極大な「天下」と極小の「付近」の間で揺れる中国現代思想
※この論考は2023年1月5日の「早稲田超域哲学研究会」で発表した内容を微修正したものになります。
序
この論考では2000年以降と2020年前後という二つの時期において、それぞれ中国で影響力を持った互いに対照的な、そして日本の文脈から見ると極めて保守的な二つの思想を取り上げて紹介したいと思います。
2000年以降については中国の哲学者・趙汀陽の議論を取り上げ、2020年前後については人類学者の項颷の議論を取り上げます。前者はいわば人類世界全体を考えるための概念を提供しているのに対して、後者は自己から500メートル範囲内の「付近」の世界を考えるための手立てを示そうとしており、これは2022年の11月の中国における抗議運動の背景の一つを説明してくれるものでもあります。
言ってみれば、二〇〇〇年代は世界という極大の視点という特徴を持つのに対して、二〇二〇年代は自己の付近という極小の視点によって特徴づけられます。対立しているように見えるが、実はいずれも中国や中国人にとって最も切実な問題に取り組んでいます。
2000年代と趙汀陽の「天下」再解釈
では、それぞれの時期の背景と思想の特徴を見ていきたいと思います。
まず、2000年以降とは90年代の急速の改革開放を通して、経済的に台頭し、世界におけるプレゼンスを高めていった時期であり、97年の香港返還、99年のマカオの返還を経て、中国の国家的な自信が最高に高まった時期でもあります。
2008年の北京オリンピックは2000年に申請を開始し、2001年に正式に決まったものです。
このような中国の台頭を背景に、中国は単に経済的な主体ではなく、一つの政治的な主体として、世界においてどのような位置を占めているのか、現在の世界における問題――アメリカの覇権政治など――に対して、どのような解決策を提供できるかといった問題が盛んに論じられるようになりました。
米中の対立または摩擦が一つの思想的な焦点となっていました。そのアメリカの覇権的な支配にどのように対抗できるのか、ということに関する一つの明確な方向性を示したのが、今日取り上げる趙汀陽の「天下」に関する思想です。
趙汀陽は中国社会科学院大学哲学院教授を務めており、その代表的な仕事は、古来の中国の政治思想の中心的な概念である「天下」を現代という文脈において再解釈し、その意義を主張するものです。2005年に『天下システム』という著作を出版し、大きな注目を浴びました。
その政治哲学の最終的な目標は、現在の「国際政治」のはらむ諸々の問題を解決し、乗り越えるような、より包括的な枠組みを提供することです。
趙の特徴は歴史的背景や倫理的な価値を踏まえた「天下」解釈よりも、論理的で、合理的な論証の手続きを踏まえた「天下システム」の概念を提起していることにあります。
中国の伝統思想が現代の世界政治に新たな可能性を提供し、真の普遍性を実現する、というその目的は、しばしば中国の国家主義的なイデオロギーとの親和性を指摘され、リベラルな知識人たちに批判されてきました。日本では例えば福嶋亮大や中島隆博はいずれも彼の天下理論の危険性を指摘しています。
ここでは彼の理論が置かれている文脈に目を配りつつ、その内容に即して検討していきたいと思います。
趙の天下に関する議論は2000年代のさまざまな著作で展開されていますが、ここではその集大成的な著作である『天下的当代性(天下システムの現代性)』(2016)を取り上げて、その骨格を簡単に紹介したいと思います。ちなみにこの本は2021年にAll Under Heaven : The Tianxia System for a Possible World Orderというタイトルで英訳されています。
まず、なぜ「天下」という古い概念が現代において必要とされていると考えられるのか。
現実的な問題として、現在の世界はグローバル化によって全てが繋がるようになり、すべての国と個人がそのシステムに巻き込まれています。そこに外部性は存在しないということです。
これは何よりも世界が世界として存在する仕方の変化であり、現在の国民国家、帝国主義、覇権争いによって特徴づけられる国際秩序はいずれもそれに対応できず、問題を顕にしています。従って、その変化に対応した存在の秩序(order of being)が求められています。その秩序とは「世界の内部化」を実現するものであり、天下システムにほかならないと趙は主張します。
天下システムの特徴は何よりも世界全体を一つの政治的な主体として考えることにあります。簡単に言えば、これまでの政治的な主体は国家であれ、民族であれ、個人であれ、自分の視点から「世界を考える」ということを行なってきました。それは世界を対象として捉えることを意味しています。それに対して天下システムでは、「世界から考える」ということを実践します。つまり、「世界」こそ一つの主体的な視点を構成しているということです。
天下としての世界は、外部のない世界であり、対象化を退ける世界であり、敵と友という対立概念、または異教徒という概念のない世界でもあります。
そこには何らかの方法で他者を対立や敵対ではない形で、天下システムという共在の秩序の中に取り込むことができるという前提があります。
天下システムにおける政治は、シュミットの提示した「敵と友」の構造は政治的なものの本質ではなく、むしろその失敗を示していると考えます。天下においては、政治とは何よりも平和な共在を構築するためにあると彼は考えています。
その理由は、いわゆる社会の原始状態を考えると明らかになってきます。
ホッブズの「万人の万人に対する闘争」という原始状態と異なり、古代中国の思想家である荀子の想定する原始状態は集団の個人に対する先行性です。はじめに個人ではなく、集団があるということです。その集団の中で闘争ではなく、むしろ協力と団結が求められるはずです。言い換えれば、「共在」は「存在」に先んじる。もしくは「共在」は「存在」の条件だということです。そして、外部の集団との関係においてこそ闘争が生じます。
荀子とホッブズのそれぞれが想定する原始状態を総合すると、集団は内向きに団結し、外向きには戦争するという原始状態が得られます。
その意味で、外部性を消去しない限り、この原始状態は続いていくし、20世紀を通してもっとも過酷な形でこの原始状態が展開されてきたといえるかもしれません。趙汀陽はそこまで言っていませんが、論理的にはそうなるはずです。
では、外部性の消去とは何を意味するのか?ジョージ・オーウェルの「1984年」のようなディストピアが世界全体を覆い尽くすようなディストピアになるのではないか、という疑念がどうしても生じます。
趙汀陽によれば、天下は単一性を目指して、多様性を抑圧しようとするものではなく、むしろ「兼容性」すなわち互換性を特徴とします。それは簡単にいうと、差異を理由に誰かを抑圧したり、支配したり、敵対したりする行為を、利益を毀損するものとして規定するシステムです。それは幸福を保証しないという意味で理想主義的なものではなく、すべての人に平和や安全を保証し、より多くの人のための利益追求を保証するものだという意味できわめて現実的なものです。
実は、敵対性、または敵を作ること自体、排除ではなく、一つの独特な包摂の仕方だと言えます。「天下」はあくまでそれとは異なるような包摂の仕方を要求しているといえます。
しかし、天下はある種の「全体性」を持っているのも事実です。それは政治のすべての文脈を画定し、政治問題もすべてその枠内で解釈されることを要求します。
現在の国際政治は独立した目標と理想を持っておらず、国家政治の付属品でしかなく、それゆえに安定せず、必然的にゲーム理論でいう支配理論に転落してしまいます。関係の安定性を無視した敵対戦略の策定こそ優先されるからです。
また、世界主義も国際主義も無力です。道徳的なユートピア思想は人間の利益に則った選択を変えることはないからです。実際、国際政治は深刻な衝突を解決できたためしはないし、実際、現在のロシアによるウクライナでの戦争に対して、国連はそれほど機能しているとは思えません。
趙は現代政治の基本精神とは「分離する」こと、「境界の確定」だと整理します。個人の権利は個人の境界であり、主権は国家の境界です。それは世界を分裂させ、敵を体系的に生み出すシステムです。
しかし、グローバリゼーションという全てが繋がり合う世界の新たな存在に対して、現代政治は全く無力です。
それに対して、「天下」は世界を一つの政治的な主体として考える枠組みです。その枠組みの中に世界全体を包摂し、その内部で世界を理解し、その政治問題を解決すること、すなわち「世界内部化の原則」が現在の世界で求められているということです。
その原則がすべての内部化を要求しているという意味で、世界全体に対して普遍的に実行可能な政治ゲームのルールでなければなりません。
言い換えれば、すべての政治レベルを貫く伝達性、そしてシステムの協調性が必要だということです。
それはすべての国家と地区、すべての関係性(個人間および国家間の関係)に対して同様に実行可能であり、いかなる損害も地域や個人にもたらさないものでなければならない。
もちろん、衝突は常に起こるというのは事実です。したがって、それは衝突が生じることをあらかじめ阻止するのではなく、生じた衝突を常に解決する主体的な能力を持つことを要求します。
そして、世界内部化を実現した「天下」において、共存や協力の魅力は、常に敵対することの誘惑に勝ることが求められています。
よく考えると、これはユートピアへの希求ではなく、普通の社会でも求められているような理念であるように思います。グローバル化した現在において、国家政治や国際政治は構造的にそれを実現できないことが、「天下」のような世界を政治主体とする思想、つまり世界主権の思想の必要性を生み出しているということです。
現在の「世界」はまだ地理的な存在にとどまっており、言ってみれば非世界でしかなく、政治的な存在になっていません。
したがって、世界政治は政治の終わりではなく、むしろ世界として政治的に思考するためのある種の始まりです。
それは政治の原義に立ち返ることであり、すなわち共に生活していくための芸術=アートとしての政治、紛争の空間を共有の世界に変えていくための芸術としての政治を取り戻すことでもあります。
趙は天下システムの実現に必要なのは、個人的な理性ではなく、関係的な理性だと主張しています。
関係的理性とは、関係性が普遍的に安定し、かつすべての人がその利益を享受できるような戦略の採用を意味します。
戦略というものは、もし個人が自分の利益を最大限に追求し、かつ十分な学習能力を持っている場合、どのような良い戦略も、どのようなイノベーションも最終的に模倣されることになります。
無限に戦略を作り出すことはできないので、最終的にナッシュ均衡のようなある種の均衡点に達しますが、かつての敵の戦略によって不利益を被った主体は報復を企てることを阻止できません。それは結果的に均衡、つまり安定した関係をもたらすかもしれないが、誰も利益を得ることができない状態になってしまいます。しかし、それが悪い結果をもたらすとしても個人的な理性としてはあくまで合理的であることがあり得ます。
つまり、個人的な理性は普遍的な善――共在に貢献するような善を保証しないということです。
それに対して、ある安定性を生み出す戦略がたとえ普遍的に模倣されることがあっても、報復的な行動を生み出さない場合は、普遍的な利益をもたらす良い戦略だと言えます。
それを可能にするのが「関係的な理性」です。
そこでは共在意識の優位性を強調します。
①まず、それは模倣における報復問題を考慮し、「報復の回避」を優先します。
②次に、そのため、それは自身の利益の最大化ではなく、利益を求める過程における「相互の傷つけ合いの最小化」を優先します。
③最後に、それを前提に、さらに協力の最大化と衝突の最小化という最適な共在状態を追求し、すべての人の利益の増進を目指します。
さらに、何が普遍的に良い価値なのかという問題に関して、趙は解を求める方法が二つあると言います。
一つはすべての個人に適用できる価値を求めること。
もう一つはすべての関係に適用できる価値を求めることです。
前者に関しては、一般的にすべての同意や承認を得られる価値が普遍的に有益であることを証明できないという問題があります。みんな核戦争に同意することは原理上ありえるが、それが有益ではない、といったような事態が生じうるということです。
後者に関しては、普遍的に利益を享受できる関係性に、すべての人が同意するでしょう。それはすべての人が同意しているけれど、すべての人に最悪の状況をもたらすような選択をあらかじめ排除できるという利点があります。つまり、普遍的な受益可能性は常に公共的な同意を含むが、公共的な同意は常に普遍的な利益につながるとは限らないということです。
すべての関係性に適応できる良き価値を求める関係的な理性は、多元的な価値の間の衝突を解決するのに有効だと趙は考えています。
趙の天下システムの構想は多岐にわたっており、複雑な論証を行なっているので、上で紹介したのはあくまで簡単な骨格になります。
彼の哲学の妥当性に関してはより複雑な議論が必要になりますが、彼が強調する「天下」システムの必要性は中国的な経験から出てきたものだということが重要だと考えています。
まず、中国の急速な台頭はグローバル化に対する過剰な適応によるものだと言えます。2000年以降に現れた、これからの時代において中国こそ世界を導くものだという意識とそれによって導かれる敵対的な外交姿勢も、ある意味これまでのアメリカの覇権的な政治に対する戦略的な模倣と「報復」だといえます。
この点において、天下システムは「報復」を否定する理論として、内在的にはむしろ現在の中国の戦略と欲望ーーアメリカンドリームに対置するチャイナドリームですねーーを否定するものとしてたち現れます。アレクサンドル・ドゥーギンのネオユーラシア主義が直接ロシアの拡張主義につながってしまうのと対照的です。
国家を超える政治の可能性は、多くの場合「世界国家」というイメージで語られ、その点で否定されてきたように思います。しかし、中国の伝統的な思想において、国家や民族ではなく、自然や万物といった概念の、政治的な対応物としての天下という概念を取り上げることで、オルタナティブなモデルは可能であることが趙の哲学は示そうとしています。
それは現在の国際政治や国家政治の枠組みの中では中国という国の位置づけ、中国人の価値観、中国という経験をうまく処理できないという考えが背後にあるからだといえます。中国だけでなく、多くの国や地域の経験、グローバル化した世界という新しい経験をうまく処理できていません。
天下システムの理論はある意味中国の特殊な歴史的・政治的経験にもとづいた理論ですが、グローバル化という現実と、その現実をうまく処理できない現在の政治哲学の乗り越えという普遍的な目的を持っています。実際、趙自身が述べているように、天下システムの思想はカントの永遠平和のプロジェクトを引き継ぐものでもあります。
ただ、多くの問題をはらんでいるのもまた事実です。一つはそれは簡単に中国の国家主義に回収されてしまうという問題です。彼が2000年代から現在に至るまで大きな影響力を持った理由の一つに国家主義的な欲望があるといえます。
もう一つは、それは具体性をもっていないということです。彼はきわめて論理的に天下という政治的な枠組みの必要性を論証していますが、それが具体的にどのように実現するのか、どのような制度になるのかを提示できていません。言い換えれば、それは中国という特殊な経験から出発点として普遍性を求めようとしながらも、それが具体的にどのように個々人や社会の経験を組織すべきかを提示できず、国家主義的な言説を補強する以外に実行可能性を持たないところに最大の難点があるように思われます。
2020年代と項颷の付近理論
趙汀陽の天下思想は、中国という国家が直面していた競争的な国際政治において、どのようにその競争性から脱し、新たな普遍性の条件を作り出すかという切実な問題に取り組んでいたとすれば、2010年代の後半から中国における個人が直面していた過剰な競争社会とどのように向き合うかというより身近な問題が重要視されるようになりました。
その背景に、90年代以降の中国社会は従来の「共産主義的な平等社会」が解体され、何もかも自力で手にいれなければならないという、ある意味万人の万人に対する闘争のような、過剰な競争社会になっていきました。
つまり、改革開放によって誰もが戦略的な競争に参加する主体にされてしまったということです。誰もがこぞってエリートになっていい仕事を手に入れ、安定した生活を手に入れようとするようになって競争に明け暮れた結果、いわゆる焦燥感や抑うつの感覚が一般化しました。若い人たちはますますそのような生活に意味を見いだせなくなり、現実と自分の乖離を強く感じるようになっていったのです。
そのような状況の中で、人類学者の項颷は若い人の中で人気を誇るようになりました。彼はオックスフォード大学で教鞭を取っている人類学者で、それまでも社会人類学の分野で存在感のある学者だったのですが、二〇一七年前後から一般的な層で人気になっていき、二〇二〇年にインタビュー集『把自己作为方法(自分を方法とすること)』の出版を機により多くの読者に認知され、支持されるようになりました。ここ四年ぐらいは中国のメディアは「何かあれば項颷に聞け」の状態になっています。
ここでは彼のインタビュー集をメインに参照しながら論じていきます。ちなみにこのインタビュー集の英訳もオープンアクセス(無料)で出ています。
彼は90年代以降の中国人の世界観を次のように整理しています。
この整理に対して趙汀陽も同意すると思われますが、項颷にとってこういった世界観が「内面化」されることで、人々の日々の生活もまた同様な単純で競争的なものに還元されるようになっていったことが重要なポイントです。
去年の11月末に中国で起きた全国規模の抗議運動をご存知の方も多いかと思いますが、それは誰もが予想できなかったものだったのです。1990年代以降、市民や学生が何らかの政治運動に参加することが厳しく制限されるようになり、さらに過剰な競争社会の中で中国人たちが連帯する条件が掘り崩されていたからです。
では、去年の抗議運動はなぜ起こり得たのか。この疑問に関して項颷の思想が手がかりを提供してくれるように思います。実際、新型コロナ以降の中国で、項颷の思想がさらに影響力を広げていきました。
項颷の思想の最大の特徴は、反知識人的な立場にあると言えます。彼はいわゆる中国の80年代の啓蒙的な知識人たちとその伝統引き継ぐ現在の知識人たちを中国の現実から乖離した存在としてみなします。彼らは様々な理論や哲学を弄するが、多くの場合は海外の理論を中国に無理矢理な当てはめているにすぎないと項は言います。この批判に関して私も同意せざるをえない場面に遭遇してきましたので、正当なものだと思っています。
とはいえ、項颷は趙汀陽のように中国の伝統的な形而上学を参照して、それを乗り越えようとするわけでもない。彼から見れば、趙汀陽の言説も現実から遊離したものとして映るでしょう。
そうではなく、彼は啓蒙的な知識人と一般的な庶民の間に第三の知性を打ち立てようとします。知を擁護するか、反知性主義を擁護するかというある意味知識人の作り出した対立の外部に別の知性の可能性を模索しようとしています。
彼が強調しているのは、その知性の言葉は現実の生活や経験と関係を持っているもの、有機的で直接的なものでなければならないということです。
彼は自分の小さい頃の生活が三重の世界に分かれていると述べています。一つ目は社会の下層コミュニティの世界で、二つ目は祖父母の没落貴族の世界です。そして三つ目は学校における正統な言説、つまり共産党の公式イデオロギーの世界です。
この生活の三重化は彼に「生活の差異性」を意識させたといいます。言い換えれば、生活というものは隅々にわたって均質的なものではなく、さまざまな差異や矛盾を抱えている、複雑なものだという意識です。
誇張や断論的な言説をする知識人に対して、彼はどちらかというと社会の下層に属する「郷紳」というものに強く惹かれていて、自分も郷紳気質を持つ研究者だと考えています。この「郷紳」という知的な主体性に対する評価にこそ彼の独自性があります。
では、郷紳とは何でしょうか。
彼は自分の母方のおじさんを典型的な郷紳として例に出しています。彼のおじさんは身近の物事に対して明確な「ヴィジョン」(中国語では「図景」)を持っていて、それを体系的に語り、物事の間の関係性をクリアに示すことができます。また、農村では、その村の出来事をすべてはっきりと、体系的に説明することができる人が必ずいると言われています。
今の中国の若者たちが自分たちのクラスや学校のことについて、その組織はどのようにまわっているのか、基本的な権力構造はどのようなものか、誰がどのような動機を持っているのかについて語らせてもできない人が圧倒的に多いといいます。
つまり、郷紳というのは、自分が生活する小さな世界やコミュニティについて興味を持っていて、意識的に自分の言葉で自分の生活について語ることができる者たちであり、彼らの記述は何か外的な理念や概念の力を借りたものではなく、内在的に生成されたものであるという意味で独立的な記述となっています。それは分析や判断ではなく、あくまで記述です。
郷紳は故郷ではリーダー的な立ち位置にあるが、国家という存在に対して距離を持っています。なぜなら、彼の生活する小さな世界こそ、彼という存在の意味を構成するものであり、価値を内在的に提供するものだからです。
これはある意味「中心/辺縁」という二分法を作り、辺縁から中心という利益のチャンスが最大化する場所への必然的な運動を想定する競争的な社会像と鋭く対立するものです。
とはいえ、実際に郷紳になれと彼は主張しているわけではありません。重要なのは方法としての郷紳、つまり第三の知性としての郷紳のあり方が現在においてどのような知見を提供してくれるかということです。
郷紳的な知性は何よりも自己や自分の回りの物事を観察し、記述することを優先します。その記述は自己の経験世界の問題化につながります。
個人の経験自体が重要なのではない。私たちは関心を持つのは自己ではなく、世界であり、自己が重要なのはそれが常に世界を理解するためのスタート地点だからです。
自己の経験や生活は自然発生的なものではなく、ある特定のコンテクスト、歴史、限界によって構成されています。
自己を記述することは、それらのコンテクストや歴史の形成過程やダイナミクスを記述することであり、それによって、外に向けて自分を開くことができる、もしくは自己とはそもそも開放系であることに気づくことができるようになります。
このような知性の必要性と現実における欠如は、新型コロナの流行においてさらに際立って明らかになってきました。
項によれば、中国では教育を受けた都市部の若者は基本的に2つの極端から生活の意義を形成しています。一つは個体の経験であり、もう一つはグローバルな権力闘争と関連するイデオロギーの立場です。後者は例えば「中国は世界をリードする存在になるべきか」「西側の民主制度は中国の制度より優れているか」といった問題に関連しています。天下の思想も後者のほうから出てきているといえます。
問題なのはこの2つの間の中間がなくなってしまったということです。その中間の場とは「付近」と彼が呼ぶものであり、郷紳的な知性における身近な世界にほかなりません。
付近の消失と空洞化は経験と記号との断絶をもたらし、生活の意義の有機的な連関の形成を阻害してしまいます。その結果、大衆の感情はある極端から別の極端へといとも簡単に振れてしまうのです。
郷紳的な知性は付近を記述し、そこに新たな連関を見出すことを可能にします。新型コロナウイルスの感染が広がると中国ではコミュニティごと封鎖してしまうのですが、食料の調達などのさまざまなことがコミュニティにいる者たちが協力して行わなければならないので、人々は改めて自分の付近に対する意識の欠如とその重要性に気づいたのです。それをうまく言語化し、一般の人たちに知らしめたのが項の「付近」理論だったというわけです。
「付近」とはいわゆる地域社会や隣近所といった実際の関係性ではなく、ある種の「視野 a scope of seeing(視域)」です。
それは安定した、同質的なものではなく、むしろ異質なものがどのようにつながり、ひとつの付近を形成しているのか、差異を持つ者どうしの連結の仕方に目を向けようとし、グローバル化が実際に自分の生活にどのような影響を与えているかを考えようとします。言い換えれば、国や文化といった極端で単純な差異ではなく、自分の生活に密接にかかわっている複雑で差異に満ちた物事が連結し、差異を保ったまま協力し、または問題を生み出していく動的な状態の記述です。
グローバルな物流において、「ラストワンマイル」という言い方があって、人々に届く最後の一マイルを自らのシステムに取り込むことが資本の増大につながるというものですが、それに対して、項颷はそういったグローバルな権力を反省するための起点として、「ファーストワンマイル」や「最初の500メートル」といった表現で付近の重要性を強調しています。一種の対抗戦略ですね。
したがって、付近という視野は人情あふれるものではなく、むしろ不愉快なものを見ようとします。それは「ラストワンマイル」のような互いの存在を意識せずに済むような安全で便利な世界ではなく、逆に自分の周りの世界がどれほど異質性に満ちていて、どれほど複雑な問題を孕んでいるのか、さらにどのようにより広い世界とつながっているのかに否応なく目を向けさせようとするものです。
そして、付近は常に変化しているうえ、自分も参加者として利益関係を持っているため、変化に敏感に反応し、そこに自分が参与できるような価値の創出に関わろうとするインセンティブを生み出します。
中国のゼロ・コロナ政策によって、コミュニティ(小区)は頻繁に封鎖されるようになったのですが、それは結果的に人々に強制的に付近の問題に目を向けさせ、その中で関係性を再建し、行動するように促したといえます。
去年11月の抗議はまさにそのような再建された付近という視野によって条件を整えられたのではないかと考えられます。そして、その付近に対する取り組みによって、人々より進んで、自分たちの権利とはなにか、良い生活とはなにか、自分がどのような価値を作り出せるか、ほかの集団とどのように連帯できるかといった大きな問題を改めて考えるようになったのではないでしょうか。付近とは、より広い世界を思考し、その可能性を想像するための足場となっているのです。
この足場となるような具体性と実行可能性こそ、趙の「天下システム」にはなかったものです。
とはいえ、この2つの対照的な思想は完全に対立しているわけではないように思います。というのも、項の付近理論もまたグローバル化によって生じた中国社会の変化と問題を研究の出発点にしているからであり、趙のアメリカの覇権的な政治や国際政治の問題に対する批判に項はほとんど同意すると思われるからです。
この二人の思想はスケールの差こそあれ、いずれもオルタナティブな普遍性を見出そうとすることの出発点に中国独自の経験を据えています。
趙は現在の政治哲学でほとんど論じられなくなった国家政治を超える可能性を真剣に模索しているし、項は個人、社会、国家といった基本的な分類や「知識人=エリートVS庶民」という対立から取りこぼれた「付近」や「郷紳的な知性」の可能性を見出そうとしています。
さらに、項颷は儒教的な「家-国-天下」という類推的なスケール超越の論理を参照して、郷紳的な付近の記述は、世界全体の理解につながると考えています。中心と辺縁のヒエラルキーではなく、「月照千湖」的な共同性が想定されています。
二人の思想はいずれも保守的な色彩が強いように見えるが、いわば自己と世界という二つの極点の間で揺れながらも、新しい可能性、もしくは解放を目指すものだといえます。
趙は国家という孤立した政治的主体を、関係的な理性に基づいたより大きな天下という政治主体へと開こうとしているし、項は自己という孤立した政治主体を、郷紳的な知性に基づいた、付近という自己を超えた視野に開こうとしています。いずれも関係的理性を評価しているといえます。
つまり、2000年代以降から現在にいたるまでの中国の思想は、世界の行き詰まりに対するオルタナティブを提供しようとする欲望によって特徴づけられるということです。それは政府の思惑に適合している場合は国家主義的なプロパガンダにも利用されうるものだが、彼らの思想の内容はむしろそれを否定するものとして読めます。日本で中国の保守的な思想を読むことの意義もまたここにあるのではないかと思っています。すなわち、その意図と文脈に抗って読むことで、その可能性をすくい取ることです。
後記
以上が当日の発表の内容になります。
実はここで取り上げている内容は私の専門ではなく、あくまで個人的な関心に基づいて書いたものです。だから、それほど論文にする必要性を感じておらず、業績ではなく、あくまで私が感じている困惑に取り組み、より広く議論できるようにするためのものです。というのも、新型コロナ流行以降の中国に対してのみならず、日本や世界そのものに対してどのように向き合ったらいいかという問いを突きつけられているように感じているからです。
そのため、私自身はかなり真剣に項の提起した「付近」の問題を受け止めていて、理論や思想の問題としてだけではなく、「実践」としてのその可能性を模索したいと考えるようになりました。現在は文字通り「付近」の人々と一緒にNPOを作り、コミュニティ中心の書店の経営に携わるようになったのも以上の問題意識に由来しています。うまくいく保証は全くないのですが、何か別の可能性につながることができればそれでいいと思っています。同時に、これも大学以外の場における「研究」の可能性を広げるものなのではないかとも考えています。