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世界の上位2,100人の資産額が46億人分の総資産額より上という事実!

世界の富裕層である上位2,100人の資産総額と、低所得・低資産額の人たち46億人分の合計資産総額を比較してみると、なんと上位の2,100人のほうが多いという試算結果に!

あるところにはあるもんだと、今更ながら思い知らされるわけだけど先頃のスイスで開催されたダボス会議に合わせて発表されたデータである。

日本におけるTV報道でも、しきりに話題になっていたニュースなので、目にした方も多いと思う。

これらのニュースでも語られていたことだが、上位の1%の富裕層が、今後10年間にわたって税金を0.5%ずつ多めの納税することで介護や教育の分野で1億1,700万人の雇用を創出できるという意見が紹介されていた。

これは介護や教育だけに限ったことでは無く、なんの分野であっても良いと思うのだけど、世界の貧困問題や経済格差をテーマにして活動しているNGOのオックスファムが提出した報告書だけに、教育と介護にスポットを当てている格好だ。

介護はなぜ人気の職業ではないのか?

ところでなぜ介護の仕事は人が求められているのか?
ここからは全くの私見なので異論や反論が出るかも知れないけど、素人の浅知恵だと目くじら立てずに寛容な気持ちで読み流してもらいたい。

実は私がかつて飲食のフランチャイズ店を、複数店舗経営している頃の実話なのだが、1号店を出店した場所の近くに福祉関係の専門学校があり、店舗のお客様として大勢の学生が来店してくれていた。

この店はファストフード店だったために、営業時間が長くて朝早く夜も遅いシフト勤務制のアルバイトは、なかなか募集しても集まりにくいのが同業店舗の実状。

だがこの店舗では福祉関係の学園が近所にあったために、学生が応募してくれたことでいつも定員を確保できていた。

それでもアルバイト学生が入店してから、2、3年もすると福祉(主に介護)の仕事に就職していくだけど、1年、2年と経つうちにまたアルバイトで舞い戻ってくる事例が多発し始めたのだ。

こちらとしてはありがたい話で、経験者が戻ってきてくれるのは断りようも無いのだが彼らの将来を考えると、そうとばかりも言っておれない。

そこで誕生会だったか何かのおりに、優秀なバイトリーダーでもある女性にアルバイトで戻ってきた理由を真剣に問いただしてみた。

すると彼女が言ったことは
「喜んでもらえる上に社会的意義のある仕事として誇りを持って介護の仕事についたのだけど・・・現実はとてもイヤな仕事だった!」

さらに聞いてみると、患者さんや要介護者さんの笑顔が見たくてこの仕事を選んだのに、患者さんや要介護者さんの「やってもらって当たり前」という態度や、意地悪としか取れない発言の数々に気持ちが萎えてしまった、と。

特に社会的にステータスの高いと思われる職業や、会社規模や肩書きを自認している要介護者に厄介な人物が多く見られたそうである。

「自分の顔からも笑顔が消えていくのが、はっきり自覚できてもう耐えられないと笑顔で楽しく働けるありがたさを痛感したから戻ってきた」

そう彼女に言われた私は「あなたの将来のためには・・・」なんて分別くさい虚言を吐きたくも無く「そうだね、誰よりも自分を大事にすべきだよね」と答えるしかなかった。

彼女だけで無く男性も含めて10人近くが似たような経緯で、アルバイトに戻ってきてリーダーとして頑張ってくれた。

介護や医療現場に感じる素朴な疑問

自分の身内に要介護者を抱える段階になって、あのとき彼女が言った言葉が身に染みて、改めて介護の仕事に就く人たちの収入や待遇や働き方、環境やステータスを含めて、どうにかしてあげられたら良いのにと、優先度合いを間違えているような政治家先生たちに無性に腹が立つのだ。

患者・要介護者と寄り添えない介護を見直して、寄り添いたくなるような待遇・環境にすることで働きがいのある職業に底上げする必要を感じている。

それが綺麗事のままで、なかなか改善しないのはなぜだろうか?
田舎暮らしをしてみると、やたらと介護の仕事をしている人に出会うのだが彼ら、彼女らは若い人ばかりでも無く往年の若者も紛れている。

老老介護問題も取り沙汰されて久しいが、8050問題としてクイズの出題で終わらせてはいけない気がする。

一部の(大部分かも知れないが)病院・クリニックは患者の要望で、不必要な薬剤を惜しげも無く大盤振る舞いし、年寄りは医療機関をハシゴして薬をもらい小分け袋にいれ、毎日の飲用チェックが日課となっている。

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忘れてはならないのが、その膨らみすぎた医療保険の支払いに当てるために私たちの保険料支払金額の負担増というオマケが後からやって来ることだ。

健康で医療機関に通わなかった人に対して、報奨金(健康祝い金)を考えるべきだと思うがどうだろうか?

またたくさんの管・チューブに取り巻かれて、家族が生存確認にのみやって来るような、寝たきり老人の受け取っている恩給・年金受給狙いの温存処置はそろそろ考え直すべきだと思う。

事実、義父が入院中に毎日ベッド脇で過ごしたのだが、向かいのベッドに横たわる老人は自発呼吸もできず、食事すら液体注入という寝たきり状態だったが、1週間に1度程度の家族の見舞いは、顔をのぞき込み生きているかどうかを確かめると、そそくさと帰ってしまう。わずか1,2分の滞在だった。

こういったデリケートな話題は異論・反論あると思うけど、現実問題として方策を探るなら自分の意思すら表現できない状態で、入院させて延命措置を執り続ける選択をするならば、患者本人が受給する年金・恩給は患者本人の医療費充当に当てるべきだと思うが、どうだろう。

まぁ一人だけでいきり立っても蟷螂の斧、屁の突っ張りにもならないのは
わかっちゃいるけどね。

長くなっちゃったし愉快な話題でも無いので
今日はこのへんで。

あらためて教育の話とか、書いてみたいと思う。

今日の のほほん。
では。


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