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多様性を認め合う、とは?



「多様性を認めようという世の中の流れがあって、多様性を認めるとは?と自分なりに考えてみてたけど分からなくなりました。結局意外と、無関心でいることが結果的に多様性認めてることではないかと思ったんですけど、どう思いますか?」と知人からご質問をいただきました。



以下、私なりに少し調べたことや感じたこと。
「ダイバーシティ」「多様性」。本当によく聞きます。そもそも提唱されるようになったのは、社会が発展していく中で、国境・人種・宗教・性別などを認め合って働いていくことで、革新的な良いものが生まれます!みたいな話らしいです。



そういう動き自体はすごく良いと思うんですけど、実際自分がまだそういう環境ではないからそう言える気がしていて。じゃあ自分の周りがそんな環境だったらどんな気持ちになるんだろう?と考えると、楽しいが半分、辛いが半分になる気がします。



シェアハウスってそれに近そうじゃないですか?色んな国の人がいて、職業もバラバラで。楽しいと思えるタイプは、多分前向きに多様性のことも捉えられるんじゃないかなぁと。
でも、私みたいな少し保守的な人は、うわ〜この人無神経なこと言ってくるな〜とか、ご飯毎日マックで良いの!?とか、本当に些細なことで神経がピリピリしちゃうんだろうな〜と想像してしまいました。笑




質問者さんの「無関心でいることが結果的に多様性を認めていることになる」は、そんな私みたいな人間が、自分にとっての当たり前が当たり前じゃないものに出くわした時、神経がピリピリしない手段の一つだと思います。
認めるにはならないけれど、否定しないにはならないから良いと思いますし、私も多分その手段を取る気がします。


しかし、そう無関心でいるにも関わらず、多様性を認め合うことに辟易しちゃう時、ありますよね。
例えば、宗教を信じている友人のことをすぐ嫌いになることは無くて。それを「この宗教は本当にいいんですよ〜!」とか「貴方がこの神を信じていないの人生損してますよ〜!」とか、他者から他者自身の尺度で強要された時に、辟易しちゃうな〜と思うんです。



もしかしたら質問者さんは、世の中の多様性を認め合う動きが、なんだか強要されているような気がしていて、モヤモヤされているのかもな、と思いました。




あの時許せなかったこと、
なんて幸せなんだと感じたこと、
自分にとっては不可解な相手の行動、
人生の中で忘れられない瞬間、とか。
私はそんな時に、本当に色んな人がいるなぁと痛感しますし、多様性を感じます。




生きていく中で無数の選択肢をがあって、その中から私達は、学校・仕事・友人・恋人、何度も何度もその時に必要な選択をして、自分という人間が培われてきた。人はそれぞれ生きてきた環境が違うからこそ、自分が当たり前に思っていることも、常識だと思っていることも、全く人によって異なる。本当は古来から在ったのに、それがやっと顕在化して、世の中的に、お互いがお互いでいることを認め合おうよ、という風潮が生まれたのかな、「多様性を認め合う」とも思ったりもします。



この質問を受けて色々考えてみたのですが、多様性を認め合おうとするこの世の中で、悶々とする自分を救うとするのならば、「自分が何が好きで、何が許せなくて、何を大切にしたいかが明確にある人」になるのが最強なんじゃないかなと思いました。



きっと世の中は、これからもっと自分を取り巻く環境が多様化していくと思うから。その中で、多様性の種類が増えれば増えるほど「あ〜そんなものもあるよね〜」と受け取れる量が増えていくと思うんです。けれど、それに呑まれちゃうと、自分が何を許してもよくて、何を許しちゃいけなくて、が分からなくなっていく。そしてどんどん自分がどこにいるのか、分からなくなってしまうのではないか、と思うんですよね。



だから、そんな時のために自分が幸せに生きるためには何が必要なんだろうと問い、選べるようにしておくことが、結果的に自分も幸せに生きられて、多様性を認め合うことに繋がるのではないかなと思います。



こんなところでいかがでしょうか。何かの発見やお力になれていれば何よりです








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#休日の備忘録

金曜日、オ山ノ活惚レという美味しくて素敵なお店に前職の上司と行きました。前職の上司と飲みに行けるのって感慨深いなと思いました。

帰宅後は、近所の小料理屋さんへ。常連さんと店員さんがカウンターでマリカーをやっていました。そこに混ぜてもらったんですけど全然ダメでした。悔しいのでもう少し上手くなりたい…。

深夜帯は店主の気まぐれお通しで、お浸しとアサリの出汁をいただきました。肝臓に沁みる。。。(まぁ貝は嫌いなんだけど…)(最近ちょっと食べられるようになってきた)

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次の日は横浜の方までパーソナルジムに行き、1時間黙々とトレーニングをしました。自分の体の不調も整えてくれるので凄く良いです。トレーナーさんに筋肉量が落ちていますよとクギを刺される。確かに最近疲れやすいから家でもちゃんとやらなきゃだなと自戒。

その後は友人たちと飲みに。自分の別コミュニティ同士の友人を引き合わせるのは意外と神経を使う。でも友人たちがそういう場に来てくれるのは、とても嬉しいことだなと思いました。

今日は友人にお勧めしてもらった、仙台からわざわざ建物を移築した珈琲とカレーが美味しい喫茶店で本を読むか、好きな写真家さんの展示会に行くか悩んでいます。急にワクワクする日曜日(仮)


皆様も良い休日を。


遣る瀬無い朝方5時 蟠りある感情が少しでも解けますようにと願いを込めて。