見出し画像

ザ・マレフィセント・セブン #4

◆四人目◆

 これまでの人生の出来事が、今際の際にニューロンに再生されることをソーマト・リコールという。
 人間の死ぬ瞬間はそういうものだと、レッドステッチは知っていた。
 かつて人間としての彼の死の瞬間が、まさにそうだったからだ。

◇ ◇ ◇

 キョート共和国は二層に分かれている。東のネオサイタマを始めとした「外国」からやってくる観光客むけのアッパーガイオンは、共和国として独立する以前からの古い町並みを残す法規制と秩序に守られた美しの都市。
 しかしてその下層には、アッパーの美観を支えるアンダーガイオンが存在する。この逆ピラミッド状の階層式ジオフロントは、上層の美しを支えるために、さかしまの地と化していた。
 すなわち、アッパーガイオンに存在を許されない、煤と垢、下水と汗、オイルと血、残土そして労働者が、すり鉢状のダストシュートめいて押し込められているのだった。

 それでも、観光客が訪れることもある第一層、アッパーガイオンのライフラインを支える企業の多くが社屋を構える第二層、第二層に就業する労働者向けの生活空間である第三層、第四層、そして第五層は、外国人の目を気にするだけ、このアリジゴクの中でもまだましといえた。
 人間だった頃のレッドステッチは、そのさらに下層に生きていた。アンダーガイオン第十四層は、すり鉢の底であった。バイオ化石燃料の採掘場と、そこで採掘業者に奴隷同然に扱われる労働者たちの集落が点在する、太陽も笑いも娯楽もない、不安しかない世界が、人間だった頃の彼の世界だった。

 彼は奴隷同然の労働者の息子として生まれ、物心つく頃には採掘場の轟音の中で大人たちに混じって残土を運び出していた。アンダーガイオン最下層の採掘場で、大人に比べて必然的に小柄な子供は、狭く細く入り組んだ採掘坑に欠かせない労働力だったのだ。
 中でも、小柄で、栄養不足にやせ細った手足を蜘蛛めいて動かすのが彼であった。彼の体は十代を迎えてもそのままだった。だから、どこまでも深く、奥へ潜ることが出来た。劣悪な環境に適応したものか、彼の目はぎょろぎょろと大きく、闇の中でもわずかな光でものを見ることができた。

 人間としての彼が死んだのは、奇しくも彼の世界と同じく十四を数えた年だった。
 採掘坑の崩落は日常茶飯事だった。やせっぽちの体を押しつぶした土砂からからくも抜け出した先は、闇に閉ざされた空間だった。
 出口はなかった。
 助けは当然来なかった。
 ここが彼の墓所となった。

 飢えと乾きと酸欠の果てに彼は死んだ。
 喜びを知らぬゆえに、悲しみはなかった。
 ただ、胸にわだかまるどろどろとしたものが、彼をして誰にも届かぬ叫びを闇の中にほとばしらせた。
 それが酸欠を助長するなどと思い付きもしなかった。死にゆく蜘蛛じみて四肢を縮こまらせ、ただ、ひたすらに、哭いた。

 そして彼は見たのだった。ソーマト・リコールを。これまでの人生の出来事をプレイバックした光景を。

 それは地獄だった。
 終わることのないサイ・リバーのシシフェアン・リンボだった。

 彼は崩落に巻き込まれた時に片目を失っていた。辺土の荒涼とした光景はその見えない目にも最後の水分を絞り出させた。

 そして、ニューロンのスクリーンに映し出されるソーマト・リコールが、崩落ののちに至った墓所へと立ち戻り、両手の指の爪を剥がしてもむなしい脱出へのもがきを再現し、誰にも届かぬおめきを再現し、胸にわだかまるどろどろとしたものを再現し、彼の「現在」にたどり着いた瞬間、彼は死んだ。

 と同時に、見えない目に何かが宿った。

 レッドステッチとなった彼は、闇に閉ざされた墓所に目を開いた。
 人間として生きていた頃よりも、墓所はよく見えた。
 見える目に宿ったニンジャの視力は彼に天井の亀裂を発見させた。
 そして、見えない目に宿った真紅の小蜘蛛の群れは、彼の眼下を這い出すと、壁を伝い、天井の亀裂へと向かった。

 彼が採掘坑を脱出したのは、崩落から二週間後のことだった。
 真紅の小蜘蛛が入り込んだ亀裂を崩しつつ、バイオバンブーよりも強固な糸を繰り出して通路を補強した。小蜘蛛の織ったニンジャ装束をまとったやせっぽちの体が、通路を通ってまだ生き残っていた坑道に到達するまでに、一週間を要した。

 さらに一週間、坑道をさまよい、ついに脱出を果たしたレッドステッチは、胸にわだかまるどろどろとしたものに突き動かされるままに、採掘場の人間を皆殺しにした。
 彼の小蜘蛛は音もなく忍び寄り、そのバイオバンブーよりも強固な糸で、犠牲者の目鼻口を縫い閉じていった。犠牲者は飢えと乾きと酸欠と暗闇の中で死んでいった。その中には彼の両親もいた。

 そして、この奇怪な採掘場の全滅は、ザイバツ・シャドーギルドの知るところとなった。何人かのニンジャを殺してのけた彼の前に、最後にやってきたオーカー色の装束を着たニンジャは、数日に渡る死闘の後、彼をザイバツ・シャドーギルドに迎えた。のちのグランドマスター・ニーズヘグであった。
 彼はレッドステッチに、胸にわだかまるどろどろを吐き出させる場所を与えた。
 レッドステッチはニーズヘグの命じるままに戦場を駆けた。戦場でレッドステッチは哭いた。死の瞬間に失った声の代わりに、彼は真紅の小蜘蛛を吐き出し、敵を飢えと乾きと酸欠と暗闇の中に恐怖させ、死なせていった。

◇ ◇ ◇

 今度は、このニンジャが恐怖し、死ぬことになる。

◇ ◇ ◇

 両目と鼻と口を、レッドステッチの「アカグモ・ヌイ・ジツ」に縫い閉じられたディンクが、ジョルリめいてタタミに倒れ込んだ。
 くぐもった悲鳴をあげてもがきまわるディンクにトドメを刺し、爆発四散を見届けること無く、レッドステッチは上層からのシュート出口となっている隠し部屋を抜け出た。

 蜘蛛めいて音もなく大回廊駆けるレッドステッチには、キョート城ホンマルに満ちる、緊張をはらむ静寂とうらはらに、耳の奥で、破裂寸前の心臓が熱い鼓動を繰り返しているのが感じられる。頭のなかで、ニューロンがついさっき知った秘密に耐えきれず、悲鳴を上げているのが感じられる。

 シュートの中で待ち伏せ、裏切り者フライングキラーの目鼻口をアカグモ・ヌイ・ジツで縫い閉じるのは造作もないことだった。シュートの先に叩きつけられ、全身複雑骨折してなお死に切れぬ愚か者の緩慢な死を、レッドステッチは声なき声であざ笑い、追跡の相棒ディンクがトドメを刺すに任せた。
 だが、この裏切り者が爆発四散するまさにその時、彼は見てしまったのだった。フライングキラーがシュート落下の刹那、己の指をシンバルの鋭利な縁で切り裂き、なにごとか書きつけたシンバルを!そしてALAS、シンバルの裏に書かれた、その恐るべき「秘密」までも!

 ゆえにレッドステッチは恐怖し、逃げた。彼が恐怖したのは、彼が喋れぬゆえであった。これではジキソもならぬ。いや、よしんばジキソを企てたとしても、彼の上司ニーズヘグがそれを許さぬ。彼が莞爾と笑い、戦って死ねと言って、恐るべきヘビ・ケンを閃かすところまで想像できた。

 もし殺されれば、二度と哭けなくなる。
 彼はもっと哭きたかった。
 もっと多くの人間を、ニンジャを、飢えと乾きと酸欠と暗闇の中に死なせたかった。
 それが叶わぬなら、俺はどう生きたらいい? ソーマト・リコールのその先を、闇に閉ざされた辺土のその先を、俺はどう生きたらいいのだ?

 ……こんな、こんな「厄介ごと[マレフィセント]」さえなければ!

 と、レッドステッチが転んだ。
 切り裂かれたかかとをかばってなお、すぐさま残る片足でバック転を繰り出したのは、さすが歴戦のニンジャであった。

 しかし、彼の見える目でいくら辺りを見回してみても、敵の姿は見えなかった。
 左右を鏡めいて真っ暗なカケジク型モニタが連なる回廊に、彼は独りきりだった。

 再び辺りを見回す。やはり、誰もいない。
 また、見回した。
 さらに見回す。
 見回す。誰もいない。

 だが、レッドステッチは見回すことをやめようとはしなかった。自分は、今、独りなのだ、誰も死なせられないのだ、という現実を認めたくない気持ちが、彼を半ば狂った行動へと駆り立てていた。
 誰もいない――。

「いるぞ」

 声がした。

「ドーモ、レッドステッチ=サン。リフレクタンスです」

 レッドステッチはアイサツの聞こえた方を見た。彼はメンポの奥で安堵した。

 レッドステッチはアイサツを返した。

「フーンク」

 そして、彼は己を鏡めいて映す真っ暗なカケジク型モニタの奥で……そこで第五のニンジャに出会ったのであった。

#5へつづく


--------------------------
"Ninjaslayer"
Written by Bradley Bond & Philip "Ninj@" Mozez
Translated by 本兌有 & 杉ライカ
Twitter:@NJSLYR
日本語版公式URL:https://diehardtales.com/m/m03ec1ae13650
--------------------

いただきましたサポートは、サークル活動の資金にさせていただきます。