見出し画像

ナマケモノな私。

夫が亡くなり、家庭を立て直すため仕事を辞めました。そのとき社会との糸がプッツリ切れたような気持ちになりました。来月の給料が振り込まれないことは恐怖でした。納税することもなくなりました。そして社会から必要とされていない、自分が役立たず穀潰しであるのだと落ち込みました。

それでも子どもたちのフォローや大学に編入したり。断捨離をしたり、安い家賃の家に引っ越したり、家計を徹底的に見直したり、それなりに忙しくしていました。でも絶えず負い目を感じていました。

自分がナマケモノになったように思いました。

・・・

そんな生活も10年を超えると、本格的に社会復帰が難しくなりました。コロナ禍に看護師の求人がたくさんありましたが、咳喘息の身で人前に立つことは憚られました。大学院を修了し私が望みさえすれば仕事に就くことも可能だったと思いますが、あえて望みませんでした。

どうやら私は、本物のナマケモノになったようです。

それから縁があり相談室を手伝っています。月3、4回の相談室に出かけますが、あとは事務方の仕事をしています。無給ですが、マイペースでしていますし、少しは人の役に立っているような気がします。

しかしやっぱり私は無職引きこもりに分類されていて、ひとり親障害者の子どもとの2人暮らしです。それでも静かで穏やかな毎日を過ごしています。

群れから離れたナマケモノです。

・・・

元々インドア派で買い物と用事、図書館へ行く以外は外に出ません。最近、膝を痛めてから1日5,000歩を目標に散歩に出るようにしています。仕事は個人の裁量で自分が出来る範囲です。

もしかしたらナマケモノの生活を満喫するぐらいの悟りをえたのかもしれません。

私は20代、30代は血眼になり働き、勉強し、子育てをしていました。それからの有り余る時間をゆるゆると暮らしているなんて、やっぱり申し訳ない気持ちもあります。

これでいいのかな・・・

これを人生の夏休みと表現して良いのかは分かりませんが、いつかその時が来るまで、充電中ということにしときますが、すでに過充電ですね。

娘は「やなせたかしのブレイクは遅かったよ。」と言いますが、私には絵を描くような際立った芸はありませんし、そもそも成功したいとも思いません。

だだほんの少し誰かの役に立てればいいかなと思います。

息子がいない時間、今日も私は自由です。家と食べることができて、することが少しだけあって、つつましく息子と2人で暮らしています。身体はちょっとばかり虚弱だけど、まあそれなりに動けます。

でも昔のように頑張れない私はナマケモノです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?