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優秀な人間とは、座組みがわかる人

座組みとは、元々は歌舞伎や寄席、演劇や見世物などでの出演者の構成のことを言う。

人生においての座組みとは、「構成と流れ」だと言えそうだ。構成というのは、自分の周囲の要素のことで、「人・時・所」と考えればいい。人というのは自分と周囲の人間の関係性である。夫婦でも離婚をすれば他人になるし、友達の会社に入社すれば、上司になるかもしれない。周囲の人は、自分にとって配役であり、配役通りに演じてくれるなら、人の座組みがうまく行っているということである。逆に、その人の能力には見合わない配役に配置してしまうのは、座組みがうまく行っていないということになる。


仕事という座組み

仕事ができる人というのは、仕事の座組みがわかっている人と言える。仕事をいうのは、「依頼内容×やる人×時間」で表現することができる。依頼内容がめちゃくちゃだと仕事もめちゃくちゃになる。「とりあえずやっておいて」というのは、いい仕事ができない依頼方法だと言える。しかし、この手の依頼でも、いい仕事ができるのは、仕事をする人の質が高いからである。

そう考えると、仕事とは依頼内容を明確にして、できる人に頼むという座組みであることがわかる。さらに、仕事にかける時間計算も大切で、忙しい人に急な仕事は頼めないし、余裕を与えすぎると放置されることになる。

仕事ができる人は、受ける側になったら、「仕事をする」座組みをするし、発注する側になったら、「仕事を出す」座組みをする。ので、「お金を払っているからいい仕事をしろ」とか「入札で業者を決める」というのは、座組みが不完全になることが多くなって


家族という座組み

家族の座組みの基礎は、夫婦である。どんな人と結婚をするのかで、おおよその座組みは決まる。その時に大切なことは(今だからわかるけど)、自分と相手の配役をどうするのかということである。自分は自分のままで、相手にも自分に都合がいい配役を期待して座組みをすると、その関係は近い将来に破綻する。

夫婦という土台を作ってから、子どもという配役が生まれる。そうなると、夫婦の親も巻き込んだ座組みとなっていく。それが家族の座組みである。

子は巣立ち、家族の座組みも変わっていく。親離れ、子離れというのは、座組みの変化であり、人生の後半は、夫婦という基礎の座組みに戻る。

この座組みの失敗が熟年離婚であるのだけど、新しい座組みをするチャンスでもある。しかし、どんなに信頼しあった夫婦であっても、同日に死ぬということはない。最終的に人は一人になるのである。


自分の人生の座組み

僕は今年53歳になったのだけど、自分の人生はこんなものではないと思っている。この感情は不全感にもなるけど、人生の目標を持てるという利点もある。

僕が思うような人生を生きていないということは、僕が僕の人生における座組みをうまくできていないということである。

一応、出版をしている身としては、死ぬまでにベストセラーを出したいと思っている。かつ、その本は僕の死後も増刷される本が理想である。

ということは、僕は自分が書くべきテーマを見つけることが重要で、闇雲に文章を書きまくったりするような努力をすることが重要なのではない。

よく報われる努力を報われない努力と言われるが、違いは座組みが考えられているかどうかだと思うのである。


キムタクを主とした座組みは僕には当てはまらない。

やはり、人まねで人生がうまくいくはずもなく、単に努力をすればいいというものでもない。まずは座組みを考える。しかし、考えている間に人生の時間は減っていく。だから焦る。まぁ、それが人間だということでもある。

僕はこのままでは終わらない。とりあえず、そんなことを考えている。

53歳、バツイチ独身男の冬。



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