『パンデミックの倫理学』を読む――「倫理を問う」とはどういうことか

 「医療の世界にも倫理(学)が必要だ」とよく言われる。それはその通りであると私も思う。しかしこうしたことは、私の思いとはかけ離れた意味をもって言われる。それは、このような場面である。

「患者が死にかけている。しかし、医療資源が足りない(医療にかかる人が少ない、患者が死ぬに任せてくれと言っている、などに置き換えも可能)。医療者は、患者を助けるべきか」。

 そして、そのような場面において、倫理(学)は視座や指針を与えてくれる、というのである。そして、そのような期待を倫理(学)は持たれている、そういうものとして理解されている。
 1967年、イギリスの哲学者フィリッパ・フットは、「トロッコ問題」という思考実験を発表した。その要諦とは、「5人を助けるために1人を犠牲にする(殺す)ことは許されるか」というものである。フットのこの提起は、哲学者の間で物議を醸した。
 時代が進み、医療技術が進展した現在にかけては、こうしたトロッコ問題を生命や医療の分野に「応用」することが、「倫理の問題を考える」ということになっている。「5人の重病人を救うために、健康な1人を殺して臓器を分け与えてもよいか」「出産すれば死んでしまう妊婦を救うために、胎児を中絶してもよいか」といった問いが、生命や医療に関する倫理(学)の問題として問われるのである。

続きは、『季刊しずく』12号に掲載されます。ぜひ、ご購入をお願いいたします。

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