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飛ぶトナカイ

内容紹介


 昭和13年、ノモンハン事件に動員された富樫要。しかし部隊はあえなく全滅。唯一の生存者となり、生死の境をさまよっているところを、撤退中の部隊のひとり、伊藤に救出される。常勝、無敵の日本陸軍にとって不名誉きわまる全滅と敗走、その生き証人となったふたりは後日、口封じのため機密保護をつかさどる憲兵にされ、樺太国境地帯、佐野軍曹率いる古屯特設調査隊という謎の組織に配属された。
 任務は、管内で暗躍する朝鮮人スパイを捕捉すること、そして軍に徴用された先住民とともにトナカイで国境をこえ、ソ連の状況をスパイすることだった。その裏に働く不法と不実を知り、むなしさを抱えながらも、過酷な運命と対峙していく富樫。先住民、そしてトナカイを通じてさまざまなことを学びながら、タイガやツンドラを駆けぬけた、その回顧録。
 多年の調査、研究であぶりだした史実の縦糸、イマジネーションとシンパシーの横糸によるテキスタイル、リアリティー・スパイ・アドベンチャー・ノーベル。2020年8月9日、ソ連参戦75周年の節目にときはなつ400字詰め原稿用紙換算枚数:362枚

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農事研究所収蔵資料より

 大正時代、日本がシベリアに兵をすすめた時、長らく閉ざされていた黒竜江流域調査の好機とばかり、何人もの学者が同行しました。その一人が遠くイルクーツクまで足をのばし、サヤン山脈やバイカル湖周辺のステップで興味深い写真をとってきたのです。
 寥々とした平原に墓標のようにたてられた花崗岩の四角柱。上層が日輪のような円、中層がたくさんのトナカイのレリーフで飾られています。いつ誰が何のために作ったのかわかりません。
 モチーフのトナカイはいずれも天にむかい空中を疾走する姿。口元がくちばしのように長く突きだし、角が翼のように広がるよう流麗にデフォルメされ、その背には仏の座像のようなもの。空を駆け、魂を天に届けにいくのでしょうか。
 トナカイは、空の神より生者を助け死者を天に運ぶために使わされた聖獣、と信じるオホーツクの遊牧民、彼らは毎年夏至に新年を祝う儀式をおこないます。カラマツに天の入口にみたてた縄をかけ、新旧の年の太陽をあらわす焚き火をふたつおこします。白夜があけると、イソツツジの煙で清めた縄をくぐり、最初の焚き火を左に、次の焚き火を右にまわりながら空の神に祈りをささげるのです。
 この時目にはみえないトナカイが、その背に人々の魂をのせて飛びたち、途中で鶴に姿をかえながら空に届け、神に洗われた魂をふたたび地上の人々の体に戻す、といいます。こうして生まれかわった人々は、あらたに火をおこし、また輪舞をささげるのです。


ホロンバイル

 私の名は富樫要。札幌の月寒連隊に入営したのは、一九三八年(昭和十三年)十二月、石狩平野が本格的に凍てつくころでした。
 厳しい訓練と陰湿な私的制裁の日々、兵舎では毎晩どこかの寝台からすすり泣きがもれました。つらい、帰りたい、と大の男が泣くほどなのです。何と非人間的なところか、なぜこんな理不尽につきあわねばならないのか、しかし兵隊は畢竟殺し合いのためにいる。人間性、合理性をつぶさないと、この不条理にたえられません。
 すでに日本は華北に侵攻し、中国との全面戦争に突入、連隊主力も外征していた時期です。次は自分たちか、と覚悟していると、はたして入営間もなく満州に送られました。黒竜江省の城塞都市チチハルの南大営というところです。オンドルのある煉瓦造りの立派な兵舎で、営内には城外から線路がひきこまれていました。
 外征とはいえ、持ち場はあくまで満州。馬賊、匪賊との小競り合いはさておき、中国にだされ蒋介石の正規軍にぶつけられることはないだろう、と高をくくっていました。百花が一度に咲きほこる満州の五月、大興安嶺のかなたで満州、モンゴル両軍騎兵の衝突がはじまっていたことなど知るよしもありません。

 一九三一年(昭和六年)九月、奉天で日本の南満州鉄道が爆破される事件がおきました。関東軍の自作自演、謀略です。これを口実に進撃をはじめた関東軍は、あっという間に満州全土を平らげてしまいました。
 この機に乗じた日本は翌年三月、すでに滅んだ清国の皇帝をかつぎ、満州帝国をでっちあげます。傀儡国を隠れ蓑に、欧米列強をおさえ日本の権益を確保する、ここまではねらい通りでしたが、広大な満州を手にしたことで、そのむこう側、宿敵、ソビエト連邦やその傀儡、モンゴル人民共和国と直接にらみあう羽目になりました。
 満蒙国境地帯にノモンハンという場所があります。西にはハルハ川。大興安嶺からホロンバイル平原へ流れる大きな川です。一九三九年(昭和十四年)五月末、ハルハ川を国境と考える日本・満州側と、それより東の稜線だとするソ連・モンゴル側のあいだで武力紛争が勃発、激化し、六月二十日にはチチハル駐屯北海道師団に動員がかけられました。翌日早速函館連隊、旭川連隊らが出動。わが連隊からも砲部隊が先行しました。
 八月半ばには日本軍の攻撃は各方面で頓挫。ソ連軍の逆襲に相当の損害をだし、北海道各部隊も苦戦中、と聞きました。
 軍隊は一兵卒にいちいち作戦を説明しません。まだ暑いのに冬服を支給され、南大営の引き込み線から南満州鉄道浜州線の貨車にのせられた時も、行き先はつげられませんでした。それでも、これはいよいよノモンハンだ、と思いました、

 大興安嶺をこえ、ハイラルという丘陵に囲まれた欧風の町についたのは翌早朝。札幌からの直線距離は一八〇〇キロあまり。沖縄よりずっと近いのですが、世界のはてまできた気がしました。
 前線司令部のある将軍廟というラマ教寺院までは五十四里、二百十六キロ。トラックが足りないので歩いていけ、といわれました。一日の行軍距離はせいぜい四十キロなので、六日はかかります。
 歩兵は、飯盒、毛布、携行食糧などの装具を全部一人で運ばなければなりません。背嚢だけで三十キロ超。背おっただけでふらついてしまう重さです。その上に鉄帽をかぶり、四キロ以上ある三八式歩兵銃をかついで一日中歩くのです。普通の歩行は時速四キロぐらいでしょう。しかし軍隊では時速六キロを強いられます。訓練を受けていない人がいきなりすべてやったら、死んでしまうでしょう。
 北海道よりも高緯度のホロンバイル平原、八月の末にはすっかり秋。しかし内陸のせいか、日中気温は三十度をこえます。行軍がはじまってまずこの暑さにまいり、支給された冬服が恨めしくなりました。
 夕方、ようやく涼しくなると、どこから飛んでくるのか、おびただしい蚊に悩まされました。黒雲のような蚊柱を作り、一気にたかってくるのです。円筒形の防虫網をかぶってしのぐのですが、息苦しく、暑苦しくてたまりません。
 それが野営の夜、気温は十度までさがり、一転して冬服がありがたくなる始末。毛布をかぶっても歯の根があわず、疲れているのに寝つけません。
 行軍は、三日目からさらにつらくなりました。青い空と白い雲の下、まわりは丈の低い草がまばらにはえるだけの砂漠。照り返しで暑さが増します。無性にのどがかわきますが、すでに川筋を離れ、水の補給ができません。砂を掘ってわずかにしみだした水に手拭いを浸し、それをちびちび吸って、何とかのどを潤します。不潔な水ゆえ当然下痢になり、行軍中何度もしゃがみこむことになります。
 決まって渇きが限界に達するころ、かなたにみえてくる天幕。関東軍防疫給水部がもうけた給水所です。しかし、なかなかたどりつけません。平原では遠くのものが実際より近くみえるのです。ついた途端ドラム缶から水の奪いあい。皮肉なたとえですが、戦争のような騒ぎになりました。それでも泥や草の味のしない実にうまい水でした。世界一うまいものは水につきる、と今でも思っています。
 時々前線から戻る車両部隊とすれちがいました。砂煙をあげるトラックの荷台は負傷兵でいっぱい。包帯を赤く染めているもの、その包帯すらしてもらえず、ただれた肉が露出しているものもいます。軍服は一様によれよれ。彼らからは、私たちはまだ服も新しく、頼もしくみえるのでしょう。
「おーい、はやく仇をとってくれ」
「十五榴と狙撃に気をつけろよ」
 などと声をかけられました。
 それらが過ぎると、またみわたす限り大平原。自分たちの足音しか聞こえなくなります。たまに得体の知れない動物の白骨が散らばっています。無常です。空と砂と草しかない、まさしく地のはて、別の惑星のような風景です。
 しかし死の世界ではありません。地下に奇妙な動物がいるのです。小さな穴から顔をだし、キッキと鳴くひょうきんなやつです。毛は黄ばんだ灰色、大きさはイタチほど、タルバガンというリスともモグラともつかない動物でした。上物の毛皮は一枚十円とのうわさ。労働者の平均月収が五、六十円、一等兵の月給が十円ほどの時代、高価なようですが、一枚百円以上したクロテンの毛皮と比べると、大したことありません。金も、ダイヤモンドも、石油もとれない、とれるとしたらタルバガンだけの不毛の地。国境などあってもなくても同じです。第一どこにあるのか、さっぱりわかりません。
 そんななか、ある夕方ふと頭をあげると、十頭ほどのオオカミの群が東の稜線をこえていくのがみえました。たちどまり、ふりかえった一頭、西日を浴びるその毛は銀色、舌をだしたまま、しばらくこちらをみつめると、やがて小さく鼻をふり、仲間をおっていきました。人間はばかだなあ、と笑っていたのかも知れません。

 ようやく前線基地、将軍廟についたのは八月三十一日早朝。近くの松林で露営する大勢の日本軍と満州軍、飛行機の離発着跡、つみあげられたドラム缶などの物資で緊迫した空気です。
 爆撃で半壊した煉瓦造りの廟のなかには極彩色の壁画。飛天、男女交合など艶っぽくあやしげなモチーフです。祭壇前の台には、裸婦を犯す牛の像。その奥には経文箱。あたりに散らばる天保銭によく似た賽銭には、またもや男女交合図の刻印。このようにまじわっていればいいのに戦わされるのか、といやになります。
 昼になり、私たちの中隊に動きがありました。いよいよノモンハンにむかうようです。ここまで二百キロ以上を歩かされ、へとへとなのに、まだ二十キロも先と聞き、肩を落としました。それでもいかなければなりません。
 戦端がひらかれてもう三か月。軍靴、馬蹄、車輪の往来でできた砂の道を、遠雷のような砲声を聞きながらすすんでいくと、柳がはえた低地にでました。ところどころ地面に布が敷いてあります。日本軍幕舎です。砂地で支柱がたてられないため、壕に天幕をかぶせただけの間に合わせです。どうやらこのあたりがノモンハンのようです。
 さらに二時間ほどすすむとまた幕舎。これが連隊本部というわけで、ようやく本隊合流です。ノモンハン南十数キロ、東からハルハ川にそそぐホルステンという支流の南岸、天狗の鼻という場所だそうです。その名の通り防衛線が敵側に突出した地点。すでに日本軍は、自らの主張する国境線、ハルハ川から遠く東においやられていたのです。
 ここまで何もわからず歩かされてきただけでしたが、これからノロ高地という激戦地から転進してくる旭川連隊を援護、収容にいく、といわれました。格好をつけて転進というものの、実際は退却、敗走です。当時、北海道の兵隊は強いといわれていて、旭川連隊もかつて日露戦争、二〇三高地の戦いで大活躍した精強部隊として知られていました。それが逃げてくるとはどんな状況か、と不安でした。

 ホルステン川沿いにしばらくすすみ、小さな丘をこえると、黒煙をあげるソ連軍BT(ベー・テー)戦車の残骸がありました。塗装や溶接は雑ですが、長大な砲を備え、日本軍戦車より強そうでした。あたりには同じように燃えるもの、燃えたもの、キャタピラを破壊され擱座したものなどが十数両ほど点在していました。黒こげの死体をいくつかみましたが、実戦の実感がまだわかず、あまり恐怖は感じませんでした。
 次の丘をこえると、有刺鉄線を張りめぐらせた散兵壕がみえました。すると突然、
「伏せー」
 との誰かの叫びに続き、ヒュルヒュルと風を切る音。敵砲弾です。どこかうしろで炸裂し、砂が首筋にふってきました。あわてて飛びこんだ壕の深さは人の丈ほど、底に懐かしいサッポロビールの空き瓶が二、三本。月寒か旭川部隊の陣に違いありません。
 すぐ数えられないほどの砲弾がおってきて、大太鼓の競演のような音、舞いあがる砂塵に包まれ、目と耳をおさえて伏せるだけです。恐ろしいのは頭上を飛びかう剃刀のような破片だけではありません。爆発の音響で鼓膜が破れ、陰圧で眼球が飛びだしてしまうこともあるのです。もう下手に動けません。第一動きたくても体がすくみ動けないのです。
 はるかなハイラルから何日も歩きづめで、ようやく将軍廟についたその日、その疲れをいやす間もなく、戦闘のまっただなかにほうりこまれたのです。

 間断なく一時間ほど続いたソ連軍の砲撃は、夕方ようやくやみ、何とか陣容をととのえた中隊は、敵陣への夜襲で反撃することになりました。小隊長は九十三式地雷を一人一個ずつ支給しおえると、夜目がきくもと熊撃ちの兵隊を先導に選びました。彫りの深い顔立ちのアイヌです。私たちはこのアイヌを提灯がわりに、ノロ高地をめざし一路西進しました。
 半時間くらいたったころ、砂だらけの稜線をこえたところで、パリパリという音が聞こえ、上空がさっと明るくなりました。敵の照明弾です。
「前にでるなっ。散開しろ」
 小隊長の声です。こえたばかりの稜線まで大急ぎで戻った私たちは、その場に伏せ、先の様子をうかがうと、すぐまたあのいやな風切音が近づいてきました。
「十五榴っ」
 と小隊長が叫ぶと同時に、目の前に炎と土砂が噴水のようにあがりました。
「うっ」
 と隣から声。誰かが倒れたようです。小隊長の声が続きます。
「衛生兵、前へ」
 やられたのは先導役のアイヌです。笛のような音をたてながら、のどから血をふいています。飛来した鉄片に気管をえぐられたのです。
 さあ、先導役を早々に倒され、夜襲の行方があやしくなりました。まだ衛生兵が手当にこないうちに、ヒュルヒュルとまた音がして、第二弾が百メートルぐらい後方で炸裂しました。続いて上空からキーンという金属音をたてながら何か近づいてきたかと思うと、鼓膜が破れるような音が響き、まわりが雷のように一瞬明るくなりました。いつの間にか頭上にきた敵機に爆撃されたのです。その形と音から「アブ」と呼ばれていたやつです。
 敵機が去り耳鳴りがおさまると、誰かが叫びました。
「小隊長殿、負傷っ」
 小隊長は先導役のアイヌと並んで倒れていました。やっときた衛生兵が首をふります。
「だめだ。二人とも脈がない」
 血だらけの先導役はともかく、小隊長は表情も安らか、軍服もきれいで、なくなったようにはみえませんでしたが、懐中電灯で診察した衛生兵は、
「瞳孔反応もない。後頭部に小さな傷がある。針のような破片が延髄にささったのだろう。運が悪い」
 とつぶやきました。

 さあ、夜襲再開。小隊長代理の先任下士官は、私たちの分隊にだけ別行動をとらせ、南の七五三高地という丘に昨夜から孤立する速射砲部隊を救出せよ、と命じました。
 しかし、ノロ高地にむかう本隊とわかれ、闇のなかをさまよいながら何とかそれらしきところにたどりつくと、そこはすでに敵戦車に蹂躙されたあと、車輪と防盾をふきとばされた九四式速射砲の残骸と、日本兵の遺体がむなしく転がっているだけでした。
 孤立部隊救出という任務はすでに実現不能、私たちが前線に孤立する番になったのです。

 夜がふけると深々と寒気が寄せてきました。班長は中隊本部に伝令をはなつと、破壊された砲の埋没と陣地の補修、全部で十体もあった亡骸の仮埋葬を命じました。日がのぼればまた暑熱が襲ってきます。遺体を埋めるのは、弔意よりも防臭のためです。身元を確認し、棒や円匙など目印をたて、土を軽くかぶせておくのです。弔うのはあとで掘りおこしてからです。とはいえそれはいつか、そもそも戻ってこれるかどうかさえわかりません。誰も戻らなければ、みな線香一本供えられることなく異国の砂になるだけです。
 身元確認ははかどりません。暗い上、財布など金目のものがすべて敵に持ちさられ、個人を特定できないのです。何体かは口を無惨にさかれていました。金歯まで抜かれていたのです。
 軍隊手帳、認識票、家族の写真や手紙などもありません。これは略奪されたのではなく、死後、敵に身元を知られるのを恐れた兵隊が、あらかじめどこかに隠したのだと思います。はじめから討ち死覚悟で戦い、皆殺しにされたのです。
 砲を埋めると間もなく、敵陣と思しき前方の闇に曳光弾の赤みがかった閃火が何条かみえ、続けざまの銃声が聞こえました。先ほどわかれた本隊がいよいよ夜襲をはじめたようです。鳴りひびく機銃音、炸裂する手榴弾、迫撃砲弾の黄色い閃光ですさまじい騒ぎになりました。
 ソ連軍は戦車もだしたようで、闇のなかをエンジン音が伝わってきます。低くうなるような音は戦車砲でしょう。おそらく榴散弾です。曳火信管という時限装置により空中で爆裂し、小さな榴弾をまきちらすものです。銃弾のような貫通力はなく、コンクリートや鋼板には無力なへろへろ弾ですが、それがこわいのです。人にあたればほぼ盲管創になります。敗血症をひきおこし、負傷者を死にいたらしめる殺人兵器なのです。
 私たちにはみているほかありません。夜空に砲火の花が咲き、七色の曳光弾が流星のようで、まさに修羅の国の花火大会。破壊と殺戮のルミナリエです。
 夜空が白みはじめると、戦闘は急に下火になりました。ソ連側はまだ機関銃を断続的に撃ってきますが、日本側は鳴りをひそめてしまいました。戦車も砲もなければ苦戦必定です。やがてあたりが明るくなるにつれ、ばね状の鉄条網がそこかしこにみえてきました。敵陣です。
「総員、地下足袋にはきかえ、前方の味方の位置まで前進せよ」
 班長が恐ろしいことをいいました。まだ生きているかどうかわからない本隊に合流するつもりです。地下足袋をはかせるのは、軍靴では戦車の車体をうまくよじのぼれないからです。いずれにせよ命令されたら腹をくくるしかありません。
 陸軍刑法では敵前逃亡罪は即刻成立、最高刑は死刑です。こわかったら逃げていい、などといわれて本気で戦うばかはいません。逃げたら国家がおまえを殺し、遺族を針のむしろにすわらせる、この脅しのもとになりたっている日本軍。逃げれば殺されるだけですから、生きのこる可能性が多少あるだけ戦う方が増しなのです。
 すすみはじめてすぐ、ふとエンジン音が聞こえたような気がして頭をあげると、国防色のBT戦車が三両、突進してきます。大きなうねをこえる時には車体が宙に浮くほどの猛スピード。私は夢中で叫びました。
「左前方に敵っ」
「総員、戻れ、戻れっ、対戦車肉攻用意っ」
 班長の号令で、転げおちるようにして壕に戻り、地雷の信管をとりだしたものの、手が震えて覆いをはずせず、小便をちびりそうになりました。
 さいわい信管をねじこみおわる前に、戦車の方がとまってくれました。二百メートルほど先です。そのまま突っこんでこられたら、失禁以外何もできずに踏みつぶされていたでしょう。
 三両とも、とまったまま攻撃してきません。しかけてこないのは、こちらの陣容がわからないからです。前に速射砲をつぶしてやった場所にまた猿どもがきたようだ、大勢で肉攻をかけられるとまずいな、とでも考えて二の足を踏んでいるのでしょう。こちらも地下足袋にはきかえ、エンジンのうなりを聞きながら、両者にらみあいです。わが分隊の自動火器は九六式軽機関銃一丁だけ。BT戦車の装甲は撃ちぬけませんが、班長は撃たせるつもりです。
「軽機、俺がいいというまで待て。みなも動くな。十分ひきつけて各個攻撃にはいる。それまで辛抱せい」
 辛抱も何もありません。敵がついに攻撃をはじめたのです。
 榴散弾が陣地のうしろで炸裂し、耳をつんざくような音とともに小さな鉄片が鉄帽にあたり、身の毛がよだちました。次に聞いたのはピヨピヨと鳥の鳴き声のような音、機銃弾の風切音です。バリバリという発射音の方が大きいはずなのに、こちらはなぜか聞こえません。聞こえていたのかも知れませんが、記憶がありません。もう何が何だかわからなくなっていたのです。
 しかし頭を抱えてうずくまっていると、昨夜の口をさかれた兵隊の姿が忽然と脳裏によみがえりました。どこの誰か知らないが、こんなところであんな殺され方をして、遺族は何を思うだろう、と考えるとかわいそうでたまらなくなりました。
 それはすぐふつふつと怒りと憎しみにかわりました。いくら戦争でも、金歯まで抜くとは何事だ、ロスケめ、日本人をなめるな、と俄然闘志がわいてきたのです。子供のころから続けてきた剣道修行のたまものか、私は闘志がわくと冷静になれるのです。一度は失禁しそうになったほどの恐怖感がすっと遠のき、あたりがよくみえてきました。
 私がいたのは、砲座を中心に馬蹄形に掘られた立射散兵壕のほぼまんなか、敵にもっとも近い位置です。十メートルほど先に砲弾による穴があります。肉攻をかけるならこの穴からだ、と意を決しました。
 敵はあいかわらず猛烈な勢いで撃ってきます。砲弾の信管は瞬発式。土にふれただけで起爆し、滝のような土砂がふってきます。
 その土砂と弾の雨のなか、慎重にタイミングをはかると、すばやく外にはいだし砲弾穴に飛びこみました。十メートルの匍匐など屁でもないこと、訓練ではその何十倍もの距離を何度も往復させられてきたのです。恐れは感じませんでした。感じるようでは命のやりとりなどできません。やると決めたらもう感情などいりません。怒りや憎しみすらいらないのです。あれば肝心なところで手元が狂います。
 戦車まで約二百メートル。穴底に伏せていても、寄ってくるのが音でわかります。その死角は二十五メートル以内と教わっていました。そこまでくるのをじっと待ちます。
 砂地では圧が逃げ、起爆装置がうまく働かないので、対戦車地雷は長さ三メートルの柄をつけた五分板にあらかじめくくりつけてあります。この巨大蠅叩きのような装置をタイミングよくキャタピラの下に突きだすのです。ほぼ自爆攻撃、特攻です。それでも運よく奏功したら、擱座させた戦車の展望窓に手榴弾を投げこみ、でてきた敵兵を射撃か刺突でしとめるつもりでした。背にはすでに着剣した小銃と切っ先をといだ円匙があります。帯剣が折れたり、弾がつまった時は円匙で撲殺するのです。
 ガラガラとキャタピラの振動が腹に届きました。敵はもう二十五メートル圏内、今だ、とたちあがると、もうもうとした砂煙のなか、巨大な黒いかたまりがもう目前。攻撃には絶好の間合いです。
 私は一気に穴を飛びだし、身をかがめて突進しました。標的は三両中もっとも手前、敵からすると右翼の一両。さいわい機関銃はよそをむいています。ほかの二両は標的の陰でみえません。すなわちあちらもこちらがみえない。願ってもないことです。
 すばやく左にまわりこみ、突っぷしながら地雷蠅叩きを右キャタピラの下に突きだしたタイミングは、我ながら絶妙でした。ただ三メートルもある棒を操って、丼鉢ほどの地雷を一尺幅のキャタピラにきっちりあわせるのは難しく、訓練でもみな何回かに一回は失敗していました。得てしてその一回が本番ででる、私の誤算はそれを忘れていたことです。突きだした地雷はわずかに奥にいきすぎ、キャタピラが踏んだのは柄の付け根。起爆に失敗したばかりか、踏まれた反動ではねあがった柄で口元をしたたかに打たれました。
 その時です、パーンという小銃の発射音が聞こえたのは。ふりかえると同時に第二弾の音。今度は戦車がむかう先に黄色い発射光がみえました。誰かが援護射撃をしてくれているのです。しかしこのタイミングは最悪でした。散兵壕はまだ戦車の死角にはいっていないのです。
 日本兵をみつけた戦車は、地雷蠅叩きの柄をはじき飛ばし、壕に突進、直上で車体を揺らせて急停止すると、キリキリとキャタピラをきしませ転回をはじめました。日本兵を踏みつぶす気です。
 悲鳴は聞こえませんでした。ただボキボキと骨の折れる音が聞こえました。
 目の前で戦友が殺されていく、こうなってはもう冷静ではいられません。私は転回する戦車に突進し、フライパンのように熱い後部の鉄板を一気によじのぼりました。
 我を忘れてのぼってはみたものの、すぐ段取りの間違いに気づきました。最初に食らわせるはずの手榴弾をだしわすれていたのです。しかしもうひきかえせません。とっさに、機関銃は案外もろく金槌でたたけば銃身が曲がり撃てなくなる、と教わったのを思いだし、円匙で大砲の横に突きでた機関銃をぶんなぐることにしました。
 最初の一撃で銃身覆いが大きくへこみました。二度、三度とくりかえしていると大砲がぐいと横に動きます。砲身で私をはじきおとすつもりです。回転する砲塔の上にあわててしがみつくと、目の前にホロンバイル平原の大パノラマが広がりました。はるかな大興安嶺、そのずっと先、北海道では石狩川に鮭が戻るころだな、となぜかふと思いました。
 何回転かして、ようやくとまった砲塔の展望窓からピストルの銃口が突きだすのがみえ、ロシア語の怒号が聞こえました。顔のみえない敵が、私をののしり、射殺しようとさがしまわっているのです。ああ、これが戦争か、上等だ、今からこの戦車を貴様らの棺桶にしてやる、とばかり勇みたちました。
 機関銃はすでにつぶした、次は大砲だ、と手榴弾をさぐっていると、突然左ももに棍棒で殴られたような衝撃を受けました。助太刀にきた別の戦車の機銃弾に太ももを射ぬかれたのです。
 どのように戦車から滑りおちたのか、よくわかりません。気づくと、さっきの散兵壕の底です。すぐエンジンの爆音がせまってきました。頭上にうごめく錆まみれのキャタピラがあらわれ、ああ、もうだめかな、と思うと、病床の母の悲しそうな顔が脳裏によみがえりました。
 父が労咳でなくなり、家計を支えるため弱い体に鞭うって行商をはじめ、私を育ててくれた母、病に倒れ、ようやく高等小学校を卒業したばかりの私の頭を、針穴だらけのやせおとろえた手でなでながら死んでいった母です。一人息子が異国の荒野で汚い戦車にひき殺されようとしている。あの世でみていたら一体何と思うでしょう。
 私は静かに目を閉じました。
 するとどこかで大きな爆発音がして、頭上のキャタピラがとまりました。すぐまたエンジンがうなり、あたりがすっと明るくなりました。戦車がどいたのです。
 天蓋がひらく音とロシア語の怒声に続き、砂地を走る戦車兵の足音が近づいてきました。なぜか私を踏みつぶすのをやめ、射殺することにしたようです。どちらでもいい、どうせ死ぬなら道連れだ、と私は寝たまま装填した小銃を構えました。
 ところが、さあ、こい、と思ったところで、なぜか足音が遠ざかります。カチャカチャと何か金属の音がして、エンジンがまた高らかにうなりましたが、なぜか戦車も遠ざかっていくようです。何事かとおそるおそる外の様子をみると、黄色い砂埃のなか一両がもう一両を牽引し、三両そろって去っていきます。金属音が聞こえたのは、ワイヤーをかけていたからだったのです。
 二、三十メートル先、ちょうど私が地雷攻撃に失敗したあたりに、ちぎれたキャタピラが、大蛇の抜け殻のように転がっています。そのままになった地雷が偶然後続戦車のキャタピラをふきとばし、ほかにもしかけられているのでは、と怖じ気づいた敵がそろって退却してくれたのです。
 まさに天佑ですが、命運がつながったわけではありません。弾に内ももからひざの裏までつらぬかれ、傷口から血がふきだしているのが、どくどくとした脈動でわかります。巻脚絆をときナイフで軍袴を切りさくと、ふくらはぎまでまっかです。ぞっとして気が遠くなりました。あたりに血のにおいがたちこめ、おまけに血の味までします。地雷の柄で強打された唇と鼻の血が口にはいってきているのです。
 一升瓶一本分出血すると死ぬと聞いていました。ぐずぐずしてはいられません。包帯包からとりだし、ひざ裏にあてたガーゼが、みる間にまっかになります。ガーゼはこれで全部。内ももの傷にあてる分がもうありません。仕方なく、汗とほこりまみれの不潔な手拭いをあてます。感染症の危険がありますが、やむを得ません。その心配はあと、止血が先、でないと今ここで死んでしまいます。
 それでも必死で太もも全体を三角巾で縛り、横になってじっとしていると、激しかった出血が何とかおさまったようです。落ちつくと、仲間のことが気になりました。
「おーい」
 と呼びかけましたが、何の返事もありません。思うように動かない左足をかばいながら、崩れた土砂の方にはっていくと、砂の山から内出血で紫色にはれた誰かの腕が棒のように突きだしています。精工舎製腕時計をしたままです。脈はやはりありません。みな、踏みころされ、埋もれてしまったのです。
 その腕時計はまだ動いていました。持ち主が死んだ時計がコチコチと時を刻む無常は、軍歌「戦友」通りです。戦車と戦ったのはまだ夜明けだったはずなのに、針はとうに十時をまわり、いつの間にかぎらぎらした日がのぼっています。日陰をさがして、また横になると、まだとまりきらない血が三角巾を赤く染めます。野戦病院はおろか仮包帯所も平原のかなた。死がじわりと寄せてくる気がしました。
「こちら富樫一等兵であります。誰かいませんかっ」
 叫べども依然なしのつぶて。やはり全滅したのでしょう。荒野で一人ぼっちです。
 口のなかが砂でざらつき、のどがかわきました。水筒にはまだ水が半分以上残っていますが、のむだけ出血すると聞いていたので、こわくてのめません。できるだけ我慢して、もう助からないと決まったら、好きなだけのもうと思いました。
 仰向けになると、どこまでも高い青空に鷹がゆっくり舞っています。どうやら死んでいくのに悪い日ではなさそうです。また目を閉じ体の力を抜くとすっと楽になりました。

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