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「尊敬はしてない」

「お互いに尊敬できないと、尊重しあえないし夫婦関係も上手くいかないと思う」

何かの話の折に、私が旦那さんにそう言ったら、いまいち納得していない顔をして

「俺は、○○(私の名前)のことは、別に尊敬してないけどなぁ」

と真顔で言われた。私はとてもショックを受けて、一瞬の沈黙の中でこの人とは上手くやっていけないかも…?という最悪な想像までした。

私って尊敬されるところないのか。一個も?
ええ、じゃあどうして一緒にいられるの?
多分私の顔が泣きそうだったのか大混乱した顔だったのか、旦那さんは何かを感じ取ってさらにこう言った。

「元々尊敬している人ってそんなにいないんだよな、親も別に尊敬してないし。あ、でも職場の元上司のことは尊敬してる」

えー、いるじゃん尊敬してる人。
しかも結構身近に。
私へのフォローで言ったのかと思ったよ、まじか。我ながらめちゃくちゃその発言にくらってしまったんだけど。普段、そんな真っ向から喧嘩売ってくることなんてないからびっくりしたのもあって。つい、

「私は××(旦那さんの名前)の考え方とか、仕事のスタンスとか尊敬してるところたくさんあるよ…?××は私に対してそういうところ一個もないってこと?」

と言い返していた。多分語気強めに。これに対して旦那さんは何だか噛み合わない顔をしていて、

「○○のことすごいと思うことはあるけど、それは尊敬とは違う」

もうわけわかんないんだけど!ってなった。ここでようやく私たちの会話が噛み合ってないことに私も気がついた。で、何が噛み合っていないんだろうと思って、色々話を擦り合わせた結果。

私と旦那さんの中で、“尊敬”という言葉に対する認識が全然違ったことがわかった。

旦那さんは“尊敬”という言葉の敬うという部分に重きを置いて解釈していた。旦那さんの中で尊敬するという間柄は対等ではなく上下関係が発生するもので、自分が相手を敬う(多分崇拝に近いイメージ)があって、私はそこにはカテゴライズされないらしい。
一方、私の中で“尊敬”という言葉は尊いの部分に重きがあって、自分にないものとか、すごい!と思うことがある=尊敬に値するというような認識があった。だから旦那さんも友達も、親も、会社で関わる人もそれぞれに尊敬できる部分があると思っていて、そこに値しないと旦那さんから言われたと思ってショックを受けたというのがことの顛末。
結果的に「尊敬ってそういう意味で聞いてたんなら、ちゃんと大事に思っているし、○○をすごいと思うこともあるよ」とあっさり言われた。

はぁ、日本語って難しい。言葉って難しい。
「すごいなって思うところ」だったら最初からこんな齟齬は生まれなかった。
でも、旦那さんの認識って一般的なの?私は自分の解釈が一般的なのかと思ってた。
会話の文脈から読み取れない?と思ったりもしたけど、多分その時適当に合わせることが後々あの時はこう言ってた!とかのトラブルになると分かっていたのかも。

そんなことがあってふと、同じことに対して話をしているのに噛み合わなくて、自分としては言葉を尽くして説明して、冷静に話しているつもりなのに上手くいかないことってそもそもの言葉に対する認識の違いが原因のパターンもあるのかも。と思い至った。

今回はたまたまお互いに齟齬が分かって、そこを解消しようとして結果的に噛み合ったけど。夫婦の日常的な会話でそうなるんだったら、SNSとか友人同士とか、言葉を尽くせないタイミングでしたちょっとした一言や会話がトラブルに派生したり、炎上したりすることも往々にしてあるだろうな、と。私は言葉に対して正しい認識をしていると思っていたし、会話や文章のやり取りで困ったことがないから、それで問題ないと思っていたけど。もちろん自分の認識は絶対でもないし正解でもないとも思っている。辞書で言葉を引くと一つの言葉に複数の意味がある時もあるし、辞書の意味じゃないニュアンスで一人歩きしてその意味が定着することもある。日本語でも他の言葉でもそういうことはある。私は私の思いや考えをなるべく齟齬なく伝えたい。それと同時に自分の認識にも少し余裕や幅を持たせていなくちゃなぁと実感した。

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