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高校入学したら家がなくなった話⑦宗教活動

記憶は定かではないが高三くらいの時期か。母親が宗教に入って、家族でその活動に参加することになった。
Sさんと母の関係は結局よくわからないが夜中の仕事をしつつ時折食事をしたりするような関係だったのだろう。Sさんはかなり熱心な信者だった。
横のつながりがあり所謂宗教二世が同世代に沢山いて、青年会とかなんとか銘打ち「同世代」で意見交換するような事も多かった。
勿論これが「抜け出せない環境」を作るための外堀なのだが
今思えばそれなりに楽しかった。
宗教といえば怪しい気持ち悪さが思い浮かぶが、確かに一致団結で腕を振り上げながら教訓のようなものを言ったり、教祖を讃えるお経を言ったりとままあったが、私としてはそんなに気になるものではなかった。

ライブみたいだと思ったからかもしれない。コールアンドレスポンスだと思えばバンギャも信者も変わらない。
(と感じている)

だから私は「宗教」を否定しない。
ただ、やはり結束感とか共同性というか一つの目標を全員で目指す事で発生する閉塞感とか一般常識の排除の感覚は否めない。

どの宗教もだろうけど。

その中で私が楽しかったのは
札幌ならではではあるが、雪祭りの雪像作成と、よさこいソーランの参加。

とりわけ雪祭りの作成は楽しくて、仲良くなった仲間と雪像を作り、帰りはすすきので酒を飲んで帰る(おい)

普通に青春を謳歌していた。

宗教活動は結局自分が結婚するまでは時々行っていた。
盲信しているというよりは、私にとってはただのサークル活動だった。
その証拠に布教活動となると途端に志気が落ちる。楽しくないから。

成人式も結局この宗教の成人式に参加した。
それは結局私は「高校入学した時期に家がなくなり引っ越し」したので住民票の住所には友達などひとりもいなかったのだ。せめて引っ越した先で高校入学していれば違ったかもしれないが、そんな市の成人式に行っても楽しくもない。
理由はそれだけだった。

この成人式の話には蛇足があって
Sさんの娘が着たという振り袖を借りたのだ。100万円はするのよと散々自慢された。
私には今もってその価値は分からないがショーケンというのが萩原健一のことではなく正絹という生地だという事をこの時初めてしったのであった。

この宗教と完全に切れるのはもう少し後なのでした。

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