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終着未定の片道切符から、未来で自由に行き来できる往復切符への希望をのせて。

今回のCOMEMOのテーマ企画は「転勤は無くなるのか」について。わたし自身は業務上における転勤はいままでに経験したことはないが、転勤についていく家族側の立場としての経験と、転勤に左右される同僚たちをみてきた。個人的な意見としては、「転勤」はしばらく無くならないと思うが、従来のいわゆる転勤は早く無くなったほうがいいと思う。転勤って、何なんだろうか。

転勤は人生の好転機なのか?

前職はわたしがいた部署はそこまで多く転勤が発生する部署ではなかったが、転勤自体は比較的社内で多く発生する職場だったと思う。全国規模で受注する案件も多く、各地の工事量に合わせて人員が配置されそのたびに現場のメンバーや責任者の転勤を伴う異動が起こっていた。

いきなり話が横にそれるが、前職の同期や同僚の男性は多くが転勤を機に、それまで長年付き合っていたり同棲していた彼女と結婚をした。これはいろんなところで聞く話だが、男性は今までの人生の流れが大きく変わる瞬間に突然「結婚」を意識するらしい。この言葉だけだとなんだか運命的にも聞こえるが、実際はもちろん彼女と離れたくなくて一緒になるというのが建前ではあるものの、本当は一人で見知らぬ土地に行くのが不安だとか、家族として転勤したほうが手当てがいいとかそんな理由で籍を入れるひとが半数ぐらいの肌感である。

また、全国転勤可能な総合職は若手の昇進につながりやすいというのも事実としてあった(こんなことはないほうがいいが、事実としてまだ現存していると思う)。それは本社では人数が多いため空きが出にくいポジションが、地方に行くと経験の浅い若手でも手に入りやすいというチャレンジの機会になるのだ。地方で役職あるポジションを経験した若手メンバーが本社に戻ってきたときにマネジメントとして活躍するという構図は、きっと全国規模の日本企業においてはよく見られる光景なのかもしれない。

このようにこれから新しい生活様式をつくっていくには、確かに転機にもなりうるのかもしれない。しかし、既にこの生活様式を確立しているひとが転勤になった場合、好転的なきっかけとなる場合もあればそうでない場合もあるであろう。

転勤のやっかいなところは、先が予測し難いところ。

従来わたしたちがイメージする「転勤」のいちばんやっかいなところは、転勤したあと果たしてその場所にどのぐらいの期間いるのか、また再び転勤となる可能性があるのか、そのあたりが一切確約されたものがないというところではないだろうか。

これはわたしが転勤に振り回される家族の立場で経験した話にはなるが、「次にいつまた転勤が発生するかわからない」というのは家族にとっては心理的な負担も大きい。この土地に果たして根付くことができるのか、子供の転校は今後も発生するのか、配偶者がもともと働いていた場合、転勤先で同じように希望する仕事を見つけられるのか。とにかく、振り回される側のライフプランの予測が立て難いのだ。

いま考えると典型的な転勤族の妻だった私の母は、フルタイムで企業に勤めたり、外にパートに出たりはせずに家で会計事務所の簿記の事務仕事を行っていた。子供と一緒にいたいというのが一番の理由だったと聞いているが、本当は外に勤めにいきたかったが、結婚してから専業主婦だし、いつ引っ越すかわからないから難しかったという話もどこかで聞いた記憶がある。

そんな母の簿記の仕事は、全国どこに行っても宅急便で届き、案件が終わったら宅急便で返すという方法で行なわれていた。ちなみに母はいま64歳だが、父がとっくに定年した今でも同じ仕事を続けている。いまだに小規模な地方自営業のひとたちは紙で帳簿をつけている人がいる。電子化が進むなか、逆にいまとなってはそのアナログな仕事をできる人が数少なくなっており、母のようなベテランが重宝されるらしい。家にいるときは当たり前のように思っていたが、働く場所やライフステージに関係なく30年ぐらい前からフルリモートワークを行っているのは、単純に尊敬に値する内容だ(よく寝ながら仕事してるけれども)。

親の転勤の影響で子供が振り回されるときの様子(注:あくまで私個人の主観による内容です)は以前このnoteに書いていた。大人になってから思うのは、多様な価値観を受け入れられたり、自分の選択肢が広がるという意味でも子供の頃からいろんな土地での生活を体験することができたのはプラスだったと思えることができている。しかし当時は結構大変だった記憶でいっぱいだ。

終着地不明な片道切符は、未来で自由に使える往復切符にならないのか。

東京で生活し東京に本社がある会社で働いていると、ついつい転勤のイメージは東京から地方に行くというイメージが真っ先に浮かんできてしまうが、実際は住み慣れた地方から東京や大阪などの巨大都市に転勤になるというパターンもある。たとえば地方の案件が少なくなってきたので、活躍していた主力メンバーを東京へ転勤させるなどもよくあるが、プロジェクトの数や仕事量を考えると、東京からどこかへ行ってまた東京へ戻ってくることよりも、もともといた地方に戻るほうがずっと難しいような体感値がある。

しかし地方で働くひとたちは、その現地が地元であるひとも多い。家族や親戚が揃う地方都市から出てきたひとの大半は、地元志向が強く、数カ月から1年経ったぐらいで地元に戻りたいといいだす姿をこれまでに幾度となくみてきた。「いずれは地元に帰りたいです」とことあるごとに会社には申告するが、なかなかちょうどいいタイミングとポジションがあるわけでもなく、転勤先で活躍して帰らせてもらえない一方的な片道切符を握らされているという光景を何度もみてきた。

そして、その希望が叶わなかったひとたちは会社に希望を出しても通らない憤りを覚え、地元で働くことを優先し、優秀な社員が会社を辞めていく。転勤は本当に会社にとって有益な人事異動なのだろうか。できればこの会社で働きたいのに、働く場所の希望が叶わない。その希望は社員のわがままなのだろうか。その希望を挫くことは、だれにとっての幸せなのだろうか。

ここ数カ月で私たちにとって働く場所の概念というものが少しずつ変化してきているのではないかとも思えるが、まだまだこの傾向は一握りであり、従来の職種、従来の企業体質ではまだまだ働く場所にとらわれざるを得ない仕事が日本にはたくさんある。

若い労働者がひとつの場所にずっと留まって働くという時代ではないこれからの世の中で、労働人口も減少し、地方からも人がいなくなる一方で、今後よりみんなが働きやすい社会を目指していくためには、「転勤」という概念もこれまでの終着地不明の片道切符から、社員が心から働きたいと思えるような未来のある往復切符へ変わっていくべきだと考える。旧来型の日本特有のこの文化は、どんどん様変わりしていくわたしたちのスピードについてこれるだろうか。この先の動向を見守りたい。

「おいしいものを食べている時がいちばん幸せそうな顔をしているね」とよく言われます。一緒においしいもの食べにいきましょう。