何かをつかむためには、何かを手放さなきゃいけない

みんないつも握ってますよね。

電車の中、道行く人、テレビの前で、会議中でも…まさに“携帯”読んで字のごとく、肌身離さず持っています。
自分の目がメインディスプレイだとすると、常にサブディスプレイの役割を占めるようになりましたね。スマホ。

Siriに代表される人工知能にいつか“尻”にしかれる日が来るかもしれません。

よく「スマホ依存」と言われますが、ぼくはちょっと違う気がするんですよね。確かにテレビやゲームまで何でも手のひらに収まってしまうので、これまで別々のディスプレイで楽しんでいたものが何でも取り出せます。

ただみんなが依存になっているのは一番、「SNS」なんじゃないかなと思います。「スマホ依存」ではなく「SNS依存」。

確かに発信した情報が瞬時に多くの人(特に友だち、知人)に伝わり時間と場所を超えられるので便利になりました。久しぶりに会っても久しぶりじゃない気がするというか、会ってない期間の思い出はSNSが埋めてくれているってことありますよね。話が早いというか。

世界中どこにいても価値ある情報にいつでも触れることができるということは、インターネットから与えられた一番素晴らしいことなんじゃないかと感じます。

ただ、情報過多の時代、情報選択力と編集力が求められるようになりました。

価値ある情報もありますが、ネット上の情報はどうしても断片的というか刹那的なものが多いです。それに触れているだけで世の中と繋がっていられると思うのは危険ではないでしょうか。

嘘の情報はもちろん、別に知らなくてもいい情報、知って損する情報、もっと体系的に学んだ方が身になる情報…いろいろ混在してますよね。


かくいう私もスマホ依存族でしたが、少し前から脱スマホというか脱SNSを意識しています。もちろん必要に応じて使っていますが、そこからの情報収集に使う時間をもっと有意義な時間に充てています。(特に友だちのリア充情報で一喜一憂しないように。)

とりわけシフトしているのは「読書」です。中長期間でまとめ上げられた充実度の高い活字に触れる時間をしっかり取るようにしています。

あと、漫画も読みますし、映画鑑賞も好きなんですが、芸能人の色恋沙汰ではなく、質の高いエンタメコンテンツにも触れる時間を大切にしています。

すべてが自分の血肉になるように。自分の人生にとって何が必要かと。

何かを得たいと思ったら、まず何を手放すか考えると良いです。つまり、何をやめるかの方が大事ということですね。

与え合いの恩贈りで巡る世の中になったらいいな。 だれでも好きなこと、ちょっと得意な自分にできることで、だれかのためになれて、それが仕事にもできたら、そんな素敵なことはないですね。 ぼくの活動が少しでも、あなたの人生のエネルギーになれましたらうれしいです。