれ、身体を引き離された。
「お皿、片付けるね。皐月は机の上を拭いておいて」
 真理が立ちあがり、急いでキッチンへ入っていくと、すぐに戻って来て濡れた布巾ふきんを投げてよこした。真理のように気持ちが切り替えられない皐月はもたもたとテーブルを拭きながら余韻に浸っていた。丁寧にテーブルを拭き上げ、床に落ちたパンの粉を確かめ終わり、キッチンへ真理の様子を見に行ってみると、もう食器の片付けが終わろうとしていた。
「いつもと同じ。これでバレないと思う。皐月のピーチパフェの空容器は持って帰ってね」
 真理に手渡されたプラスチックの脚付きのカップをランドセルに入れた。教科書もノートも学校に置いてくる皐月のランドセルは中がスカスカに空いている。
「もう少しキスしよ?」
 真理はクラスで背の高い方だが、皐月も背が伸びたので身長差はあまり変わらない。立ってキスするのは慣れていないので、身体がフラフラする。
「俺たち、どんな顔して教室で会うんだよ」
「いつも通りでいいんじゃない?」
「お前、よく切り替えられるな?」
「皐月は引きずるんだ。かわいいね」
 別れ際にもう一度だけ軽く口づけをして、皐月は真理の家を出た。


最後まで読んでくれてありがとう。この記事を気に入ってもらえたら嬉しい。