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修学旅行ごっこ 6 伏見稲荷大社と伏見神宝神社

 このコラムは小説『皐月物語』の中で修学旅行に行く小学生が立てた京都観光のプランを、著者が実際に行ってみて検証したものである。

 今回は伏見稲荷大社ふしみいなりたいしゃへの到着から千本鳥居をくぐって伏見神宝ふしみかんだから神社へ行くまでを記していこうと思う。
 まずは『皐月物語』の中で藤城皐月ふじしろさつきたちが作ったスケジュールの確認から。

13:16 龍谷大前深草駅 着 京阪本線 淀屋橋行 準急
13:23 伏見稲荷大社 着
13:33 伏見神宝神社 着
13:40 伏見神宝神社 発
13:50 伏見稲荷大社 着
14:05 伏見稲荷大社 発
14:20 稲荷駅 着
14:23 稲荷駅 発 JR奈良線 京都行 普通

皐月のスケジュール

 実際に僕が歩いた時の記録は次の通り。

13:01 伏見稲荷駅 着 京阪本線 淀屋橋行 準急
13:10 伏見稲荷大社 着
13:24 伏見神宝神社 着
13:35 伏見稲荷大社 発
13:38 稲荷駅 着
13:53 稲荷駅 発 JR奈良線 京都行 普通

僕の行程

 皐月たちの計画では龍谷大前深草りゅうこくだいまえふかくさ駅で降りる予定だったが、僕は一つ手前の伏見稲荷駅で降りた。
 伏見稲荷大社駅からは裏参道を歩いて行くと、伏見稲荷の楼門のすぐ近くまで行くことができる。

伏見稲荷駅

 僕は前回の伏見稲荷への参拝の時の記憶で、JR稲荷駅から表参道を歩いたルートに引っ張られて表参道に拘り、皐月たちに龍谷大前深草駅での下車をさせようとした。
 街並みは整然とした表参道よりも、雑然とした裏参道の方が面白い。
 伏見稲荷大社駅を出て、飲食店の立ち並ぶ稲荷停車場線(府道119号線)を歩いた。この道は狭くて人が多く、さらに車もよく通るので人込みが嫌いな人には辛い道だ。だが、観光地らしく飲食店や土産物店が並んでいて旅情を誘う。

稲荷停車場線

 JRの踏切の遮断機が下りていたので、僕たち観光客は稲荷橋の上から行列を作って並び、鉄道の通過を待った。外国人も行儀よく、列を乱さずに並んでいたのにはほっこりした。
 さらに進むと交差点があり、その向こうに赤い鳥居が見える。その鳥居から先が伏見稲荷大社裏参道だ。
 朱塗りの鳥居の右隣には伏見稲荷大社の石柱が建てられている。道なりに進むと石でできた鳥居がある。その奥に稲荷神社と彫られた石柱があるので、ここが伏見稲荷だと確信した。
 鳥居をくぐって石畳の参道を歩くとすぐに朱塗りの鳥居があり、その奥に伏見稲荷の楼門が見える。駅を出てからここまでは、マップを見ずに人の流れについていくだけの行き当たりばったりだった。

伏見稲荷大社 楼門

 いつ見ても伏見稲荷の楼門は美しい。楼門は神社の顔だから作る側も派手にするのだろう。ここの楼門は豊臣秀吉が造営しただけあって、大きくて立派だ。狛犬ならぬ狛狐が稲荷神社らしくていい。豊川稲荷を思い出す。

伏見稲荷大社 本殿

 本殿は稲荷造といって、本殿の屋根が拝殿側に伸びているのがデザイン的に面白い。
 本殿には五柱の神が祀られており、稲荷大神の広大なるご神徳の神名化という、よくわからない説明がなされている。
 主祭神は宇迦之御魂大神うかのみたまのおおかみで、お稲荷さんとして広く信仰されている。
 他の四柱の御祭神は佐田彦大神さたひこのおおかみ大宮能売大神おおみやのめのおおかみ田中大神たなかのおおかみ四大神しのおおかみ。これら四柱の神は古事記・日本書紀には出てこない。

 伏見稲荷大社の創建は和銅四年(711年)で、創建したのははた氏という渡来人だ。
 『新撰姓氏録しんせんしょうじろく』には秦の始皇帝の末裔だと書かれているが、本当に始皇帝の末裔かどうかは定かではない。そもそも始皇帝がユダヤ人だという説もある。実際のところはどうなんだろうね。

新撰姓氏録の研究 本文篇 左京諸藩上

 いつかタイムマシンが開発され、本当の歴史がわかる時が来るのだろうか。
 歴史とは陰謀渦巻く政治の世界の記録なので、当事者以外に真実が漏れることなんてそうはあるまい。歴史はフィクションとして楽しむのがいいのかもしれない。

 稲荷神いなりのかみは稲を象徴する穀霊神・農耕神として信仰されてきたが、現在では産業全体の神として商売繁盛を願う人々から信仰されている。
 秦氏が渡来人であるならば、伏見稲荷の神は外国の神ということになる。稲荷神社の総本社である伏見稲荷が外国の神を祀っているとするなら、全国にある稲荷神社も外国の神を祀っていることになる。
 秦氏は京都一帯の豪族だったので、昔の京都は外国人の町だったのだろう。秦氏がユダヤ人ならば、京の都が平安京と名付けられたのもよくわかる。平安京をヘブライ語に直すとエルサレムという。イスラエルの首都と同じだ。

 伏見稲荷といえば千本鳥居が有名だ。SNS 映えするとあって、日本人のみならず外国人観光客からも人気の高い観光スポットだ。
 朱塗りの鳥居が隙間なく建てられている。この鳥居をくぐりって歩いていると、異世界に誘われるような不思議な感覚を得られる。

伏見稲荷大社 千本鳥居

 神社の鳥居には鳥居の内側の神聖な場所(神域)と、外側の人間の暮らす場所(俗界)との境界を表すという意味がある。
 そういう意味なら、伏見稲荷の千本鳥居は神域と俗界の狭間を歩き続ける道ということになるので、確かに幻想的な世界だ。

 あるスピリチュアルの界隈では、鳥居のことを「死に針」と言っている。
 死に針とは鍼灸と逆の概念で、大地に鳥居を置くことでエネルギーの流れを止めるのだとか。神社を使って波動の軽い日本列島のエネルギーを重くするらしい。
 だったら千本鳥居みたいに1万本以上の鳥居を立てられた伏見稲荷はさぞかし波動が重いのかといえば、そんなことはない。京都には多くの観光地があるが、千本鳥居ほどみんなが楽しそうにしているところはないんじゃないかな。これは軽い波動だ。

 僕にはスピリチュアルのことはよくわからない。神社や神様のこともわからないし、歴史のこともわからない。でも伏見稲荷は面白いし、大好きな神社だ。
 さっきは外国の神様と書いたが、これは同じ神様を違う名前で呼んでいるだけで、同じ神様なのかもしれない。
 いろいろな神様がいるが、実は全部同じ神様で、時空によって違う働きをしたから違う名前で呼ばれただけなのかもしれない。
 スピ系のUFO宗教だと神様は宇宙人らしい。この世界は仮想現実で、人は皆アバターだという話もある。御分霊わけみたまとかワンネスという概念もある。そういうのを全部ひっくるめて、オカルトって面白いなって思う。

伏見稲荷大社 千本鳥居

 閑話休題。千本鳥居を奥に進み、途中の鳥居の切れ目から分かれて鳥居のない道を上って行くと伏見神宝ふしみかんだから神社がある。この神社は伏見稲荷大社の神域にあるけれど、摂社や末社ではなく、独立した神社だ。
 僕が初めてこの神社に来た時は行先案内板などなかった。伏見神宝神社が伏見稲荷の中にあるという情報だけで訪れて、現地に来てから勘を頼りに見つけた。ネットのない時代だった。
 その頃に僕の話を聞いて神社友達がここに来たことがあったが、伏見神宝神社を見つけられなかった。千本鳥居を外れたところにあると教えたが、見つけられなかったことを嘆いていた。
 昔はそんな感じで、伏見神宝神社は参拝困難な神社だった。だが今では順路を示す案内板があるので誰でも迷わずに行ける。

伏見神宝神社 分岐点

 伏見神宝神社の主祭神は天照大御神あまてらすおおみかみで、他に稲荷大神と十種神宝とくさのかんだからを祀っている。
 この神社は『竹取物語』ゆかりの神社と言われているらしい。竹取物語はかぐや姫の話として子供たちに親しまれている平安時代のSF小説だ。
 伏見神宝神社の周辺には竹林があり、神社には十種の神宝もあるから、ここは昔からかぐや姫オタの「聖地」だったのだろう。

伏見神宝神社

 十種神宝とは一体何なのか?
 物部もののべ氏の祖神とされる饒速日命にぎはやひのみことは天照大神より十種神宝を授かった。饒速日命は天磐船あまのいわふね(UFO?)に乗って高天原たかあまのはらから地上に下りてきた。
 饒速日命は大和の国を治めていたが、実は天津神の子孫だという。その証拠のしるしとして十種神宝を持って来た。ということは、高天原に呼ばれて十種神宝を取りに行ったということなのかな。
 東征で大和まで来ていた神倭伊波礼毘古命かむやまといわれびこのみこと(神武天皇)に十種神宝を献上し、饒速日命は神倭伊波礼毘古命に仕えた。話の流れからすると、同じ天孫のよしみで饒速日命が神倭伊波礼毘古命を手引きしたとも読み取れる。

旧事記 白河家三十巻本 天孫本紀

 十種神宝の実物はあるらしいのだが、行方はわかっていないようだ。
 神武天皇に献上したのなら、天皇家に実物があるのかもしれない。だから実物の写真もない。あっても神宝なので一般公開はされないだろう。
 十種神宝には鏡や剣、玉が含まれている。
 もしかしたら十種神宝の中に三種の神器さんしゅのしんき八咫鏡やたのかがみ草薙剣くさなぎのつるぎ八尺瓊勾玉やさかにのまがたまが含まれているのかもしれない。天皇絡みだから、ついそんなことを想像してしまう。
 十種神宝の写真はないが、イラストは残されている。伏見神宝神社の御守りに十種神宝のペンダントがあり、そこに十種神宝のイラストが記されている。

伏見神宝神社 神寶御守

 これら10種の宝物の名前は、時計回りに12時の位置から沖津鏡おきつかがみ辺津鏡へつかがみ八握剣やつかのつるぎ生玉いくたま足玉たるたま死返玉まかるかへしのたま道返玉ちかへしのたま蛇比礼おろちのひれ蜂比礼はちのひれ、真ん中に品々物之比礼くさぐさのもののひれ
 十種神宝のそれぞれの働きはいろいろな解釈がなされているが、はっきりとはしていない。でも名前を読んでいるだけでなんか凄そうな感じがする。ファンタジー系の小説や漫画に使いたくなるようなネーミングセンスだ。

 伏見神宝神社には十種神宝が安置して奉られているとされているが、社伝や社務所を見る限り、厳重なセキュリティーが施されているようには見えない。十種神宝の実物が奉安されているというよりも、かつて十種神宝がここにあったという証のようなものがあるのではないかと想像する。
 実際、伏見神宝神社は応仁の乱で被害を受けたようなので、仮に宝があったとしても、奪われるなり焼かれるなりしてなくなってしまっているだろう。戦乱なんてロクなもんじゃない。
 それでもここに十種神宝があったらいいな、というロマンはある。それに十種神宝を由来とする古い神社がここに残っているというだけでも僕は尊いと思う。

 境内社についても少し触れておきたい。伏見神宝神社には龍にまつわる境内社がいくつかある。
 一つは龍頭社で、御祭神は龍頭大明神。龍頭大明神は山王大権現さんのうだいごんげんのことだと由緒書に書かれているので、日吉大社ひよしたいしゃの御祭神の大己貴神おおなむちのかみ大山咋神おおやまくいのかみのことになるのだろう。
 大己貴神は大国主神おおくにぬしのかみのことで、国津神の主宰神。大山咋神は山の地主神。どちらも地の神様だ。
 もう一つは小さな塚で、そこには八大龍王大神、権太夫大神、白龍大神が祀られている。
 八大龍王大神は起源を辿ると古代インドではナーガという半身半蛇の蛇神になる。権太夫大神は大己貴神。白龍は古代中国で天上界の皇帝である天帝に仕えているとされた龍の一種だ。

 伏見神宝神社は龍とも関係の深い神社のようだ。拝殿の横にも狛犬ならぬ狛龍が置かれている。
 龍が国津神とするならば、日本列島は龍の形に似ているからなるほどなと思う。龍が天津神ならば、空を飛べるからなるほどなと思う。龍は天と地の連絡を受け持つ存在なのか。
 伏見神宝神社は空を連想させる話が多い。饒速日命は天磐船という空を飛ぶ乗り物に乗って十種神宝を持って来た。
 かぐや姫は天の羽衣を着て飛ぶ車に乗り、百人ほどの天人を引き連れて月の都へ帰った。
 天磐船といい飛ぶ車といい、UFOを連想させる。天の羽衣は十種神宝の比礼の一種か?

 神話や神社の由緒を調べるのは面白い。その反面、すっきりしないモヤモヤが残る。前の話でも書いたか。僕はこの手の話は好きだが、苦手なのかもしれない。

 今回の旅では伏見稲荷大社を参拝して、伏見神宝神社に行って戻ってくるまでにたったの25分しかかかっていなかった。
 『皐月物語』の中では滞在時間を40分もとっている。だが裏参道などで買い食いしたり、境内をもう少し丁寧に見て回ると、いくら小学生の修学旅行でも40分では足りないかもしれない。
 疲れがたまっていた老体の僕は参拝を早く切り上げて、表参道を歩いてJRの稲荷駅へと向かった。駅に着くとちょうど京都方面へ行く電車が止まっていて、目の前で電車が発車してしまった。なんてタイミングが悪いんだ!
 嘆いても仕方がないので、稲荷駅のホームの椅子に座って待つことにした。待ち時間の15分は伏見稲荷で歩き詰めだった僕には丁度いい休憩になった。神様に少しは休めと言われたような気がした。
 駅には続々と人が集まってきた。外国人観光客が半数以上だ。不思議な光景だなと思った。

 次は東寺を最後に訪れて、名古屋に帰る行程を書くつもりです。次話でこのシリーズは終わります。

最後まで読んでくれてありがとう。この記事を気に入ってもらえたら嬉しい。