隠蔽

隠蔽したい心の内を綴る、エッセイのような何か。 フィクションとノンフィクションの中間。

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    考えても仕方のないことなんて山程あるけれど。

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    徒然なるままに、ささやかな日常のこと

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優しい人はその分、人に傷つけられてきたことがある人なんだと思う

"優しい"とは何なんでしょうか 「気配り上手な人」 「包容力がある人」 「相手に期待しない人」 気配りが行き過ぎたらお節介と言われてしまうし、 人に干渉しないようにしすぎると冷酷な人と思われてしまうし、 優しさの形はいろいろあるのに、少しでも度が過ぎると ”ありがた迷惑”になってしまいますよね。 しかもその「度が過ぎる」というのは相手の受け取り方次第であるから猶更厄介。 だから人に優しくすることって、とても難しい。 優しくすることも難しいし、 優しくされたことを素直に

    • 後悔と本音

      失ってきたものの数々。 言葉にするのが怖くて、 本音を話すのに躊躇していた。 ただ、分かりあいたかった。 あの時を振り返って なんで話せなかったんだろうな、と考えると、 赤の他人であることをあるがままに受け入れるのと、 期待しないようにしたり、諦めることは表裏一体のように思えたし、 対話をするタイミングにしては、 本音を話せる話せない以上に相手との関係値ができてしまっていて、 もうとっくに間に合っていなかったのだと後になって分かった。 共にする時間が長くなれば長くなるほ

      • ワーカーホリック

        師走。多忙な2ヶ月が終わり、安堵する。 忙殺は楽だ。嫌でも自分の時間が消費されていく。 ある種、中毒だと自覚している。 自分の出来ないことや、現実に目を向けなくても、 ミリ単位では前へ進んでいることに安寧してしまう。 自分の欲しい未来や理想に近づいていなくても、 今が頑張り時だと錯覚し、頑張ってしまう。 自分の人生に対し、 インプットやアウトプットをせずとも どうでも良くなってしまう、その状態が怖い。 自分の欲しい未来や理想を叶えるには、 がむしゃらに頑張っても叶えられない

        • 話し合いで収まらない範囲の余白が好きだ

          2年前までは、話し合うことで良いところも悪いところも知れて分かり合えると思っていた。 けれど、世の中決着がつかないものが多かったり、 人は生きてきた環境も、価値観も異なるから、 「話し合う」という解決方法に年々執着を持たなくなってきた。 そこまで全員が余白を持っているか否かは別として、 なんとなくの温度感だったり、相手がどういう状況下にいるかであったり、 この人こう思ってそうだなと慮る気持ちのやりとりを心地いいなと思う。 綺麗な解決方法がなくても、思いやりや時間が解決してく

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        優しい人はその分、人に傷つけられてきたことがある人なんだと思う

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          2023年6月25日

          渋谷の音箱へ仕事に向かう。 朝4時半に撤収し、タクシーで帰宅。 そのまま死んだように眠り、起きると9:56。 意外と寝れなかったな、と老いを感じる。 昨日まつげパーマの予約を14時にとったことにより、友達からの急な誘いを断る。致し方ない。 何をすることもなく12時になり焦る。 こんな時はいつもラーメンを食べることが多いのだが、まぁ散歩がてらに外に出るかと思い、支度をする。 昨日したパックのおかげで肌の調子がいい。 メイクをしながら昨日お薦めされた映画の冒頭を観賞。 最近色んな

          2023年6月25日

          幸福の蓄積

          一つ一つお気に入りのこと、 お気に入りの時間、お気に入りの言葉を増やしていく感覚。 SNSに載せきれないほどの写真や動画が増えていく。 一つを載せてしまうことに気が引けてしまうことがある。 楽しい瞬間は、それだけではなかったはずなのに、 それだけが特別なことに見えてしまわないだろうか。 私は、そのひとつひとつを愛おしく思っているのに。 一瞬一瞬、大切なものとして、優しく触れていきたい。 「生きているのに、意味なんてない。死ぬ勇気がないだけだ」なんて誰かが言っていたけれど、

          幸福の蓄積

          東京の牛丼チェーン店のネギの異様な不味さは何回後悔してもなぜか頼んでしまう。

          特に青い部分だからなのかなんなのか、機械的な味がするのに、ネギが乗った食べ物は大抵美味しいという自分の中の暴論に則って、忘れたころに注文してしまう。美味しいであろうと期待して食べて、あー裏切られた!という気持ちになる。 裏切られたで思い出したのだけれど、自分にとって裏切られた/許せないと感じる経験も、その事件の相手が全く気にしていないことはたまにないだろうか。 私はその時に怒りや悲しみというよりも「あれ、私が許せない、心の狭さが悪いのか…?」と困惑するのだが、よくいじめられ

          東京の牛丼チェーン店のネギの異様な不味さは何回後悔してもなぜか頼んでしまう。

          2023年の抱負「解像度を上げる」

          今年の抱負は「解像度を上げる」こと。 自分という人間は、割と抽象的な表現を用いたり、物事を広く浅く色んなことを知ろうとして詰め込んだ結果「これは好き」「これは苦手」の判断で終わらせがち。 例えば「好きなことを語るのが苦手」だったりします。 苦手な理由は、 自分の好きなものを他人に否定されるのが怖かったり、 相手は好きかどうかは分からないからあまり言わないでおこうと考えていたり、 私だけが知っているという特別感が好きだったり、 好きなものが世の中に広まることによって入手でき

          2023年の抱負「解像度を上げる」

          26歳で得たもの

          26歳は、霧が晴れた一年だったように思う。 社会人二年目以降、 転職し、人間関係が変わり、働き方が変わった。 生きていく中で、見た目は変わっていないかもしれないけれど、心の中が変わったなと感じている。 簡単にいうと、ポジティブになった。 「どんなに人を羨んでもその人にはなれないのだから、私は私」 「自分で立てた仮説を基に生きていく」 というのが25歳の学びであり、指針。 これをもう少し行動に落とし込めたのが、26歳。 「全ては実験。私は私の人生を実験していく。」 あ

          26歳で得たもの

          少しでも良い方向に進むように

          綺麗なものだけを信じたいけれど、綺麗なものばかりでないのが人生。 でもポジティブな言葉に変換することで、少しずつ自分の中でも考え方が変わってくるのではないか、と思いたい。 まだ上手くできないこともたくさんあるけれど、心掛けることを大切にしていきたい。

          少しでも良い方向に進むように

          全人類へのラブレター

          生きていく中で変わることも変わらないことも、 色々出てくると思うけれど、 焦らずに、 今この瞬間を丸っと愛してあげたい。 得意なことも、不得意なことも、 成功したことも、失敗したことも、全て大切だ。 心のどこかで生き急いでいる自分がいるけれど、 そんな私ももしかしたら「今しかできないこと」を 気づかずにやっているのかもしれないし、 積み重なった全てが、今の自分に繋がっているなと思う。 それは自分にも思うし、人にも思う。 駄目な方に変わってしまうことも、 昔と変わらないこ

          全人類へのラブレター

          雷には、ネガティブな感情と懐かしさを覚える。 ゴロゴロと光って怖いという気持ちと、 私の地元では、 よく季節の変わり目には必ず雷が鳴っていて それはもう地響きのような音が響き渡ったものだから その晩は寝れやしなかったことを鮮明に覚えている。 雷は、 「これに当たったら、誰かが死んでしまうのではないか」 という不安に駆られる。(なぜか対象は自分ではない) それには二つ理由があって、一つは子ども頃によく 早く寝ないと雷の鬼様に連れてかれるよ!と言われていたこと。 もう一つは子

          桃と紅茶クリームのホットケーキ

          外との関わりを持ちながら、 良い具合に、1人の時間が持てている。 割と予定を詰め詰めで入れてしまう質だったけれど、 ダラダラと過ごす自分も最近は許せるようになってきた。 昨日は、仲の良い友人と、 我が家でホットケーキを焼いて、 たくさんの桃と紅茶のアールグレイクリームを乗っけて食べた。 これはお店屋さんではできない贅沢である。 2人で「ふっふっふ!」と言いながらお腹いっぱいになるまで食べた。 こんな大成功な感じで書いてみたが、 本当は、どうやら茶葉は煮てから入れるべきだ

          桃と紅茶クリームのホットケーキ

          幸せのひとつに、

          苦手なことが自分自身でできるようになる充足感に、 心が満たされるのかもしれない。 私は「自分はダメだ」「自分には出来ない」 という気持ちに喰われやすい。 出来るようになるまで本当に辛いし、 別に努力はしたくない主義である。 「努力」と自分が認識している時は、 目的より手段に囚われている時の方が多いな、 と、いかにもちょっと捻くれ者である。 だから、緩やかに頑張れる範囲で、 苦手なことが少しずつ出来るようになってゆくことが 私にとっての充足感に繋がるのだと思っている。

          幸せのひとつに、

          サザエさん症候群

          最近、サザエさん症候群が酷い。 かれこれ3週間ぐらい、日曜日になると激しく憂鬱になる。 たぶん、1人で過ごす時間が最近少ないからだと思う。 人といることは苦ではない方なはずなのに、 やっぱり心のどこかで完全に自由ではないという気持ちと、 雑多な街に住んでいると刺激が多いため、 外に出ているだけ、人と過ごす時間が増えるだけ、 少しずつ、少しずつ、自分がすり減っているのだと思う。 そうはならないように、 料理を作ったり、サウナに入ったり、本を読んだり、 ある程度は1人の時間

          サザエさん症候群

          友人の死に直面した日

          あれは、中学生になりたての頃だったと思う。 ずっと二人で一緒に勉強していた子が急に塾に来なくなり 「通う曜日が変わったんだ」と先生に言われていた。 その一年後、塾の先生から告げられた。 本当は塾を辞めていたこと。 辞めた理由は、癌を患ったからということ。 そして先日亡くなったということ。 とにかく衝撃を受けたのを覚えている。 親には内緒で、 しばらく疎遠になっていたその友人のご自宅に電話をし、 仏壇を参りたいとお願いした。 当時の私は、罪悪感を感じていた。 「なぜ私

          友人の死に直面した日