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ゴールデンカムイで明治時代の馬を考える(4巻編‐土方歳三と馬)

こんにちは。馬のことを調べたり取材したりしているライターのやりゆきこです。最近は趣味の範囲で『ゴールデンカムイで明治時代の馬を考える』シリーズをnoteにちょこちょこ書いています。今回は4巻の内容をお届けです。

※漫画のコマ画像の使用については集英社公式サイトを確認の上、著作権法の範囲内で引用しておりますが、指摘等あれば削除いたします。

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馬わらじが一番よく見えるのは4巻だった

さて、4巻で最初に馬が登場するシーンは33話、呪的逃走の回ですね。

街で牛山と偶然出くわしてしまった白石が、ソリを曳いていた馬を牛山にぶつけて逃げ切ろうとするものの、牛山は足払いして馬をひっくり返す…!という馬好きとしては一瞬「うう…」とうなるシーンです。が、漫画なのでね。その辺は冷静にエンタメとして楽しみましょう!

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ゴールデンカムイ4巻 33話(野田サトル)より引用
ゴールデンカムイ4巻 33話(野田サトル)より引用

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大型動物を片足で蹴り上げるなんて怪力すぎる!みたいな話はここでするまでもないのですが、このページ…下記の3巻後編の考察で書いた『馬わらじ』が一番見やすく大きく描かれてました…!4巻の考察をわらじ回にすべきだったかもしれません…。

ちなみに、地域によって馬わらじの編み方や装着方法は少しずつ違うようなのですが、33話のこのページでの見え方は上の記事で触れた「浮世絵に描かれている馬わらじ」と編み方などが同じように見えました。(参考にされているかも?)

「馬が必要だ どうにかして借りて来い」

その後、なんやかんやありまして。34話では、牛山が第七師団の兵士たちとやり合うことに。騒ぎを聞きつけた鶴見中尉は「馬が必要だ どうにかして借りて来い」と、馬を集めるように部下たちに命じます。つまり、この回に登場している馬たちは軍の馬ではないというわけです。

ゴールデンカムイ4巻 34話(野田サトル)より引用
ゴールデンカムイ4巻 34話(野田サトル)より引用

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牛山が逃げるために仲間に乗せてもらった馬も、鶴見中尉が借りてきた馬も、1~2巻の考察に書いた上級者向けの大勒馬銜ではなく、水勒馬銜でした。もし、その理由を考えるならば

①街で乗馬として使われるような一般の馬たちは、軍馬ほど細かくコントロールする必要がなく水勒馬銜で十分だった。

②一般の人たちはそこまで馬術を習える環境にいなかったので大勒馬銜を使うことがなかった。

などが挙げられそうです。ただし、『一般の人たち』といっても、この時代に自分の馬を持ってるような人なので、ある程度は裕福だったのではないかと思います。

ちなみに江戸時代は、武士以外が馬に乗ることは許されていませんでした。一般人が乗馬を許されたのは1871年(明治4年)4月19日。この日を『乗馬許可の日』といいます。

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ゴールデンカムイ 34話(野田サトル)より引用

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また、鶴見中尉が乗っていた馬について。下馬後(上図)の描写を見てみると、顔の輪郭やタテガミの雰囲気、毛が長くモフモフしている感じなどは在来馬の血が入ってそうな気がします。鶴見中尉が一巻で乗ってた軍馬はもっと洋種っぽい感じだったはず。

土方歳三、此処に復活?

さて今回の本題(?)にやっと入りますが、34話のラストには土方歳三が鶴見中尉が乗っていた馬を、華麗な騎乗で奪っていくシーンがあります。

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ゴールデンカムイ 34話(野田サトル)より引用

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だいぶ先の巻で、土方歳三が若かった頃の回想シーンが出てくるのですが、そこでも土方は「俺は戦と馬と女のことしか得意じゃない」と言っていました。ゴールデンカムイ作中の土方歳三は馬の名手という設定なのでしょう。

土方の愛刀である和泉守兼定と馬が揃って、『土方歳三、此処に復活!』みたいな非常にかっこいいシーンで、お気に入りのシーンではあるのですが、私個人としてはあまり土方歳三に『馬』のイメージを持っておらず、これは意外な設定でした。

これについて世間的にはどうなのだろう?と思ったので、Instagramのストーリーズを使ってミニアンケートを実施してみました。30人くらいの人が答えてくれましたが、だいたい3分の2くらいが『土方歳三は馬に乗るイメージがない』との回答。

ひとつ面白かったのが、私のまわりの馬好きの方々のほとんどが「イメージがない」と答えていて、「イメージがある」と答えた人は馬を特に好きだというわけではない友人たちだったことです。

馬好きの方々は、馬に縁深い歴史上の人物に詳しいので、そういうところに名前が挙がる偉人と比較してイメージがないということかもしれませんね。

事実、土方歳三は馬の名手だったのか?

前述のとおり、もともと土方歳三が馬の名手という印象はなかったのものの、もし史実であれば私としてもなんだかちょっとうれしい。

というわけで、地域の図書館に行ってちょこっと調べてみました。しかし、一般向けに書かれた本を漁る程度では、残念ながら土方歳三が愛馬家だったとか、馬の名手だったといった情報を見つけることはできませんでした。(もっとしっかり調べたら出てくるかもしれませんが、noteは趣味の範囲でやってるので一旦ここまで...すみません)

では、なぜゴールデンカムイでは馬の名手っぽい設定になったんでしょうか。

土方歳三は最後の武士でありながら、洋装の写真が有名ですよね。漫画内の土方じいさんも洋装でビシッと決めています! 全身が写った実際の土方歳三の写真を見ると、足元は乗馬ブーツのようなものを履いていますし、五稜郭タワーに創られた土方歳三の銅像(2003年創作)も右手に短鞭を持っています。また、土方の最期の瞬間というのは箱館戦争の際、馬上で指揮をとっているときだったというのが有名なエピソードなので、そのあたりからきた設定なのかなと思いました。

五稜郭に立つ土方歳三/Hijikata Toshizo's Statue (撮影者 triol28 様/撮影日2013.08.25)
CC BY-NC-SA 2.0

また新撰組には馬術師範である安富才助も所属していて、近藤勇や土方歳三にも馬術を教えていましたし、厩舎(新選組馬小屋の跡)もありました。

名手だったかどうかは別として、土方歳三が馬に乗っていたことは確かだといえそうです。土方と安富は仲が良かったという話も見られたので、土方が馬について学ぶ機会も多かったかもしれません(希望的観測)。

ただし安富が教えた馬術は大坪流という、ゴリゴリの古典和式馬術でした。土方歳三が洋装でどのような乗り方をしていたのかは気になるところです。(どこかのタイミングで西洋式にシフトしたんじゃないかと思うけど、明治天皇が和式から西洋式の馬術にシフトするのに苦労された記録も残っているのでそんな簡単ではなさそう)

ちなみに...土方歳三の故郷である東京都日野市という場所は平安時代から軍馬を育てる馬牧があった場所でもありますし、10代の頃日本橋の大伝馬町に奉公していたという話もあるので、新選組に入る前から、土方にとって馬は身近な存在であったかもしれませんね。(…ちょっとこじつけかな?とは自分でも思いますが)

※伝馬とは馬の背に荷物を積んで、宿から宿に送る制度をいいます。その役所があった町に「伝馬」の文字が入った町名がつきました。

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ゴールデンカムイ4巻の馬考察についてはここまです!
また、5巻については馬の登場ページが1か所しかなく、さらにめちゃくちゃ風を切って疾走しているシーンで、馬のディテールがわからないので割愛します。次は6巻の馬登場シーンでお会いしましょう!

<参考文献>
大坪流軍馬秘伝聞書(進藤景信/京都大学貴重資料デジタルアーカイブ)
大坪流馬之絵図(山県政方/古典籍総合データベース)
新撰組顛末記 (永倉新八/新人物文庫) – 2020/9/26
新選組日記 永倉新八日記・島田魁日記を読む (木村幸比古/PHP新書)– 2003/6/17
「馬」が動かした日本史 (蒲池明弘/文春新書) 新書 – 2020/1/20
よくわかる幕末維新ものしり事典 単行本 – 2003/12/1
歴史のなかの新選組 (岩波現代文庫) 文庫 – 2017/11/17(宮地正人)
多摩地域における古代・中世の「独立」気風(諸橋 正幸)2010/09/18
新撰組 旅のハンドブック (リベラル社) 新書 – 2013/8/27
多摩市市制施行50周年記念誌(多摩市編集) -2021/12/1
土方歳三と蝦夷共和国 (DIA Collection) ムック – 2020/9/26
土方歳三―新選組の組織者 (KAWADE夢ムック 文藝別冊) ムック – 2002/2/1
新選組 最後の剣客集団〜その輝きと終焉〜 時空旅人ベストシリーズ (サンエイムック) – 2022/11/28


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