雨のため予定流れて

友だちと猫カフェでお茶をする予定が雨で流れた。今日は朝からずっと雨がサーサー降り続けている。

カンボジアに来てから「雨だからやめとこっか」という理由で予定がこんなにも流れ得ることを初めて知った。

日本なら傘をさしたり、予定を遅らせたらしのげるような雨の量であっても、カンボジアでは洪水が起こってしまう。すぐに道のあちこちに小川がうまれるのだ。それに加えて晴れていたら原付で移動している人たちもみんな車を使うのであちこち渋滞が起こる。普段10分で行けるところが40分かかってしまう。

そういうわけで、雨の日は無理に約束を守るよりも家にいた方がずっと快適。安心で安全。


カンボジアで雨のため予定が流れるといつも思い出す人がいる。友人の弟だ。

彼は当時高校生で、真面目に学業も部活にも取り組んでいたことが評価され、有名企業の高校生就職枠へ推薦された。田舎のなかでエリートコースである。ところが面接の日に、電車が止まり学校も休校になるほどの大きい台風が日本に上陸した。交通機関が麻痺していたため、友人の弟含め当日面接を受ける予定だった学生は全員会場へ行けなかった。

その有名企業は、後日代わりの面接日を伝える代わりに「全員不採用」を言い渡した。「台風が来ることは事前に分かっていたのだから会場すぐそばのホテルを取るなどして対策できたはずだ。こんなこともできないようでは、社会人としての意識が足りない。来なくていい。」

ホテルの予約、ニュース、正確な気象情報、めったに遅れない交通手段。

たくさんの便利なものは人がコントロールできることを増やす。

その一方でコントロールできることが増えれば増えるほど、寛容さが消えていくのだなと思う。

まだ高校も卒業していない、地味に真面目にコツコツ生きてきた18歳少年にコントロールできないなら来なくて良いといってしまえる社会がいいのか、

「雨だからやめとこっか」が通じすぎてしまう非効率な社会がいいのか、

どっちがしあわせなのだろうと思いながら雨音を聞く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?