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コロナ渦不染日記 #46

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八月三十日(日)

 ○うさぎたちの朝は遅い。
 そもそも、ぼくたちが日々、朝の決まった時間に起きているのは、人間社会で生きているからである。その人間社会とても、「朝八時から夕方四時まで」のタイムテーブルで動く、義務教育の影響を引きずっているから、という以外の理由はなかろう。そうでなければ、「朝八時から夕方四時まで」をコアタイムに、社会が動かねばならない、という法はない。実際、昼に起きて深夜まで働く人もいれば、夕暮れに起きて朝まで働くクマもいる。日本社会の——いわんや他の人間社会をや——タイムテーブルを規定するのは、社会を構成するものたちを最初に「共通の時間」にあてはめる、教育機関のタイムテーブルであろうと、ほんらい夜型の生活をするうさぎの身としては、愚考する次第である。
 とまれ——「マリオットアソシア名古屋」の、白を基調とした、ラグジュアリーな部屋で、ぼくたちが目覚めたのは、朝十時をすぎたころだ。

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 そそくさと毛づくろいをすませ、荷物をまとめる。昨日購入した古本を詰めると、荷物はそこそこ重たくなった。そこへ、下品ラビットが、バスルームにそなえつけのアメニティをほうりこんでいく。
「さすが高級ホテルだな、このボディローションはいいぜ」
「毛づくろい用のブラシも、ちゃんと動物用になってるね」
 話ながらもさっと荷物をまとめたのは、今回の宿泊が素泊まりプランだっからである。朝食は外で食べることになるので、ぐずぐずしてはいられない。
 荷物をかかえてチェックアウトしようとすると、コンシェルジュが、「お帰りまで荷物をお預かりいたしましょうか」と声をかけてくれる。駅のロッカーに預けようと思っていたところだったから、渡りに船というやつだ。ありがたく、荷物を預け、身軽になってホテルを出た。
「こういうところも高級ホテルって感じだな」
 下品ラビットが、我がことのように鼻をひくつかせる。

 ○名古屋駅から地下鉄に乗り、栄で地上に出た。街路は、正午にむかってじりじりと移動する夏の日差しにあぶられ、歩いていると耳の先がちりちりする。これは、日陰に入るとなくなって、わずかな風でもここちよく感じられるようになるから、紫外線のせいだろう。当然、街路に歩く人影、動物影はすくない。このあたりに家があるものは、こんな時間に出歩くこともなかろう。例外は、あるマンションの入り口に、ぽつんと座りこむ、ネコの子供であった。痩せた子ネコは、まぶしそうに目を細めて、とおりすぎるぼくたちを見るともなしに見ていた。

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 ○日陰を選んで十分ほど歩いて、「ロッキンロビン」栄店にたどりつく。

 アメリカンダイナーふうの内装は、照明がひかえめで、外の日差しとくらべると、かえって落ち着いて見える。開店直後だったので、店員さん以外は、店内にぼくたちしかいなかったからでもあろう。
 ランチメニューには、フライドポテトとサラダ、ドリンクがついてくる。ぼくはベーコンバーガー、下品ラビットはアボカドバーガーを注文した。

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 やってきたのは、そとはカリッと、なかはフワッと焼きあげたバンズに、巨大なベーコンと飛騨牛パティを挟んだハンバーガーに、細身でカリカリのフライドポテトである。ベーコンの厚みは五ミリほどもあり、食べごたえが尋常ではない。ポテトのカリカリ感もくせになる。下品ラビットは、ハンバーガーを食べ終わる前にポテトを食べきってしまい、コーラをすすりながら「大盛りにすればよかったな」と呟いていた。

 ○ふたたび地下鉄に乗り、神宮西駅で地上へ出るころには、重たかったお腹も落ちついてくる。日陰を渡り歩き、熱田神宮の鳥居をくぐったときには、毛皮のしたにびっしょりと汗をかいて、因幡の白うさぎならぬ熱田の濡れうさぎになっていた。
 神宮は森に囲まれて、日陰が多い。今日のような、日差しの強い夏の日には、神域の涼しさ静けさがありがたい。静けさといえば、参拝客のすくなさが目についた。本殿へとつづく道は、ところどころに鳥居があるのだが、ひとつの鳥居からつぎの鳥居まで、道がはっきりと見えている。こんな日だから、出歩きたくないのもあるかもしれないが、天下にその名を知られた熱田神宮がこの様子なのには、新型コロナウィルスの災禍の影響を考えてしまう。

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 抜けるような青空、白い入道雲を背にして、本殿は無言でたたずんでいる。三種の神器のひとつである「草薙(神)剣」を神格化した「熱田大神」を奉じるだけあって、その静かなたたずまいは、神剣の切っ先を彷彿させる。魔を払う神剣の御利益が、災禍にも霊験あらたかであることを祈念して、手を合わせてきたものである。

 ○宝物館を拝観し、熱田駅まで歩く。駅前商店街の、あきらかに昭和然としたたたずまいが愛おしい。

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 パネルにある「テレビゲーム」の文字がほこらしげな「ファルコンボーイ」も、かつては地元の子どもたちでにぎわったのだろうが、いまはシャッターも色あせて、ながらく閉ざされたままであることがわかる。看板のくすんだ顔が「ファルコンボーイ」のそれであろうか。時の無常を感じさせ、なんともたまらない風情である。

 ○熱田駅から金山駅まで移動し、ショッピングモール「アスナル金山」にある、生クリーム専門店「Mou Mou Cafe」へゆく。

 ぼくと下品ラビットは、もともとさして甘味に興味がないが、これくらいの時間でエネルギーが切れるだろうと予測して、目的地にしていたものである。実際、炎天下を歩いて、相当につかれていた。だから、事前に調べて目星をつけておいた、「濃厚生クリームのソフトパフェ」が、いかにおおきくとも、ぺろりとたいらげてしまったものだ。

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 ○その後、金山駅に併設された商業施設にある、名古屋の文具/書店「ザ・リブレット」で本を買い、カバーをかけてもらう。このカバーを、今回の旅の思い出とするつもりである。

 買ったのは、カーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』。村上春樹の新訳による。


 ○名古屋駅に戻り、ホテルで荷物を受け取ると、いよいよ旅の終わりが近づいた。買い逃していた、各所へのお土産を購入し、ふくれあがったカバンをさげて、新幹線に乗り込んだ。

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 リクライニングさせた座席に背をあずけ、「成田金しゃち酒造」の「金鯱」ワンカップと、味噌カツ味のすり身カツを楽しむぼくたちを載せ、新幹線は東へとむかった。
「いい旅だったな」
 ワンカップをぐびりとあおり、下品ラビットが言った。
「いいホテルだったね」
「今度は古本屋がっつり巡りしようぜ」
「いいね」

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 午後六時すぎ。静岡に入ったあたりから、窓のそとが暗くなり、空に月が浮かんだ。夏の夜が少しずつ短くなっていく。

○本日の、全国の新規陽性者数は、六〇〇人。
 そのうち、東京は、一四八人。

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→「#47 八月も終わり」



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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