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蔵出し:日曜特別版(5の1)from 野菜さらだの『アメリカは、住んでみなくちゃわからない!』

※この蔵出しシリーズは、1996年~2002年までアメリカに留学していた野菜さらだが後半の1999年~約三年間、週2回発行していたメールマガジンの記事をそのままそっくりお送りするものです。今回は、毎日更新していきますので、お楽しみいただければ幸いです! 今日の蔵出しは、当時の読者の皆様からのメールを編集して公開した日曜特別版です!

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  野菜さらだの
   『アメリカは、住んでみなくちゃわからない!』 日曜特別版
      (1999/8/22発行) 第5号(第1部)(第2/第4日曜発行)
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 日曜版は皆さんからのメールをご紹介する特別版です。今回は、2部構成でお送りします。第1部は第21号「アメリカで見た、広島・長崎原爆のこと」に寄せられたメールの特集号です。まず最初は、広島在住の方からのメールです。

◇「原爆記念日によせて・・・」

こんにちは!野菜さらださん。いつも楽しく読ませていただいてます。
今回の原爆をテーマにした“アメすん”は普段とは違っていましたが、大変感
銘を受けました。本当に平和を願う人々の心が広く世界に伝わるようにとの思いでいっぱいです。

私は学生時代、広島在住のアジアからの留学生を対象に原爆の是非についてアンケートをしたことがありました。その時に70%もの留学生が原爆を肯定したことが忘れられません。日本がアジアの近隣諸国に対して行った戦争時の行為は原爆以上のものだったとの意見が大半でした。”日本は被爆を宣伝の道具にして、戦争被害者の顔をし、責任をとらない卑怯な国だ!”と言われたときはかなりショックを受けました。戦争の狂気が取り返しのつかないことをする。二度とこんな思いをしたくない、我が子にさせたくないと思っています。

この広島の地で待望の第3子(男の子)が8月6日に誕生しました。何年にも亘る苦渋にあったからこそ幸福になる権利もあると思っている私は今では広島を“平和の原点の地”になれるところだと思っています。そこで大きく育って欲しいとの願いをこめて【大地】(だいち)と名付けました。
  ・・・・親の願い通りに育ってくれればいいんですけど・・・・・・
                            一nika一

一一一旧日本軍が近隣諸外国で何をしたか、これこそも「学校で教えてもら
   わなかった」大事な歴史の一つです。台湾、中国、韓国、などの国の
   友だちからそういう事実を教えられ、「知らないことに対して非常に
   恥ずかしい」気持ちで一杯でした。『アメすん』でご紹介した丸木美
   術館には、原爆の絵だけでなく南京大虐殺の絵も展示してあり、被害
   者、加害者両方の立場で絵を描かれている、その点も胸打たれたとこ
   ろでした。(さ)
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 次は、第21号の追加情報「原爆ピアスについて」の続報を「私も新聞で読んだ」という方からのメールです。

◇「アメすん」の追加情報に載っていた記事を日本経済新聞朝(1999/8/8)
でも読みました。以下は記事から問題の部分を抜粋したものです。

【カートランド空軍基地(米ニューメキシコ州)6日=AP】広島と長崎に投下された原子爆弾をかたどったピアスを販売していた米ニューメキシコ州の国立原子博物館は六日、ピアスの販売をやめることを決めた。(中略)
 ピアスは広島に投下された通称「リトルボーイ」と長崎に使用された「ファットマン」をかたどった二種類。二つ一組が二十ドル(約二千三百円)で売られていた。原子博物館で最も売れ行きの良い土産物だったという。原水爆禁止日本協議会はピアスの販売が原爆投下を賛美する行為であると抗議していた。                    【記事はここまで】

 売っていること自体、大きな問題ですが、それが最も売れ行きの良い土産だった、というから更に驚きです。アメリカから見た原爆ってそんなものなんですね。原爆についても、加害者と被害者で受け留め方が随分違うものなんで                    一大阪のサラリーマン一

一一一以前、地震(か何か大きな天災)があった後、それをデザインした
   Tシャツをその現場で売っていた、そういうニュースを見た記憶があ
   ります。人の不幸で商売する、一体どういう感覚を持ち合わせている
   のか、本当に疑問を通り越し、怒りすら感じます。     (さ)
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 実は、「原爆」をテーマにした第21号を前日の夜、配送予約に回した瞬間に、入れ替わりでいただいたメールがありました。被爆2世という立場からの意見を記してくださったその投書を読み、思いきって21号を配送して良かったという思いで一杯でした。その後、21号の感想も寄せていただきました。皆さんにも是非読んでいただきたいと思い、そのまま全文掲載させていただきます。

<第21号(8月10日発行)配送前日にいただいたメール>

◇今日は8月9日。54年前、私の住む長崎に原爆が落とされた日です。アメリカの博物館で、原子爆弾の形をしたピアスが売られていたそうで。被爆者団体の強い意見で、やっとこさ販売中止になりました。でも、一度は販売強行の姿勢を見せてたんですから、本心は分かりません。最初は「核をあおるつもりはない」と言ってたらしいですが、そういう 問題ではない事を未だに分かっていないのです。

「核の傘」なんて古臭い言葉ですけど、信じている人は多いんですよね、世界中に。核抑止論なんて、ハッタリですよ。核に怯えて暮らすのが本当の平和だと思ってるんでしょうか?銃も同じです。過去に大統領が銃で命を奪われたというのに。命を守るために持つのではなくて、命を守るために規制する事が、どうしてできないのでしょうね。本当に不思議です。こればっかりは、アメリカは遅れてます。大人じゃない。

あ~、ちょっとばかりアツクなってしまいました。8月9日は学生は登校日なので、街はなんだか静かです。11時2分になると、更に静かになって。不思議な静寂です。平和公園とあちこちの教会の鐘、それとサイレンの音だけです。

祈りのナガサキと言うだけに、あまり強く訴えないナガサキですけど、これからずっと、最後の被爆地であり続けないといけないのです。広島・長崎に関わりの無い人にも覚えていて欲しくて、こういうメールを送りました。微力ですけど、これは被爆二世としてのつとめかなって思ってます。

最近日曜特別版の盛り上がりもすごいですね。遠く離れた人同士が、意見交換できるなんて、ホントすばらしい事ですね。私にとっても、色んな事を考える良いきっかけになってます。これからも、どうぞよろしく。  

<第21号の感想としていただいたメール>

◇原爆に関する催しはすべて、こちら側(広島・長崎)から「持っていく」もの、または個人が細々とやっているものだと思っていました。ですから、この2つのセレモニーについては本当に驚きです。そして、あの悲劇を忘れない様に、ちゃんと考えている人、考えようとしている人がいることを知って、嬉しく思いました。広島・長崎ではない場所でこういう機会を設ける事は、とても素晴らしいと思います。アメリカの人々、若い人々に核の事、原爆の事を考えてもらう、よいきっかけになったのではないのでしょうか。ぜひ、長く長く続けて欲しいです。

今年、長崎平和宣言の草案委員に、長崎市在住のアメリカ人の方が選ばれました。アメリカ人として、長崎市民としての意見を彼に求めたのです。ニュースで聞いた彼の意見は、「戦後のアメリカ人にとって核は『あって当たり前』、核があったから平和に過ごせたと考えている人が多い」「原爆の事を、あまり知らない」だから「核の本当の姿、恐ろしさを強く世界に訴えるべき」というものでした。彼も長崎に来てはじめて、核の現実を知ったそうです。

原爆を落としたアメリカも、アメリカ人も責めてはいません。ただ原爆を使った事は大きな過ちです。だから核を使用した事を悔いるべきです。悔いなければ、永遠に核と同居することになります。核に対する考え方も改める必要があると思います。日本との考えの違いは、あのピアスに表れていました。「よく売れていた」なんて、どうして言えるのでしょうね。あの爆弾の下の人の苦しみを知っていれば、そんなこと言えないはずです。敵を倒す単なる武器では、決してないのです。核の本来の姿を、国民に知らせるべきです。

核兵器を実際に使った国はアメリカだけ。本来ならば率先して、核廃絶を訴え実行するべきでしょう。でも戦争を繰り返して、核の脅威をちらつかせている限り、核廃絶なんて夢のまた夢のように思えて仕方がありません。なんだか口先だけのような気がして。空爆をやりながら一方で、銃の暴力は許せないと言ってるんですから。

ただ、どこの国のお上も頼りなくて、信用できないものなのかもしれません。だからこそ、二つのセレモニーが持つ意義は、本当に大きいものだと思います。まずは「知ること」、これが大切です。

先の長崎平和宣言はこちらで見る事ができます。
http://www.us1.nagasaki-noc.ne.jp/nacity/na-bomb/index.html

このサイトでは様々なリンクがはられています。「原爆の樹」のなかに「若草町の柿の木」があります。実はこの樹の持ち主は、私の母の弟夫婦です。祖父一家が戦後移り住んだ家の樹なのです。25年前に亡くなった祖父が、この樹を守り続けるように叔父に言っていたようです。樹木医の治療を受けて、今でも毎年実をつけています。その種は全国に散らばって、被爆柿の木二世として育っています。

平和なんて本当はもっと簡単な事だと思います。自分にとって大切な人達にもまた、大切な人っていますよね。そうやっていくと、人ってみんな繋がっていると思うんです。そう考えると、殺し合いなんて愚かなことできないはずなんですよね。考え方を少し、変えるだけでいいはずなんですけど、できないんですねこれが。難しいです。

感想というよりは、私個人の意見になってしまいました。でも、遠い所でも広島・長崎の事を覚えていてくれる人がいるというだけで、とても嬉しかった。覚えていれば、人に伝える事もできるし、忘れる事もないですから。

21号の反響、大きいといいですね。いや、きっと大反響ですよ!ほんでは、次回の配信も楽しみにしてます!           (終わり)

一一一本当に貴重な感想、ご意見をどうもありがとうございました。(さ) 
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 特集最後は、私とメールでやりとりしている、アメリカ人の友だちが送ってきてくれたメールです。広島・長崎のことについての話をしていたのですが、丁度この日曜版の締切直前に下記のような話を教えてくれました。是非皆さんにも読んでいただきたいと思い、本人の許可を得てここでご紹介致します。

◇About 12 years ago I met an older, than me, Japanese woman in
one of my classes at Community College. The woman told me a story
about when she was young. She was told that one day the Americans
would come and destroy the town and everyone who was in it. She
started hating Americans because of this. She lived in fear everyday
knowing that the Americans were coming and they will kill her.

 In the same time period, My mom told me the same kind of story, about when she was a little girl. Because she lived on the coast of
Washington, she was told that the Japanese were going to land there
and kill everyone in the town. They would not have fire drills at
school, they would have air raid drills. They would hide under their
desks. At home, they painted their windows black to hide the lights
and were never to use the car's lights.

This is the part that I think about. A Japanese little girl and an American little girl both thinking that the other ones army will come
and try to kill them. One girl is waiting for the others to invade their
land. Do you know what I mean? I know what I want to say, but I am
not sure that I am saying it the right way.
Just a few thoughts that I wanted to share with you. -Kohimame-

一一一ひと度戦争が起こると、それに巻き込まれ、被害を受けるのは「戦争
   を起こした人達」ではなく、普通に穏やかに暮していた市民です。日
   本とアメリカでかつて小さな女の子だった二人が体験した、全く同じ
   恐ろしい出来事「戦争」は、そのことを顕著に物語っていると思いま
   す。(さ)
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◆編集後記(その1)◆
 いつもどちらかと言えば「軽いノリ」の『アメすん』ですが、今回は「原爆」というテーマを取り上げました。実はこのテーマで書こうと思ったとき、かなり迷いがありました。少しテーマが重すぎはしないか、と。しかし、ニューメキシコでのピアス事件を直前に知り、これは今ここで取り上げずにいつ取り上げよう、そういう思いで思いきって配信しました。被爆者2世の方からも貴重な意見をいただき、やはり今配信して良かった、そういう思いで一杯です。
 少しずつの歩みですが、こちらでの原爆に対する啓蒙活動の大事さが少しでもお伝えできれば幸いです。

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◆お断り:この『アメすん』は、かつてアメリカのオレゴンに住んでいた野菜さらだが個人的に体験した、おもしろい話を友だちや家族に話すようなつもりで書いたものです。アメリカの他の場所とは違う、というエピソードも中にはあるかと思いますが、まあ、気楽に読んで楽しんでください。
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#創作大賞2023

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