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姶良市のどこかに古い神社はないものか、と蒲生郷土誌を開いてみたら…ありました。それも奈良時代の神社が…

楠田神社

創建766年(天平神護2年)に建てられた、姶良市で3番目に古い神社です。

766年は、道鏡という僧侶が法王になった年。道鏡と言えば、天皇になろうとして宇佐八幡宮神託事件を起こしたことで悪名高き人物ですね。

もしも、まかり間違って一介の僧侶が天皇に即位していたら…考えるだけで恐ろしいことです。

さて、話しを戻して楠田神社。ご祭神は、由来看板によると伊邪那岐と伊邪那美となっています。

楠田神社2

ですが、宮司の家に代々伝わる記録によると、元々のご祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、厳島大明神、そして祖々先霊神(みおやよよのおおかみ)なんだそうです。

市杵島姫命は、ご存じ宗像三女神のお一人ですね。厳島大明神は、厳島神社のご祭神である宗像三女神のことでしょう。市杵島姫命がダブっているわけですが…

注目したいのは、祖々先霊神(みおやよよのおおかみ)。初めて聞いた神様です。いろいろ調べてみましたが、どこにも見つかりません。

ただ、文字を見ると祖先とありますよね。しかも、祖々先です。なので祖霊神の集合体としての神様ことではないかと、僕は考えました。すると、遠津御祖神(とおつみおやかみ)のことが思い浮かんできました。

楠田神社3

祖々先霊神=遠津御祖神

遠津御祖神(とおつみおやかみ)。皆さんは聞いたことがあるでしょうか?古事記、日本書記、その他の神話にも登場することのない神様です。

それもそのはず、遠津御祖神は神話に登場する神々とは違い、性格を持った一人の神という存在ではないのです。例えるなら護国神社に祀られている英霊のように、沢山の魂の集合体が一体となって神になっている、そんな感じでしょうか。

元々、日本には人は死ぬと祖霊となるという考え方がありました。祖霊は野や山、沢や川に溶け込んで自然と一体となって子孫を見守る。やがて時がくると祖霊神となって神々の世界にかえってゆく。

その祖霊神の集合体こそが、遠津御祖神なのです。

先祖の霊が神社に祀られたのはなぜ?

お話しした通りいわゆる”神”とは性質の違う遠津御祖神(=祖々先霊神)。神社に祀られているのはとても珍しいことです。

では、なぜこの楠田神社には遠津御祖神(=祖々先霊神)が祀られたのでしょうか?

楠田神社の創建からさかのぼること約30年。西暦735年ころから、天然痘というウィルス感染症が全国に大流行する、という大変な事件がおきていたのです。

天然痘が収まったのは738年の1月ころ。ほぼ3年もの間、猛威を振るっていたわけです。この間、当時の日本の人口の25~35%にあたる人々が亡くなっています。一時は朝廷の政治機能もストップしたという記録もあります。

天然痘が収まった後は、沢山の農民が亡くなったため耕作が十分にできず、飢饉が起きて人々の生活苦は数年に及んだということです。それほどまでに大変な時代があったのですね。

天然痘は、北九州から発生して全国に広がったという記録がありますから、鹿児島おいても相当数の被害があったと思われます。

楠田神社が建てられたのは、それから30年後のこと。まだ、疫病と飢饉の傷跡が生々しく残っていたのではないでしょうか。天然痘や飢饉のために亡くなった祖霊が神として祀り、地域の平安を祈願した。

地域の人たちは、祖霊を神として祀ることによって、先祖が自分たちの身近にいて守ってくれる、そう思いたかったのでないでしょうか。実際、楠田神社は水田地帯のほぼ中央に位置しています。

楠田神社1

先祖を通して神に繋がる

亡くなった人の魂が祖霊神となる。人がやがて神になるという考え方は日本独特のものですね。

これは、古事記をはじめとする日本の神話に起源があります。八百万の神々が様々に活動することで、天の国、地上の国を作り治めてきた。そして、人はその子孫であるという思想。

人は神の子であるという発想です。西洋にも神の子という考えはありますが、こちらは全知全能の神によって造られた、ということで。人と神の間には決定的な距離感があります。

この自分たちの先祖は神である。だから、人は死ぬと魂となり、やがて、神と同一の存在になっていく。先祖を大切にすることで、自分達は神と繋がり一体となる。元来、先祖供養とは、こういう考え方だったのではないでしょうか。

考え方というよりも、体験的にそのことを知っていた。むしろ、現象として客観的にとらえていたのかもしれません。

先祖を通して神と繋がるために

最近、神話や神社の歴史を調べていたら、ある言葉と巡り会いました。

とほかみえみため

たった八音のシンプルな言葉なのですが、とても深遠な意味が込められているのです。

とほかみは、遠津御親神のこと。えみためは、微笑み給え、という意味が含まれています。

これは、歴史上最古にして最強の祝詞だということです。この祝詞を唱えることで、祖霊神と繋がり、その上の国津神天津神とも繋がることができる、という摩訶不思議な言霊。

奈良時代、楠田神社を建てた人たちが、この言葉を知っていたかどうかはわかりません。ただ、祖霊神を通して人は神々と繋がることができる。そのことは、習慣的にわかっていたのだと、僕には思えるのです。

神社を訪ね、祀られている神々を知る。さらに、当時の歴史を知ることで古の人たち、つまり先祖が何を信じていたのかを感じる。それが、神社を巡る最大の魅力です。


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