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対話における「信用」ってなんだろうー対話のコミュニテイの日記 vol.1

このnoteの目的:じぶんにとっての新しい学びの定点観測と、感じたことや思ったことを言語化していく練習のためにnoteを書きます。

2023年4月19日、楽しみにしていた「対話のコミュニティ」がはじまった。なんだか少し新鮮で、おもわず書いて残しておきたいな、とおもったので思いつくがままに書いています。コミュニティ初回の、あくまで超個人的な、他の人にとってはあまり参考にならない、今のあたまのぐるぐるをそのまま書いたメモ書きです。

本編に入るまえにおもったこと

ひさしぶりにほぼゼロベース、完全参加者として新しいコミュニティに参加しているきがする。「ああ、もともとわたしは人見知りだったよな」ということをおもいだす。役割がない場での自分の自己紹介って、やっぱり何回やってもむずかしい。まず、呼んで欲しい名前がわからない。「おおつかさん」って呼ばれているけど、これを自分であだ名と呼ぶのもなんか違うんだよなあと思い、下の名を書くもあまりしっくりきていない。ちゃん付もしっくりこないし、かといっていきなりこの場で今一番呼ばれている会社のあだ名にすると、なんかちょっとまた心持ち違うんだよな~、としょっぱなからひとりで悩む。そういえば、普通にあだ名で呼ばれる友達と最近会ってないなと別のことまで思い出す。呼んで欲しいあだ名ひとつ持っておきたいなとおもった。通し名。そして、「好きなこと」「マイブーム」がすごくむずかしい。ないことはないのだが、わたしはこの答えに飽きているんだなとおもった。限られた時間の中で初対面の人にお伝えできる話で、まあまあ話をしようと思えばできることを優先しようと頭が無意識に働いているきがするので、あまりおもしろくない。じぶんの中で消費してしまっているのだろうか。そろそろお決まりの話以外もしたいよね、と自己紹介でおもった。

これを客観的に眺めた感想:なんかわたし以前よりこじらせてない?大丈夫?

本編:初回ゲスト 桜林直子さん

サクちゃんさんこと桜林直子さんがゲスト。世界は夢組と叶え組でできているにであってから大好きで、「となりの雑談」も、もちろん俺得なPodcastすぎて大好きなので、純粋にめっちゃうれしい!

そして想像以上に初回から、いい意味で「やられた!」というか、「脳みそ慣らしてる場合じゃねえ!」という脳揉み体験だった。初回という観点においては「コミュニティの初回なのに、すごい切れ味だったなあ」というのがざっくりとした全体所感。おもわず話を聞きながらとっていたメモにパワーワードを書き出し、後ろに「w」と書いてしまっている。切り返しの鋭さに草である。スコーンという音が鳴ってる感じがして最高だった。

1スコーン目は「答えやすい質問を聴いて、どうすんの」だ。

「みんな答えやすい質問をしてきている。きっと気を遣って相手が答えやすい質問を聴いてくれるけど、それって本当に聴きたいことなの?」

はっとした。たしかに、自分が聴きたいことよりも、相手に失礼がない質問を選ぶのがよきことであるという認知をしているきがした。「会話がはずむかどうかは、質問の仕方も重要。そしてその質問をされた相手は、質問者がが本当に聴きたいとおもって質問してきているかどうかわかる。」といわれて、たしかにとおもった。聴きたいことがないときは無理に聴かなくていいんだ、と思ったが、自分の興味の有無とは裏腹に、雑談をすることで場を持たせたり、活性化させねばならないというときを想像したら結構ムズイなと思った。

たしかに、場繋ぎや場を活性化させるための無駄な会話は、実のある話はほとんどなく、社交辞令やうわべだけの会話になることが多い理由はきっとそこなんだろうなとおもった。聴く側も別に聴きたくないけど聴く、答える側も聴きたいとおもってないことをわかっているが、回答する。当たり障りのない会話ってそういうもんだ。そしてわたしはこのシチュエーションをこなすことはできるかもしれないが、あまり得意ではないなとおもった。

途中で桜林さんが「会話を”言葉のキャッチボール“と考えることがあまりすきではない」というお話をされているときも、今までなんとなく感じていたことが言語化されたきがした。「ちゃんと受け止めなきゃ、受け取ってもらえるように投げなきゃ」ではなく、「おたがいにテーブルの上に出し合う」。「わかるように話さなくていいよ。わからなかったら聴くから」というスタンスと言葉に安心感を覚えた。難しいけど。

このパートでのりょうじさんのコメントで、コーチングとの違いもわかりやすかった。コーチングはより技術的で、こうやるといいよを体系化しているのがコーチング。 でも人と人は型にはめればいいのかというと違うけど、逆にその場で作り上げるのが怖いからコーチングの型を活用している。フローで話をつくっていくのは力がないとできない。

この後にも出てくるが、コーチングと雑談は目的が違う。コーチングは相手に興味があろうが、なかろうが(もちろんある程度は寄り添う前提ではある)、適切な型をセッションであてることができれば一定満足が得られたり、ネクストステップに落とし込むことができる型があるので逆にやりやすいが、話す側も特に解決したいテーマを持ってきておらず、ゴールがない「雑談」ではそうはいかず、難易度が高そうだと感じた。

こんなことを考えることってなかなかないよな。わたしは定期的に参加しているコーチングセッションの練習会の冒頭で話したいテーマがいつもみつからないなあとおもっていたけど、この辺きいてみたいな。話したいテーマがないんじゃなくて、わたしが頭使って考えてないだけだったわ~、ときがついた。全然関係ないけど、やっぱり日常の外にでてみないと、ふとした疑問やテーマって意識しないと見つけにくいなあとおもった。

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2スコーン目は「話せないときは信用していないとき」だ。

勇気がいるけど、こちらから先に出す。自然体でいることが大事。

こちらから先に自分を出すことで、その話をしたいと寄ってきてくれる。そして相性がいいひとが寄ってきやすく、悪いひとは寄ってきにくくなる。

「がんばって話そうとする」よりも、そこに信用があるかどうか。
話せないときは信用がないとき、だから信用がない相手に無理に話さなくていい。話せないときは信用していないとき。

そうか、「信用」なのか。相手からポロっと話を引き出せる魔法みたいなものがあるのかと思っていたが、そこにあったのポロっとしていいんだという場や相手への「信用」なのだ。その「信用」のある結果、ポロっとするらしい。そうなのか。言われてみれば納得なのだが、ここで問題なのはわたし自身が「信用」ってどういう状態なのかがわかっていないことだ。

もしかしたらサクちゃんさんの言う「信用」が、わたしがおもっている相手との信用と少し違うのかもしれない。これにしっくりくる自分なりの表現をみつけていく必要はありそうだ。

でもたぶん、そういう場でもポロっとしてしまうコミュニケーションがサクちゃんさんは特に長けているんだろうなあと想像する。魔法ではないが、抽象的なものを表現する言葉のセンスや、相手の頭に問いが残る切り替えし、「あーそれそれ」と思わず言いたくなる言語化、、、など、たぶんその人らしさがでる部分でポロっとしやすい場をつくるのが「上手」なのだとおもう。実際わたしはこうやってサクちゃんさんの話をきいて、自分の今思っていることを言葉でポロっとしたくなったので、たぶんこのnoteが書けている。いつも書こうとおもっても、かけないのに。

ちょっと横道に逸れるが、ここでは「上手」か「下手」かの話であることも大事なきがしている。この人にしかできない生まれつきのスキルなんですって言われてしまうと、そこで終わってしまうのだが、下手でも下手なりに、毎回するっとぽろっとはいかなくても、「やっていれば誰でもできるよ」ってことなんだろう。この会の中で、「なめられない訓練は2年ぐらいかかるけどでできるよ、技術だから」というお話もあったが、こういうところがサクちゃんさんの「置いていかない」のひとつなんだろうなと思った。懇切丁寧に寄り添って介助するようなねっとりした置いていかない、ではなく、「うんうん、わかるよ。でも大丈夫だから」とそっと背中を押してくれるような置いていかなさ、なんだろうな~と、となりの雑談を聴いていても思う。

さて、「信用」について話をもどしてみる。

(信用)

自分から先に自分を出す・自分から先に相手に興味を持つ

相手も興味を持つ

(信用?信頼?)

話しが自然に深まる、ポロっとする

なのかなあ?こんなこと考えながら会話してないけど、確かに、自分の話をするのが苦手という自己認識があるわたしは、このフローを日常の中ではあまり体感したことがないきがする。いや、でも確かに、あの場はそうだなあというのはいくつか思いつく。そういう場が増えると本音がいいやすくなるってことなのか?むしろそういう場があまりないと感じているのが、わたしが本音を言いたくないからなのか?なんか難しくなってきた。

「人と会話するのは苦手ではないが、自分の話をするのが苦手である」というのはいかにうわべで話をしているのか、という結論になるなあと、心当たりはすごくある。「雑談」って結構無意識だけど、無意識レベルのことを話していいからその場に信用や信頼があるのか。信用のない相手がいると、そもそも雑談にならないのか。いや、そもそも「雑談」と「信用」が結びつくと思ってなかったよね。この辺はすぐにわからないので、この対話のコミュニティでの学びを通じて、少しずつ理解をしていけるといいなと思う。

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3スコーン目は「心を開いてくれたかどうかは、どうでもいい」

相手が心を開いてくれたかどうかは「どうでもいい」。それを目的にしているわけではないから。

初回の中で一番個人的なパワーワードだったかも。
わたしのメモではここに「草」が生えている。

いかに普段「人と会話するからには実のある話をせねばならない」「相手に何かを持って帰ってもらわないといけない」などの、「~でなければならないコミュニケーション」に染まっているのかに気付かされたひとことだった。

サクちゃんさんは「雑談」の際に、普段その人から出てこないものを引き出そうとか、心を開かなきゃとか、役に立たなきゃとかはおもっていない。では、なぜポロっと話が出てくるのか?という見解については「人は普段、90分間も自分の話をすること・聞いてもらう機会がないから、そりゃ90分もあれば何か出てくる」というシンプルなロジックだった。心を開かないと本音なんて出ないんじゃないか?と思いがちだが、「どうぞ心を開いてください」と言われても逆に身構えてしまって、何かいいことを言わなきゃとか、これを言ったら相手はどう思うかなとかいろいろ考えてしまって本音はなかなかでてこない。やっぱりどこまでいっても「自然体」であることが大切なのだ。

この話のくだりで「だからコーチングが苦手なのかも~」とサクちゃんさんが明るく仰っていたのに共感した。わたしもいわゆる「コーチング」を受ける側、特にコーチ役が全然知らない他人とかになると、コーチがが質問しやすいテーマや話の流れで話さなきゃと思ってしまい、結局話したかった本音を話せずに消化不良で終わることが多い。

しっかり話を聴けた、聴けなかった、心を開いてくれた、くれなかったは結果として話を聴く側自身の満足度に繋がる話だ。そうじゃなくて、ただただ目の前に現れたコトに向き合うことなんだと思う。そこに結果は求めない。自然に結果はついてくるものなのである、ということだろう。

心を開いたからポロっと出るんじゃない、深い話ができたかどうかとかどうでもいい、出せたなら、なんだってよかったね

そうだ、なんであれ、出せたならよかったねなのだ。

どうしても会話をするぞ~!と意気込むようなコミュニケーションでは自分の満足度が得られる方向に考えがちだが、結果としてクライアントが出せたんだったらよかったね、は、話の深さも心の開き具合もきっと関係ない。

「90分自分の話をする機会がないから、そりゃ90分あれば出るよ」は、なんだか機能的であるが、そこに結果を求めないからこそ、逆に本質的で自然な結果が得られるのだと思ったし、たしかに身に覚えがある。そうか、今日の話も答えが得られたかどうかは問題ではないんだ。やってみないとわからないけど、やってみたら多分いいよ。

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この問いの結論はないが、一旦のまとめ

「自分が話せないときは、相手を信用していないからだ」

自己開示が苦手だと思っていたし、実際本当に苦手だと思っているが、そのひとつの要因として、「相手を信用していない」のかもしれないという気付きがあった。自己開示が苦手が、あなたを信用してないよの同義になりそう。これだけ文字で見ると失礼な人っぽいけど、きっとそうなんだろうな、それってなんでだろうな、と考えるとぐるぐると暗くなりそうだ。でもなんでだろうなあ。きっとすぐにはわからないが、これを問いとして頭の中にもっておくことは、ひとつの学びになりそうだ。

信用するのが怖い?信用するのをあきらめている?なんか疲れる?誰を信用していいかわからない?信用しなければ裏切られることもないら?自己防衛?いやいや、それってそんなに深く考える話なんだっけ?そもそも「信用」とか「信頼」ってなんだろうな。そんな問いが頭の中に残った。

サクちゃんさんご本人いわく「みんなとうまく話せる超人ではない」のに雑談を仕事にしているのもすごいなとおもうし、声は聴きなれているけどZoomの画面にいるのも新鮮だったな。

最後に、雑談に来てくれた男の子のエピソードで、国語が苦手だったけど感情にまつわる言葉を片っ端から辞書で調べてノートに書いたら国語が得意になって、それって言葉をしらないだけだったという話からの、「自分の気持ちを話せないのは自分に合っている言葉を探せないだけかもしれないから、ノートに書いてみるといい。」というすぐにできるアクションを置き土産として置いていったところも、直接的にそんな相談してないのに(いや、わたしが聞き逃していただけかもですが)その場に応じたすごくいいアドバイスを置いていってくれたなあとすごく納得したし、なんだか誠実さを感じて、よりサクちゃんさんを好きになったなあ。

話を聴いたあとに問いが残るということはとてもいいお話だったなあ、こんなnoteはじめて書いたなあ、という体験で、すでに初回だけで対話のコミュニティ入ってよかったとおもっています。これからも楽しむぞ。みなさまどうぞよろしくお願いします。

「おいしいものを食べている時がいちばん幸せそうな顔をしているね」とよく言われます。一緒においしいもの食べにいきましょう。