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時間が止まり、言葉を失う (皐月物語 37)

 今時の小学生の間では流行らない麻雀まーじゃんが、悪ガキ4人の中に美少女1人がいて、知らないおばさんの部屋という特殊な状況下で始まった。
 5人いるから1人が見学に回り、振り込んだ者と交代する。8000点持ちで始まり、誰かの持ち点が倍になるかゼロになるかで勝負が決まる。
 最下位の者が罰ゲームでみんなの前で歌を歌う。トップを取った者が次のゲームの間、自分の好きな音楽をかけることができる。話し合って決めたこのルールをここにいるみんなは気に入っている。
 ジャンケンで抜け番を決め、1局目は藤城皐月ふじしろさつきが抜けることになった。入屋千智いりやちさとの後ろで闘牌とうはいを見守ることにした。
「おい、皐月。口出し禁止だからな」
「わかってるよ!」
 月花博紀げっかひろきは小学校の教室では決して人に対してこんな口の利き方をしない。特に女子の前では常に紳士のよう振る舞っている。それが博紀のビジュアルだけにとどまらない人気の要因の一つでもある。それと比べて皐月は素を丸出しにしているので一部の女子にしか好感を得られていない。

 博紀の親で始まった。各自手持ちのコインを卓の右端において皆に持ち点がわかるようにしておく。博紀がサイコロを振ると7が出た。対面といめんに座っている今泉俊介いまいずみしゅんすけの山から配牌はいぱいを取る。
 5巡目、月花直紀げっかなおきの捨てたはつを俊介がポン。これはドラなので最低でも7700点。場に緊張が走った。俊介にツモられると一発で最下位終了になりかねないのが博紀だ。
「お前さ、学校で入屋さん同じクラスだよな。うまくやってるのか?」
「当たり前じゃん」
 皐月は博紀と直紀の会話に違和感を感じた。これは千智が目の前にいる今ここで話すべきことなのか? 皐月は自分の疑問を確かめるべく千智に小声で聞いてみた。
「うまくやれてたっけ?」
「そうでもないと思うんだけど……」
 直紀が二萬りゃんまんを切ると博紀がポン。俊介のツモ順を飛ばす。
「席替えやった? 俺たちはやったぜ」
「まだやってない」
「お前らのクラス遅いな。今週中にはあるだろ」
「そうだね」
 博紀がこんなに饒舌になるのはやっぱり不自然だ、と皐月は思った。ペラペラ話していても会話に内容がない。
「入屋さんと隣同士になれたらいいね」
 俊介が会話に割り込んできて、心にもないことを言う。千智に口を利いてもらえない直紀を精神攻撃しているつもりだ。
「入屋に嫌がられるかもしれないから、別に離れててもいいよ」
 結局この局は博紀の早和了はやあがりが功を奏して喰いタンをツモって500点オール。持ち点は博紀9500点、直紀、俊介、千智は7500点、皐月は8000点。モニター代わりに使っていたテレビに皐月がスプレッドシートで作った点数表が表示された。皐月が点数を入力すると自動的に計算される。
「クソ~っ、一発で決めてやろうと思ったのに……」
「俊介が和了あがったら俺が歌わなきゃならなかったからな。ヤバかったわ~」
 ツモ和了あがりの時は親の右隣が抜けることにしているので、直紀が見物に回り、交代で皐月が入る。直紀は俊介と皐月の手牌が見える位置に移動した。

 2局目も博紀が親を続ける。サイコロを振ると2が出た。ドラは五索うーそー、俊介の山の左端の牌がドラ表示牌だ。
「お~っ、ピンゾロの丁だ。1/36の確率だよ」
 皐月が最近覚えた確率の知識を披露せずにはいられなかった。確率という視点で麻雀を見直すともっと面白くなりそうだ。
 博紀は千智のおぼつかない手捌きを見て、麻雀の実力は大したことないと高を括っていた。そんな千智が5順目にリーチをかけたの博紀は驚いた。直紀は手牌てはいを見たくて千智の背後に回った。
「すげーな、入屋。ちゃんと麻雀できるじゃん」
「ちょっと黙っててくれる? あと私の後ろに来ないで!」
「あ、ごめん」
 千智は直紀に対して当たりがキツい。さっき皐月と話していた時の千智は過去の直紀の態度のことをもう気にしていないと言っていた。しかし千智はまだ1学期の直紀との確執を引きずっているのかもしれない。それともただ単に手牌を見られたくないだけなのだろうか。
 博紀と千智は初対局なので千智の実力が想像できない。自分から攻めようとも思ったが、手が悪くて和了ほーらどころか聴牌てんぱいすらできないかもしれない。
「こんなリーチ、何で待ってるかなんてわかんないや」
 強い打牌だはいで手の内に2枚ある二索りゃんぞーを切り出した。皐月は安全な現物の一筒いーぴんを切り、俊介は通っていない危険な九索きゅーそーを切る。
「ツモ」
 千智が一索を優しく卓に置き、ゆっくりと丁寧に手牌を開いた。
「リーチ一発ツモ平和ぴんふドラ1、裏ドラは……乗った! 跳満はねまんっ!」
 裏ドラは表示牌と同じだった。
「お~っ! 千智すげー! 安目なのに跳ねちゃった!」
「マジかよ、クッソ!」
 千智の得点は跳満の一本場で12300点。これで持ち点が千智19800点、直紀7500点、皐月4900点、俊介4400点、博紀3400点となった。千智がトップで博紀が最下位だ。

「げ~っ、俺が最下位か……やっぱ歌、歌わなきゃダメなのか?」
「当たり前じゃん。博紀、男らしくないぞ」
「博紀君、知ってる歌だったらおれが一緒に歌ってあげようか」
 俊介が Spotify から流れている音楽を止め、博紀に曲の選択を迫った。楽しそうにしているのは博紀をからかっているからのか、それとも自分も一緒に歌おうとワクワクしているからなのか。
「あ~っ、もうわかったよ。歌えばいいんだろ。じゃあ『うっせえわ』歌うわ」
 博紀は Ado の『うっせえわ』を選んだ。少し前の曲だが学校で流行っていたので、ここにいる全員が知っている。小学生には大人気の曲だ。
「博紀君、カラオケアプリで歌う?」
「いや、それは勘弁。せめてボーカルに合わせて歌わせてくれよ。それくらいいいだろ」
 歌が苦手な博紀は少しでも自分の歌声を誤魔化そうと必死だ。こんな弱っている博紀を見ることは滅多にない。男ばかりの集まりだったら博紀もここまでヘコまなかっただろう。千智という女の子がここにいるからこそ恥をかくことを恐れているのかもしれない。
「兄貴の歌を聴かされた方が罰ゲームじゃん」
「うるせえ!」
「博紀君、それじゃぁリアルうっせえわじゃん。だったらカラオケアプリはなしにしよう。YouTube の MV に合わせて歌うで決定。それなら映像も見られるし、いいよね?」
 俊介の仕切りでひとまず場が収まった。YouTube で『うっせえわ』を表示させ、いつでも再生できるようにスタンバイさせた。
「ねえ博紀君、歌ってるとこ動画撮ってもいい? SNS に投稿したいんだけど」
「だめに決まってるだろ!」
「ちぇっ、つまんないの」
「ファンクラブの子たちにお前の動画を見せてやったらいいのに。悶絶して喜ぶぜ」
「皐月もくだらんこと言ってんじゃねえよ。それよりさっさと済ませようぜ。歌うのは1番だけな」
 博紀と俊介によって場のルールが整備されていく。年上で学級委員の博紀よりも俊介の方がリーダーシップを発揮しているのが面白い。
「しょうがないなぁ。じゃあ始めようか」
 博紀の歌が始まった。1秒で終わるイントロに乗り遅れて博紀も MV のボーカルと一緒に歌い始めた。テレビの画面に映像が流れ、ミニコンポのスピーカーからいい音が流れる。なかなかいい感じだ。この方がカラオケアプリで歌うよりも絶対に楽しい。
 サビに入る「はあ?~」のところで俊介も歌いだし、「うっせぇうっせぇうっせぇわ」のフレーズは直紀も皐月も一緒になって歌った。2回目の「うっせぇわ」では千智もノリノリで手をたたきながら一緒に歌った。
「はい、終わり~」
 博紀が素早く PC に手を出し、スペースキーを押して動画を止めた。
「え~っ、なんでだよ~、せっかく盛り上がってたんだから2番も歌わせろよ~」
「そんなに歌いたかったら俊介、次からはお前が一人で歌えよ」
「じゃあ次はワザと負けようかな」
 俊介のこの一言に皐月はムッとした。遊びなんだから真面目にやってほしい。
「やっぱり俊介にとってこの罰ゲームはただのご褒美だったな」
「兄ちゃん、もうムキになって勝ちにいくことないんじゃない?」
「はぁ? 俺はもう歌いたくね~よ。次は絶対に勝つから」
「まあいいや。俺は普通に打つからね。俺が負けたら俊介と一緒に歌うわ。一人じゃなきゃ気が楽だ」
 皐月は直紀と博紀の会話を聞いてホッとした。これでやっと普通の麻雀が打てる。勝負にはこだわりたいが、ギスギスしたのは好きじゃない。でも緊張感はだいぶ薄れてしまった。
「じゃあそろそろ2回戦をやろうか」

 男たちが揉めている間、スマホを触っていた千智が手を止めて、顔を上げた。
祐希ゆうきさん、今から家に帰るって。麻雀楽しそうだって書いてあるよ」
「祐希、帰ってくるんだ」
 皐月は及川祐希がこんなに帰ってくるとは思っていなかった。どうせ恋人と会って遅くなるんだろうと思っていたからだ。
「さっきスマホで写真付きのメッセージ送ったら、ちょうど今から帰るところだって返信がきたよ」
「よかったな、博紀。お前のお目当ての祐希に会えるぞ」
「何言ってんだ。俺は麻雀をやりに来たんだ。まあ直紀に祐希さんを会わせてやりたかったってのはあるけどな」
「兄貴がそんなこと言うからってわけじゃないけど、祐希さんに会えるの、俺もだんだん楽しみになってきたよ」
「僕もちょっと楽しみだな。博紀君が好きな人がどんな人か見てみたい」
「てめえ俊介、勝手に話作んじゃねえ!」
 顔を赤くしている博紀を見て皐月は驚いた。博紀は本気で祐希のことを好きなのかもしれない。学校で女子たちにちやほやされても涼しい顔をしているのにこの為体ていたらくは何だ?
「ねえ、先輩」
「ん? 何?」
 俊介と博紀と直紀が騒いでいる隙を狙って千智が皐月に話しかけてきた。
「このメンバー、楽しいね」
「そうか。じゃあまた一緒に遊ぼう」
「う~ん。そうしたいけど、ちょっと難しいかも……」
「えっ?」
 この瞬間、皐月の時間が止まった。騒がしい部屋なのに、何も聞こえなくなった。何か話したくても、言葉を失って何も言えなくなっていた。
「おいっ! 2回戦やるぞ!」
 博紀からの強い再開宣言が出た。俊介が牌をかき混ぜ始めると、博紀がコインの再配分が先だと言って、卓の上に皆のコインを出すように言った。
 あわただしく次の対局の準備が始まったが、皐月は血の気が引いてしまって思うように動けなかった。
「さっきの話、後でね」
「……うん、わかった」
 皐月はこの時の千智の眼の色、声の柔らかさ、微かな笑顔にすがる思いで、ゆっくりと手を動かしてコインを卓の上に出した。

挿入歌 【Ado】うっせぇわ


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