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ひ孫はつらいよ。

不思議な話って好きだけど、オバケは怖いです。でも身内のオバケ、霊は悪さはしないし怖くはありません。仕方ないなぁと付き合っています。

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アメリカに移民に行った曽祖父の調査をしていますが、母から調査を依頼された日を確認したら、叔母(曽祖父の孫にあたる)の誕生日でした。こんなの単なる偶然です。

調査するために、短大時代の恩師を訪ねて、そこから歴史学の教授に紹介していただきました。その教授の先輩にあたるのが、私の亡き恩師でした。実は私は短大時代に近現代史ゼミで学んでいました。曽祖父の生きていた時代にドンピシャです。ツテがスルスルと繋がって行くのは、たまたまだよねと笑っていました。

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日本での調査はこれで終わりーと調査の終結宣言をして、2ヶ月まるまる曽祖父のことを忘れていました。娘が帰省し。元旦に集まる親戚に調査報告をすると大晦日からパソコンを操作しだしました。

「半年近く調査していたけど、ご褒美がもみじ饅頭なんて割に合わんわぁ。なんぼ無職でヒマやからって、なんで私やねん。しかも大晦日にこんな作業をしてるなんて〜」と娘にぶーぶーボヤいていました。

そんな私の隣で娘が、コツコツと資料の再確認していました。そしてあの曽祖父のネットの記事を見つ娘は絶句しました。まさかの大発見に、この部屋に曽祖父がいるような気がしました。この狭い部屋にですよ!人口密度高すぎです。

「やばいボヤキを聞かれた!!」

まったく怖くはありません。しかし一番伝えたかった、遺品のエピソードを伝えたかったのでしょう。でもポンコツひ孫の私が見つけられないと、歯軋りしていたようです。だから玄孫の娘に託したのでしょうね。

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アメリカのライターから1枚の画像が届きました。「この写真は誰だか分かりますか?」

それは着物を着た日本人の女の人が赤ちゃんを抱いている白黒写真でした。保存状態も良いので、大切に保管されていたようです。写真の女の人の目元が、私の母にそっくりでした。

「ひいばあちゃんだわ。」

母に伝え、祖母の出来るだけ若い写真を探し出してくれました。女の人と祖母は瓜二つでした。ついでに母の写真を並べると瓜三つになりました。

曽祖父がニヤリと笑ったような気がしました。

曽祖父は曽祖母と日本とアメリカに別れ別れになったけれど、決して憎しみあっていたわけではないようです。それに曽祖父は伝えたいことがたくさんあるようです。知らんけど。それにしても長いこと、この機会を待っていたようです。

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曽祖父の知られざるエピソードを発掘して以来、アメリカのライターを通じて、家族とコンタクトをとっています。

おかげで私は毎日のようにアメリカからのメールを受け取り、家系図を整理したり、写真のやり取りをしています。慣れない英語に四苦八苦していますが、これも全て曽祖父の意志の現れだと思い対応しています。

曽祖父は長い間パシリをさせる子孫を待っていたのでしょうね。そこへちょうど無職のヒマ人で、歴史学をかじっていてツテのある、うってつけの私はまさに「飛んで火に入る夏の虫」です。

なんか知らんが、この流れには逆らえそうにはありません。なんせ曽祖父はあの世の人。文句を行っても仕方ないのです。

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そういえば、曽祖父の娘である、私の祖母は生前から「なにもしてくれなくていいよ。時々思い出してね。」と繰り返し言っていました。

ということで半年前まで、思い出すことはおろか名前すら知らなかった曽祖父のことを、日本とアメリカの一族が熱く語り合い盛り上がっているのです。これこそが一番の供養ではないでしょうか。

それにしても曽祖父は私をこき使います。毎日のようにアメリカからメールが届きます。今日もアメリカへメールを1通送信し、日本の親族へ経過報告を送信していました。

あゝひ孫はつらいよ。


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