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久しぶりに読書記録でnoteを更新した

読書記録を書くのは楽しいけれど、今日までそのことを忘れていた。無気力に襲われていた「アウトプットの場所が欲しい」と思った。趣味である読書と英語はインプットがほとんどだし、読書の感想ノートはつけているが物足りないと感じていた。

「そういえばnote暫く更新してないな」と思い、昨日から読書感想noteを書いた。noteでは自分の思考回路をそこそこ形を整えた文章としてアウトプットできる。普段自分がノートに書いている読書記録とはそこが違った。読書感想と紐付けて自分の素性をペラペラ話すようなことはnoteでしかできなかった。note用に文章を書くのと、個人的な記録用に自分語で書き殴る自分の感情は、アウトプットの質・満足感が桁違いなことに気がついた。だからnoteで読書記録を書くのが楽しい。


上に述べたように読書記録はただの自己満足だ。私の趣味の一部は読書、音楽鑑賞、美術鑑賞など、誰かの作品を受け止める種類のものだ。誰かが時には何年もかけて作り上げた作品を、私は趣味として数分、本の場合は数日で消化する。これは作者がかけた時間や熱量の割に合わないのではないのかと思う時がある。

もちろん作者が〇〇日かけてこの作品を作ったのだから、受け取る側も同じ日数をかけて感じるべきだ、と言いたいわけではない。ただ、美術館に飾られるような名作を、数分数秒で通り過ぎてしまう自分には何か違和感を感じる、という話だ。

その違和感を拭うために私は文章で作品と向き合う。作品は一瞬で消化してしまっても、何かしら記録を残したい。これが私が真剣に作品と向き合う方法であり、間違いなく自己満足である。記録をつければ、作品を一瞬で消化することに対する違和感は薄くなる。そしてついでに自分の思想をペラペラ喋れるということだ。



この文章は一つ前の投稿の後書きとして書こうと思っていましたが、かなり長くなってしまったので別々にして書いています。つまりnote楽しいね、ということです。空っぽな時にまたnoteの存在を思い出してまた自分の心を癒したいです。


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