見出し画像

『時代劇の馬は大きすぎる。当時の馬はポニーだった』は本当か?

仕事でちょこちょこ馬に関する取材をしたりしているので、素人ながら馬に関する質問を受けることが実は結構あったりします。その中にいくつかの定番質問があるのですが、「時代劇の馬ってサラブレッドだけど、本当はポニーだったんでしょ?」とか「日本の昔の馬はもっと小さくてあんなかっこよくなかったんでしょ?」という質問もその一つ…。とくに昨年は鎌倉殿の13人が周囲で流行っていたので、ちょこちょこ聞かれたように思います。そんなわけで、ちょっと個人的に思うことなどをnoteに書いてみることにしました…!

※この投稿は、解説ではない私の個人の意見が多く含まれています。


昔の騎馬武者の馬はポニーだったのか?

鎌倉時代だとか、そういった騎馬が必要とされた時代に使われていた馬がポニーだったのか? という問いに対しての答えはYESです。ただ、ポニーといっても、サイズには結構なばらつきがありまして…。

ポニーというのは、いわゆるサラブレッドといったような『品種名』ではありません。体高147cm以下の馬の総称をいいます。つまり体高が100cmでも147cmでもポニーということなんですね。そして当時の日本の在来馬は体高130cmくらいだったため、このポニーの定義に当てはまるということなるのです…!

でも体高130cmって私くらいの身長(162cm)なら、小さくて乗りにくいってことは特にありません。下の写真を見ていただいても馬が小さすぎてコミカルって感じはそこまでしないんじゃないかなぁと個人的には思っています。私は普段、サラブレッドに乗っていますが実は踏み台を使わないと跨れないサラの方がオーバーサイズなのかもしれません。(木曽馬でも地面からだと結構高さがあって、私はその辺の段差を利用して乗りました)

いつしか乗った木曽馬(日本在来馬)。
馬の体高135cm程度、私の身長162cm

また、サラブレッドにも馴染みのない人は、子どものころに見たもっと小さなポニーがイメージとして残ってたりするのかな?とか思ったりもします。そういう方は、体高130cmくらいの馬に近寄ってみたら意外と大きく感じたりするかもしれませんよ。知らんけど。
(ちなみに奈良の牡鹿の体高が85cm前後っぽいです。そう考えると130mでも大きく感じる)

イメージ写真。このサイズのポニーだと大人が乗ったら確かにちょっとコミカルかも?

なぜ時代劇に使われる馬はサラブレッドなのか?

時代劇に出演している馬は、必ずしもサラブレッドかというと実はそういうわけでもありません。よしながふみさん原作のドラマ『大奥』で、冨永愛さんが乗って話題になった名優バンカー君はクォーターホースという種類ですし、私が以前取材させていただいた、撮影馬を扱うプロ集団HORSE TEAM GOCOO にはクォーターホースの他、無地のアパルーサアンダルシアン系の馬などが活躍していました。これらの馬はサラブレッドより少し体高が低いイメージです。

日本での飼養数はサラブレッドが一番多いので、サラでも撮影馬として活躍している馬はいます。でも、大きな音や見慣れぬ機材、たくさんな人など物見要素あふれる撮影現場で落ち着いていられないといけないので、繊細なサラブレッドよりも少々図太い(?!)品種の方がこの仕事に関していえば適性が高いといえそうです。※もちろん個体差が大きいので品種だけで決めつけるわけにはいかないですが

また、当時の馬に近い容姿をしている日本の在来馬が時代劇で使われない理由は聞いたことがないのですが、サラブレッドと比べると全体数が圧倒的に数が少ないですし、さらにその中で撮影用に調教された在来馬というのはなかなか出会えないのかなと…。(要は撮影用の馬を扱っている乗馬クラブなどに調教済の在来馬が少ないのではないかという話)

現代の騎馬武者と昔の騎馬武者を比べてみる

先ほど、162cmの私が乗った体高135cmほどの木曽馬の写真を載せました。日本人男性の平均身長が160cmを超えるのは、大正時代に入ってから。昔の武士の平均身長は私よりも低いということになります。そう考えると当時の武士たちが130cm程度の馬に乗っているのはそんなにおかしいことではなさそうです。でも時代劇に出演される俳優さんたちは180cm以上の方もざらなので(鎌倉殿…の小栗旬さんは184cm)、そうするとサラブレッドの方が人馬のバランスがいいということになるのかもしれないですね。

そういえば少し前に、たまたまの騎馬武者模型を撮影しました。位置や角度もろもろ違うのでちゃんとした比較にはなりませんが、現在の騎馬(多分サラブレッド)の写真とあわせて載せておきます。参考程度にどうぞ。

馬の博物館の特別展より『騎馬武者模型』の写真
※こちらの模型ですが企画展の内容によって馬装や甲冑が変更されます。
タイミングによっては「撮影NG」の時もありますのでご注意ください。
相馬野馬追関連のイベントにて。
サラブレッドだったと思いますが、少し小さい個体かもしれません(記憶が…)

1枚目の写真は、横浜にある馬の博物館の特別展で展示されていた騎馬武者模型です。馬の方は、鎌倉時代の馬骨等をもとに復元されていて、甲冑(人間)の方は室町時代のものを再現しているそうです。鎌倉~室町時代の日本人男性(成人)の平均身長は156~7cmくらいだったらしいのですが、やっぱり結構バランスがいいように思いませんか?

確かにサラブレッドと比べると足が太くて、ずんぐりむっくりしていますが、武装した在来馬にはサラとはまた違ったよさを感じます。ぜひ「木曽馬 流鏑馬」とかでググってみてください。彼らの勇姿を見たらあんまりかっこよくなかったなんて言えなくなる...はず!!

鎌倉時代の馬の全身骨格。女性の身長は160cmです(参考まで)

引く手あまただった『南部馬』とは

現在、日本在来馬には北海道和種(どさんこ)、木曽馬、トカラ馬、御崎馬、宮古馬、野間馬、与那国馬、対州馬の8種類がいますが、では武士たちが乗っていた日本の馬とはなんという品種だったのでしょうか。もちろん武士の時代は長いですから、時代や地域によっても異なるでしょうが、この手の話を調べている中で資料によく出てくるのは断トツで南部馬です。残念ながら現在は絶滅してしまっています。

源頼朝が所有していた生食と麿墨という馬は『東奥馬誌』に南部馬だったと書かれているそうですし、弟・義経の愛馬で鵯越(ひよどりごえ)の断崖絶壁を駈けおりたという伝説を残す太夫黒も体高130cmほどの南部馬だったといわれています。義経は身長147cmと小柄だったらしいので南部馬でも立派に見えたんじゃないでしょうか。※諸説あります

南部馬は北海道和種(どさんこ)のルーツといわれている東北の馬です。江戸時代に活躍した古川古松軒という地理学者が書いた『東遊雑記』という史料には以下のような内容が書かれています。

  1. 南部の馬は素晴らしくてみんなが驚いている

  2. 見苦しい馬を見かけることはない

  3. 何頭か一緒に置いていても、暴れたり、噛みつきあったりしない

  4. 乗り心地がよく、人を嚙んだりしない

(参考)『馬と人の江戸時代』兼平賢治〔吉川弘文館〕P22

べた褒めですね…! 日本で馬の去勢が一般的になったのは明治時代なので、この本が書かれたころは、暴れ馬がとても多かったとききます。そんな中で上記のような南部馬が人気を博すのは納得です。

今回、noteにもぜひ南部馬の写真を載せたかったのですが、(権利的に)載せられるものが手に入らず…。お手数ですが、過去にPacalla で執筆した『ばん馬とどさんこ(北海道和種)のちがい』という記事のなかで、馬の博物館から提供していただいた南部馬の写真を掲載しています。よろしければご覧ください。

結局、時代劇にはどんな種類の馬がいいのか?

もちろん私ごときが結論を出せるわけもないのですが、独断と偏見で答えるとしてもこれは非常に悩ましい…。適性や安全面で考えたらやっぱりクォーターホースとかがベストなのだろうか…?なんて思ったりもするのですが、一旦調教のことを無視して考えると、引退競走馬の活躍の場所のひとつとしてサラブレッドが出るのもよいように思います。

一方で、日本に昔からいる馬なのにサラブレッドと比べると、(一般的には)マイナーである日本在来馬を多くの人に認知してもらう取り組みのひとつとして、在来馬を起用する時代劇なんていうのがあればぜひ見てみたいですね。木曽馬などはよく流鏑馬やお祭りなどにも出ていて、人だかりや甲冑にも慣れているといった素地ができている子も結構いると思うので、素人考えでは実現不可能ではないのでは...?!なんて思ったり...。

◆◆◆

<最後に>

この記事を書き始めたのは2月初旬。暇を見つけてちょこちょこ書き進めていて、公開までに1か月もかかってしまいました。そして、その間にバンカー君が亡くなったというニュースが飛び込んできました。バンカー君のことを書いていたときは元気だと思っていたのでとても驚きました。心よりお悔やみ申し上げます。たくさんお仕事をしてきたと思うので、ゆっくり休んでほしいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?