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「音楽」

 音楽が好きです。この言葉を何回他人に言ったことだろうか。自己紹介においてこの言葉を外さなかったことはないだろう。今回は僕についての話になります。ちょっと長くなりますのでご了承ください。僕と音楽との向き合い方とそれに伴った青春の懺悔です。



 大学に入学して僕は軽音楽部に入った。高校までの6年間はずっと陸上部に所属しており、なんなら部長も勤めていた。それまで楽器の経験がないと当時は言っていたが、それは真っ赤な嘘だ。

 楽器を買ったことが中学生の頃に3回あった。1回目はいつだったかは全く覚えていないが、子供用のミニアコースティックギターを買ってもらった覚えがある。どういった経緯で買ってもらったのかも全く覚えていないし、それを使ってコードを覚えた記憶もない。おそらくよくある憧れで勢いのまま早い段階で挫折したのだろう。

 2回目は明確に覚えている。中学生の頃に一度だけバンドを組もうという話があったのだ。当時陸上部の僕には幼稚園からの幼馴染Sがいて、彼はドラムを習っていてSも陸上部に所属していた。小学校時代には大して遊んだことはなかったが、Sの家に初めて行ってみると防音室にドラムセットやらアンプやらが設置されていたのをよく覚えている。彼の家は裕福であったので次第に溜まり場状態になり、そこによく来ていた陸上部数人でバンドを組もうという話になったのだ。僕の担当はギター。近所のイオンの楽器屋で父親に頼み込んで赤いストラトキャスターの初心者セットを買ってもらい、練習したが1週間弱で挫折した。ギターが弾けることへの憧れと友人とのノリに置いていかれたくない一心だったんだと思う。弾けないギターを背負ってSの家に行き、アンプを繋いで、不協和音を鳴らしまくりそれでいて「弾けている」と自信満々の表情で友人と話をした。初期衝動といえばそれに違いないが僕のものは自己防衛としてのギターだったのだろう。

 3回目は中古で黒のプレシジョンベースを買った。近くのブックオフで9800円で売られていた。これもなぜ買ったのかは覚えていないが、ベースは単音で弾く楽器であるから簡単だろうという考えがあったのは覚えている。ベースの方は多少できるようになり、教則本の巻末に載っていたDOES「バクチ・ダンサー」を自室で弾いていた。それでも途中で挫折し高校になってからは全く楽器を弾くことはなかった。

 楽器を買ったのは3回といったがそれ以前にもピアノは習っていた。姉がピアノを弾いており、自宅にもピアノがあったせいかはわからないが、小学1年生までは習っていた。やめた理由は母親曰く、僕が先生を嫌いになったから、だそうだ。



 そして高校に入学する。高校入学当時はアニメのOPやEDで使われる曲ばかりを聞いていた。当時のアニメはビジュアル系のアーティストがタイアップされていることが多く、聞いている音楽もその方向だったと思う。そして自分で選んで音楽を聴くこと自体がそうしたジャンルから始まっている。幼少期の音楽体験は、家の中では演歌や歌謡曲、車の中ではサザンオールスターズ、SMAP、松任谷由実の永遠ループ。これらに潜在的な影響を受けている可能性はあるが、自ら能動的に聴く姿勢ではなかった。

 さて、高校が始まると人間関係も一新して新しい環境が始まるわけで、そこでの友人作りはとても大事なものだ。ここで僕が利用したものこそが「音楽」だ。音楽をコミュニケーションツールとして考えていた。他人との仲を深めるためには共感であるとひねくれていた僕は「好きな音楽」という共通点を作ることで人付き合いをしていた。そこで様々な音楽を聴くようになった。それらを好きで聞いているのではなく、知るために聞いていたと言えるだろう。もちろんそれ以外のことで友人になった人もいるが、このツールとしての音楽は強烈に記憶している。当時好きになった女の子がどこかでColdplayとストレイテナーの話をしていて、仲良くなるために自分もそれらが好きなフリをしてCDを貸してもらい、褒めちぎり、ニヤついていたじぶんが容易に想像できる。もちろん玉砕してしまうのだが。そのせいかいまだにColdplayをバイアスなしで聴くことが出来ていない。

 こうした経験のおかげで音楽視聴体験は斜に構えた姿勢のまま築きあげられ、知識としての音楽容量は増加していった。そして大学に入学する。



 大学で音楽を始めた理由は、正直言って特にない。それまで続けていた陸上競技では高校時代に天井が見えてしまい引退すると決意したため、何か新しいことを始めようとしていたのは確かである。音楽ならば知っているし、ということで軽音楽部に入部し、ベースを弾き始めた。ベースを始めた理由は当時、ライブでたまたま見たストレイテナーの日向秀和に憧れたためと最もらしいことを語っていたがこれも後付けであった。単純に簡単だと思っていたからだ。

 それから僕は大学の軽音楽部の部室に入り浸った。単純に音楽が好きだからという理由ではない。その環境が好きだったのだ。音楽を通して様々な話をして、音楽を通して人と出会い仲良くなる、ここが自分の居場所だと思っていた。もちろん自分の演奏には半端じゃないくらいの力を入れた。僕が所属していた軽音楽部は固定のバンドを組んで演奏するスタイルではなかった。自分が好きな人を選んで曲ごとに即席のバンドを結成して演奏するものであった。このシステムがさらに僕の中での音楽との向き合い方をねじ曲げてしまったのではないかと思う。一人一人が自由に人を選んでバンドを組むということは、自分も同様に他人に誘われるということ。例えば1回のライブで何曲も出演するということはそれだけ他人から誘われているということになる。当時の僕は下手=誘われない=コミュニティ内での死だと思っていた。自分が理想としていた環境での死は絶対に避けようとして必死に練習して励んだ。そのおかげで上達は早かった。たった一度だけライブに出演できなかったことがある。誰にも悟られないように黙っていたが悔しくて仕方がなかった。また同時に誘われる=自分の努力が認められている、という考えになり努力すればするほど承認欲求が満たされていく実感があった。さらには自分が見つけてきた音楽を他人に教えて弾いてもらう、これも満たされるものがあったのだろうと思う。自分が見つけてきたよくわからない海外のバンドを共有して、演奏して、発表して、評価されて。誰よりも一匹狼のような態度で過ごしていたが、そういう人間こそが隠し持っている承認欲求は凄まじいものである。

 もちろん純粋に音楽が好きになったと思える瞬間は何度もあった。しかし振り返ってみても別の視点のウェイトの方が大きかったように思える。難解な曲に挑んだのも、こんな難しい曲を弾いている自分、見せている自分、それらの快感を得るためのマスターベーションに過ぎなかったのだろう。一度冷めていると言われたことがあったが、一部の人間には本質を見られていたのだろう。自分では全く自覚していなかったが今では思うことが多々ある。今更言ったことで変化が起きるわけではないのだが。

 僕の大学の軽音楽部は3年次の年末で引退となる。そのため卒業までは無所属となった。その間では自分で頑張って音楽制作をしてみたり、動画を作成してみたりした。これも自分が認められているんだという承認を得たかったのだ。そして知り合いの力を頼らなくても自分には世間から認められる力があるんだと確信してこれらの活動を行い、YouTubeにアップロードしていた。するとコメントがついたり、再生数が上がったりしてこれが本当に心地よかった。これが全て知り合いによるものだとは知らずに。数人が見ていることは知っていたが、後からほとんどの人が知っていたことを告げられ、僕の中で様々なものが見事に崩れ落ちていった。自惚れていたことをここで初めて知ったのだ。この事件を知っている僕の周りの人間は笑っていたかもしれないが、この時のショックは半端ではなかった。それ以来僕は自分発信の行為を全て辞めた。音楽制作も動画作成も何なら人との連絡も積極的に取ることを辞めた。僕の青春であった「音楽」が終わった日だった。



 大学を卒業してから、大学時代の友人ともほとんど連絡を取らなくなった。何せ僕から話すことは「音楽」以外にないからだ。多分おそらく、他人に興味がないのだろう。自分のことしか興味がないのだろう。自己愛による自己防衛のためのツールとしての音楽が僕にもたらしたものがこれである。だから僕の音楽愛は偽物であると思っている。この男が音楽を語ったところで形だけの中身がないのは当然である。しかし崩れ落ちた自信と引き換えに僕の承認欲求は未だに疼いている。自分が読んでるもの、聞いているもの、やっていること、全て認めてもらいたいという欲求は根強くある。何が言いたいかというと音楽から移行して他の分野でのものをツールとして利用しようとしているのだ。今ふと僕の部屋をみると読んでもない本が大量に本棚にささっている。そしてロクに弾けもしないテレキャスターが綺麗な状態で置いてある。これは僕の抑えられない衝動なのだろう。自分が嫌になりそうだ。承認欲求を抑える方法なんてあるのかとたまに思う。インスタグラムやツイッター等で承認欲求の強い人の投稿を見るのがしんどいと言う人もいるだろうが、抑えられない人間もいるということもわかってほしい。たまに自己啓発本かなんかでアドラー心理学がどうこう書いてあるものがあったり、ネットで調べてみたりすると、「承認欲求の捨てかた」みたいなものがある。ああしたことが正しいのはわかるが、理解することと実行することでは雲泥の差がある。万人がアドラー心理学を噛み砕いて実行に移せていたらもっとマシな社会になっているはずだ。

 以前住んでいた家で僕はミニマリストを気取って、部屋を相当綺麗に保ちなるべくものを持たない生活をしていたことがある。部屋には机とベッドだけ。自分にしか興味がないからである。そうした生活の隅々から自分の人間性を垣間見ることが出来ていたのだろう。そしてこうした音楽に対する懺悔を書き記し公開していること自体こそがそれの最たる例である。

 

 音楽が好きです、この言葉を純粋無垢な気持ちで言える日は来るのだろうか。

 

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