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コロナ渦不染日記 #112

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三月二十二日(月)

 ○今朝の体温は、三六・〇度。

 ○誕生日、というものは、その日を境にむかえることになる、新たな年齢によって、その意味合いが変わるものだ。十代までは、「待ち遠しい、わくわくする日」だった。それが、十代に入ると、「自分が主役になれる、自分だけの日」になった。二十代になると、「なんとなく緊張する日」になった。三十代になると、「『ぢっと手を見る』日」になった。
 そしていま、ぼくと、相棒の下品ラビットは四十代になっている。数年まえまでは、「うさぎ穴三十郎……おっと、そろそろ四十郎だがな」などとつぶやいて、懐手してあごを撫でていればなんとかなったが、いよいよその四十郎がやってきたのである。いや、正確には、去年もうやってきている。だから、今年は、年明けに二匹で厄除けにいったのである。あの日の厄除け札が、いまも部屋の入り口に鎮座ましましている。
 そういうぼくたちにとって、誕生日は、「生き延びて血反吐吐く日」となった。特に、今年は、未曾有の災禍のさなかであるからして、「ここまでよくぞ生き延びた」というニュアンスを、強く感じることだ。とにもかくにも、どうにかこうにか今日までやってくることができた。そのことを言祝ぐ日となった。

 ○とはいえ、そういう個人的なこととは別に、仕事には出かけなければならぬ。粛々と業務をこなし、今年度最後の現場を終えた。今月の残りは、在宅勤務で、新年度にむけて準備を進めるだけで、そのあとは有休消化をふくめた連休となる。

 ○帰途、乗り換えの駅で、これまでシャッターを下ろしていた、生ジュースのスタンドが開いているのを見かける。
 そういえば、昨日の三月二十一日をもって、都内の緊急事態宣言が解除になったのだった。それを受けての今日からの営業再開ということであろうか。ともに、よくぞ今日まで生き延びたものだと思うと、なんとなく親近感がわいて、気がつけばスタンドのおばさんと話し込んでしまった。イチゴバナナジュースを買ったのは、自分への誕生日プレゼントの意味もあるが、親近感も間違いなく手伝っている。

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 すっきりとした甘さが、疲れた体に染みわたった。

 ○帰宅すると、下品ラビットが、好物のコロッケを作って待っていてくれた。

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 幼いころは、ぼくたちの誕生日には、母うさぎがコロッケを揚げてくれたものだった。その、懐かしい味に比べると、下品ラビットが作ってくれたものは、下味がうすい気がする。だが、その分、ソースと相性がいい。

 ○夕食後には、誕生日恒例のプレゼントを交換した。
 ぼくは、「B級映画の帝王」ロジャー・コーマン監督の社会派サスペンススリラー『侵入者』のDVDをあげた。下品ラビットがずっと見たがっていたものが、手の届く値段でAmazonのマーケットプレイスに出品されていたので、手に入れておいたのだ。

 下品ラビットは、英国植民地時代のインドに、英国政府の肝いりで設立された機械製造メーカー〈hmt〉の自動巻腕時計をくれた。当然、アンティークである。

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「ちゃんと整備してあるらしくて、いまんところズレはほとんどない。それに、このデザインなら、オンオフ問わずに使えるだろうからな。二年目、おめでとうな」

 ○本日の、全国の新規感染者数は、八一七人(前週比+一二二人)。
 そのうち、東京は、一八七人(前週比+一二人)。

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→「#113 世界のたてる音を聞く」



引用・参考文献



イラスト
「ダ鳥獣ギ画」(https://chojugiga.com/


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