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「聡明」

配慮の無い無神経な言葉に心が貫かれる。
きっと発した側はちょっとした嫌味のつもりだったんだろうけど。

受けた側はその言葉が何度も脳裏を過ったりして「嗚呼、受け流せる精神力の強さがあったら良かったのにな」なんて、何処か自分のことなのに自分のことでは無いような、第三者視点で物事を見ている。




そういうものが重なると、時折全てが面倒くさくなって、全てを投げ出したくなる瞬間がある。

「何故こんなにも仕事を頑張っているのだろう」「何故こんなにも消費的に生きているのだろう」
皮肉なことに、それが根本的な解決にならないということを知っているから、結局は騙し騙し生きている。


自分と向き合うことを怠らないというのは、とにかく生き辛い。そんなことを考えなくても生きている人は大勢いるし、そういう人を羨んでた時もあるし、そういう人にならなきゃいけないと思い込んでいた時期もあった。


でも「こればっかりは性分だから仕方ないんだよなぁ。」と自分自身を受け入れた時、少しだけ視野が広がった気がする。


その人にはその人なりの苦悩があるだろうし、そもそも自分との向き合い方が分からなくて苦しんでいる人もいるだろう。
他者の孤独はいつだって、私が「そんなに大変なことなの?」とか「私の方が辛いよ」とか、私の価値観で判断して良いものでは無い。


せめて自分だけは、相手を傷つけるような言葉を使わなくても、自分の中で緩やかに受け止められる人間でありたいと思う。

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遣る瀬無い朝方5時 蟠りある感情が少しでも解けますようにと願いを込めて。