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ゴールデンカムイで明治時代の馬を考える(7巻・苫小牧競馬場 編)

こんにちは。馬のことを調べたり取材したりしているライターのやりゆきこです。『ゴールデンカムイで明治時代の馬を考える』シリーズ、7巻の苫小牧競馬場編をお届けします。今回は馬についての考察というよりも、明治末期の競馬についての話がメインになりますがご容赦ください...!!

※このシリーズは個人の趣味で書いているものです。
※漫画のコマ画像の使用については集英社公式サイトを確認の上、著作権法の範囲内で引用しております。


今回、1つ前の記事から2か月以上も間が空いてしまったのは、忙しかったわけでも、書くのが面倒だったわけでもありません。

その理由は、ゴールデンカムイ7巻の舞台である

“苫小牧競馬場について資料がなさすぎる!”

ということにつきます。

競馬の歴史研究者の方によると、世界大戦前の地方競馬の情報というのは不明な点が多いのだそうです。

そんなわけで、情報探しにかなり時間を要してしまいました。

舞台となった苫小牧競馬場とは?

7巻前半のエピソードに登場する苫小牧競馬場とは、1909年~1939年まで苫小牧の勇払郡にあったとされる(若干設立時期は怪しい?)地方競馬場です。厳密にいうと「地方競馬」という言葉が初めて正式に使われたのは昭和27年の法令になるので、明治末期を扱うこの記事では「地方で祭典競馬や草競馬をルーツに始まった競馬」くらいに思っておいてもらえればいいと思います。

さっそくですが、苫小牧競馬場の歴史はWikipediaだと以下のように書かれています。抜粋したわけではなく、これくらいしか情報がありません(笑)。

現在の苫小牧市である勇払郡苫小牧町では1908年に競馬規程を受けて翌1909年には苫小牧騎乗倶楽部が組織され、競馬を開始し、1927年まで続いた。同年の地方競馬規則公布後は1928年から胆振畜産組合が引き継いで苫小牧競馬場での地方競馬開催が始まったが、1939年の軍馬資源保護法が公布されたのに伴い廃止された。

Wikipediaから引用

苫小牧競馬場 - 当時の所在地名は勇払郡苫小牧町字旭町。1909年頃競馬規程に基づく競馬場として開設。引き続き地方競馬規則に基づく競馬を開催。1周1610m。軍馬資源保護法の制定に伴い廃止。

Wikipediaから引用

上の引用文を深く考えずに読むと、苫小牧競馬場は1909年にできたように見えるので、7巻の61話は1909年以降の話なのかと思ってしまいますが、61話の冒頭(下図引用)を改めて読むと、この回は「馬券の発売が政府によって黙認されている」時代の話だと前置きされています。これは大変....。

ゴールデンカムイ 7巻61話(野田サトル)より引用

馬券黙許時代とはいつなのか

何が大変かというと、政府が馬券を黙許していた時期というのは1906年から1908年10月1日に馬券禁止令が出るまでのわずかな期間だからです。

前述のWikiのとおり、苫小牧競馬場ができたのが1909年だとしたら、61話のタイミングでは馬券は発売されておらずズレが生じます。(ちなみに馬券が禁止されたのは、競馬ブームが一般の人々の射幸心を煽りすぎて、世間の批判がすごかったから!)

先に紹介したWikiの書き方も「1909年には苫小牧騎乗倶楽部が組織され」とか「1909年競馬規程に基づく競馬場として」とか、はっきり苫小牧競馬場が1909年にできましたよ~!!とは言っていないので、まずは苫小牧競馬場ができたのはいつなのかをはっきりさせるべく、国立国会図書館に足を運びました。

苫小牧競馬場はいつから存在していた?

しかし、図書館で1日中活字を追っても、苫小牧競馬場に関する資料は全然見つかりません…。もっと時間をかけて、苫小牧の歴史資料をすべて読破するくらいの気合がないと、「これだ!」と断定できるような情報は見つけられなそうでした。(とりあえず、今回チェックできた苫小牧の歴史資料には苫小牧競馬の話は1つも出てこなかった)

とはいえ、できる範囲で調べたうえで感じたことは、地方競馬というものは「祭典競馬」や「草競馬」の延長線上にできたもので、おそらく苫小牧競馬も同じであろうということ。公認競馬になった後も、地方競馬は大正時代くらいまで、草競馬の域を出なかったらしいということです。

以上のことから、苫小牧競馬場は競馬規程に基づく公認の競馬場としては1909年にできたけれど、苫小牧競馬場自体は草競馬の延長のような形で日露戦争が終わった翌年(1906年)あたりとかから、無認可ながら存在しており、馬券を売っていたのでは…?とまずは考えたのですが...。

しかし、そんなことを考えた矢先に作中の馬券の描写が目に留まりました。

ゴールデンカムイ 7巻61話(野田サトル)より引用

一番左下のコマを見てみてください。馬券には『北海道競馬會(會は会の旧字体)と書かれています。北海道競馬会は馬券黙許時代の競馬倶楽部のひとつで、1906年~1907年に設立および認可されています(なお1910年には札幌競馬俱楽部に改称)。競馬倶楽部というのは政府に認可された競馬を施行する団体のこと。ということは、最初に考えた「(作中の)苫小牧競馬は無認可の草競馬説」は否定されます。白石たちはちゃんと公認の競馬をやっている…!

もう1つ引っかかるのは、北海道競馬会が運営していたのは札幌にあった子取川競馬場(現在の札幌競馬場)であって、苫小牧競馬場を運営していたという記録はないことです。Wikiによれば苫小牧競馬場は1909年(すでに馬券禁止時代)に組織された苫小牧騎乗倶楽部が運営をしていたとされているので、もしこれが正しいとするなら漫画と史実には結構大きな違いがあることになりそうです。

1907年5月にガラ馬券は禁止されていた

先ほど馬券が発売されていたのは1906年~1908年10月1日の馬券禁止令が出るまでと書きましたが、白石たちが苫小牧競馬場にいたタイミングをもう少し絞り込めそうなヒントが作中にありました。それは、61話の下図のシーンで白石が「この競馬場にはガラは無い」と言っていることです。

ゴールデンカムイ 7巻61話(野田サトル)より引用

昔の朝日新聞記事によると、1906年にはガラ馬券が売られていたことがわかっているのですが、ガラは自分で馬を選べない(クジ)ことから、射幸性が強すぎるとして、1907年5月には禁止されてしまったようなのです。そして、それ以降は7巻で白石が買っていたアナ馬券(現在の日本競馬と同じパリ・ミューチュエル方式)が売られていました。

もしもともとガラ馬券を売っていない競馬場だった可能性を捨てて考えるならば、7巻のこの時点は1907年5月以降、馬券禁止令が出る1908年10月1日までの間というところまで絞り込めそうです。この期間の話だったのであれば、苫小牧競馬でガラ馬券が売られていなかったのも説明がつきやすく、少し前まで刑務所にいた白石は、ガラが売られなくなったことを知らなくても不思議ではありません。

また公認競馬は春と秋に行われていること、この巻の後半にはヒグマのとめ糞が登場し、すでに春になっていることがわかっています。競馬軸だけでみれば7巻のできごとは1907年5月(ギリギリ春)か1908年の春あたりが有力なのではないでしょうか。(ただ、全体の時系列を考慮するとまだ1907年なのかな?と思いますが)

※ヒグマの冬眠明けは3月とかですが、とめ糞がいつ頃のものかは言及されてないので残ってても変じゃないかなと。。

なぜ、苫小牧だったのか?

ここまで調べてみて、苫小牧競馬場というのは資料がほぼ残っていない、謎の多い競馬場ということがよくわかりました。そこで野田先生は、当時の状況がある程度わかっている子取川競馬場の例を参考にしながら、ゴールデンカムイの作中にオリジナルの「苫小牧競馬場」を創作したのではないか?と、今は考えています。

以前に書いた土方歳三と馬の関係についても、あまり資料が残っておらず、創作部分が大きかったように、野田先生は史実がわからない部分に関しては、思い切り創作を楽しんでいるのではないか?という推測です。

7巻の舞台をダイレクトに子取川競馬場にしなかったのは、後の日高編を描くにあたって苫小牧が地理的によかったことはもちろんでしょう。またそれに加えて、徹底的な取材を行い時代背景などを大切にされる方だからこそ、史実がわかっていない競馬場の方が自由に創作しやすかったのではないでしょうか。

(ちなみにアニメでは日高編がカットされているため、長沼競馬場に場所が変更されています。)

明治末期のモンキー乗りは創作か?

例えばどんなところが創作になっていそうか?というと、「蝦夷地ダービー」というレースの存在やキロランケが「モンキー乗り」をしているところなどです。

モンキー乗りが日本で主流になったのは、1958年に保田隆芳騎手がアメリカに遠征し、帰国してモンキー乗りを導入してからといわれています。

しかし、キロランケが既に分が悪い3番の馬を勝たせるには、ストーリー上「とっておき秘策」や「まさかの偶然」がなければなりません。そこで用いられたのが、この時代にはあり得なかったキロランケのモンキー乗りだったというわけです。

下記の引用からもわかるように、当時の日本でモンキー乗りが一般的でなかったことを野田先生はもちろん知っていました。

モンキー乗りはアメリカ人の考案とされているがネイティブアメリカンの騎乗法を真似たとの説もある
しかしどちらも伝聞にすぎない
発明や発見は同時多発的に起こるものなのだ

ゴールデンカムイ 7巻62話(野田サトル)より引用

なかなか馬には厳しいシーンも多い本作、馬に対する扱いのみに限っていえば、キロランケは本作の良心です。キロランケはきっと、誰に教わったわけでもなく、日々馬に触れ、観察し、技術を高めていくなかて自らモンキー乗りという秘技を見つけ出したのだと思います。

◆◆◆

ゴールデンカムイ7巻の考察についてはここまでです。

今回は苫小牧競馬場のことを中心に書きましたが、冒頭に書いた通り本当に資料が少なかったので、もし苫小牧競馬場についての情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えていただけると嬉しいです。


<参考文献>
●近代日本の競馬 大衆娯楽への道(杉本竜・著/2022年/創元社)
●目で見る苫小牧・東胆振・日高の100年(堀江敏夫・監修/2003年/郷土出版社)
●地方競馬史 第1巻(地方競馬全国協会/1972年)
●日本近代競馬総合年表(2018年/中央競馬振興会)
●文明開化と近代競馬:特別展・横浜開港150周年記念(馬事文化財団馬の博物館・編/2009年/馬事文化財団)
●苫小牧市史 追補編(苫小牧市・編/2001年)
●苫小牧市史 別巻 (苫小牧市史年表/1977年)

<参考サイト>


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