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ひとつの人生の終わりと新たな人生の始まり・・・きょうもいろいろ考えている。

夫が急死することで、法律上の婚姻関係で縛られていた「夫」を手放しました。さらにあれだけ継続することに執着していた「仕事」を手放しました。これらは私の意図するものではありません。強制的に手放すことになったのです。だから「どうして私がこんな目に遭うのか」と悔しかったし悲しい出来事でした。      こうして当時41歳の私は、夫の事後処理と家庭の再構築を図るために「家庭」に入ることになったのです。

働いていた頃に比べて、膨大な時間があったので、雑事をこなしながら、いろいろなことを考えていました。                        「人は死んだらどうなるのか」「どうして私は資格もあるのに、働けなくなっのか」「夫が亡くなり障害者を抱える無職のひとり親家庭になってしまったからか、人からものすごく同情されるようになった」「家事が苦手だから、効率的なスキルを学ぼうと生活全般の見直しをしよう」                   あらゆる問いの答えを求めて図書館を徘徊して、これまで手にしたことののないありとあらゆる分野の本を読み漁っていました。

とくに家族社会学の山田昌弘先生の本をたくさん読んでいたので、友人の勧めもあり大学に編入して「どうして私がこのような境遇に陥ったのか」を解明しようと思いました。

実は大学に戻ることは、諦めていた夢でした。さらに友人から非常勤で看護の実習指導の仕事を依頼されました。かつて看護教員になることも諦めていました。海外での仕事にもトライできました。気がつくと図書館司書の資格を取るということ以外の、かつて諦めたことをほぼ実行していました。それ以外にもネットの仕事やSNSでの発信、いろいろな分野の人に出会い、いろいろなことを学ぶことを経験していました。

夫の死を経験して、人間は余りにもあっけなく死んでしまうことを目の当たりにしました。だからやりたいことを先送りにしていては、それまでに死んでしまうかもしれないことを知ったことが、私を行動に走らせた大きな動機でした。

その上で看護師としての仕事や、看護教員は性分に合わないことが分かりました。気づくまで20年以上続けてきたトロい私です。                大学で学ぶことは楽しくて、さらに大学院への進みました。          海外での仕事は無理でしたが、英語の必要性を感じて少しずつ勉強を始めました。いつか社会活動をしたいという希望は相談室のアドバイザーという形で関わることになりました。

振り返ると手放したこと以上のものを手にしていました。

でも昔ほど物事に執着はしていません。仲良くなった人もある時期がくると、違う道を進み別れて行くことがあります。それも「ご縁」の流れであろうと見送ります。 ダメなら違う方法を考えればいいやと思います。

押してもダメなら引いてみな、それでもダメなら辞めればいいじゃん 

いつのまにか私の「生き方」が大きく変化したようでした。夫が亡くなってからが、新たな私の人生の始まりだったようです。

気がつけば、50歳を過ぎました。今日もいろいろなことを考えています。そして目の前に積まれた課題に取り組みます。毎日の積み重ねが明日の私を創るのです。

さて今日も始まります。

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