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メルカリ商売とお金の話

いまはメルカリだけど、昔はヤフオクで本を販売していて、1,400円の一冊を中古800円で売ったりしていた。お金ないけど本を読み漁ってたかったから、ブックオフに売ると良くて400円とかなのでそれよりもいいだろ、という考え。

それを当時の友人に話したら「手間じゃん」と一蹴されたことが、すごく印象に残っている。ようは、その"手間"を自分でやるから多くお金が手元に残るわけだけど、それを嫌う人は逆にお金をかけて手間を省く。ブックオフに売るというのは、手数料を支払って手間なく販売代金の何割かをもらうということと同義だ。

こういうのは視点の違いから生まれる考えだと思っている。良い悪いではなく、買う側と売る側でキレイに視点が分かれてる。
他の知人にヤフオクのことを話したら「すごいね、生きる力だね」と言われて当時は「?」だったけど、商売を『生きる力』と比喩した知人は、とても賢い人だったと思う。

少し話が脱線するけど、自己啓発本なんかでは、「スーパーを何軒も回って安くモノを買うくらいならそのお金で時間を買って自己成長に時間をあてなさい」という主旨の文が出てきたりする。

自分がどっちを良しとするのか、ケースバイケースで変えていくのがベストかなと感じる。スーパー何軒も回るのは時間の無駄感があるかもしれないが、それもどういう気持ちで本人がやるかにもよるとは思う。

嫌々やるくらいなら手間賃を払ったほうが、潔い。楽しくやれるなら、安く買えてテンションまで上がってダブルでお得だ。売り買いってそういうシンプルなものだと思う。商売だって、そこに気持ちが乗らなきゃ面白くない。

メルカリは正直言って儲かるとか以前に、"面白い"と感じる。単純な損得だけではない何かがあるから、やりたいと思えるのだ。

ビジネスや商売を嫌う人は、総じて損得に敏感な人が多いように思う。商品を売ってお金を稼ぐことに、どこか罪悪感を覚えてしまう。お金を払うことに抵抗がある。私もそうだったので、すごく気持ちがわかる。けれど、ビジネスはプラスの循環だ。
何かを欲しいと思う人がいて、提供されたものに対し適正なお金を払うとき、そこにはワクワクや満足感がある。同じように、売る側も満足している。Win-Winというやつで成り立っている。

子どもの頃、欲しいものを手に入れるときにはワクワクしかなくて、そのお金がもったいないとか誰が得するとか考えただろうか?

損得ではなくて、純粋に手に入るワクワクで一杯だったはず。そんな気持ちで、お客さんは購入してくれている。ならば売り手側は、その気持ちに対し誠意で応えて、商品を丁重に扱い提供してお金をいただくのが仕事。
このとき、商品の価値は減るどころか、増えている。「お金を払われた+相手の手元に商品が渡る=価値は販売前より増えている」という計算上の理屈もあるけれど。なにより、2人分の気持ちが乗った商品は、とても貴重なものとなる。

お金をもらうことへの罪悪感は、お金を払うことへの抵抗感と比例している。本当に欲しいものを買い、素直に喜んでいけばいいと思う。それに、いまは不況なのでこんなことを言うと不謹慎かもだが、お金は本当はそこらじゅうにあるのだ。そして欲しいもののためなら、人は躊躇わずお金を流せるのだ。お金の入口を作り、自分のもとへ流してもらえばいい。その手段のひとつが、メルカリやヤフオクだったりするだけで。
 
これから、キャッシュレス決済が主流になって、どんどんお金の流れは軽くなっていくと思う。その価値まで薄まるかはわからないが、良いところに目を向ければ、お金の流れが良くなるということが挙げられる。もちろん、現状は不況であり、みんなお金を大切にしまっているところなのでもう少し先の話にはなるけれど。

少なくともメルカリが未だに活気に溢れているのは、ポイント決済というシステムが一役買っていると感じる。あのメルカリという箱の中ではお金の扱いが軽く、経済の流れが良いのだ。メルカリ内を仮に現実の箱庭と例えるなら、あの中は好景気だよなと感じている。

長くなったけれど、不況の中でもこうしたチャンスはどこかにあるのだろう、と思う。全体が不況だとしても、細かく見ていけば違ったものが見える可能性もある。世の中はいま広く世界を見がち(マクロ)なので、逆の発想で、ミクロな視点を持つようにしてもいいかもしれない。普段はみんなミクロなんだけど、期間限定で特別にマクロなのだと個人的には感じている。

自粛期間なので、こういったことにも目を向けるいい機会かもしれない。と、私は思って楽しんでいる。

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