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いちごジャムか、ブルーベリージャムか・・・いつも選んで生きてきた。

母からの依頼で、ファミリーヒストリーについて調査を進めています。明治、大正、昭和を生きてきた曽祖父の人生と歴史的事実を比較してみると、「なぜこの時に、ハワイに行ったのだろう」「どうしてこの情勢でカリフォルニアに移動したのだろう」といろいろと考えます。

でもそれは私が歴史の教科書で、このあと世界大戦があることや、日系人が収容所に入れられることを知っているからです。でもその時の曽祖父は、その時々で情勢を考え行き先を選択してきたはずです。当然そんな人生の結末になるとは思いもしなかったでしょう。

実のところ、今を生きる私も、日常生活で、今日はあっちのスーパーに行こうか、向こうのスーパーへ行こうかと、ほんの少しだけど悩んで、行く先のスーパーを選んでいるのです。そのような些細な選択を積み重ねて、「運良く」生きてきたのです。

例えば、右に曲がれば、暴走した高齢ドライバーの車が突っ込んできたかもしれません。たまたま左に曲がったから、いつも通りの日常を過ごしてきただけ、つまり「運良く」生かされていただけだと思うのです。               かと言って右に曲がって痛い目にあっても、それが最悪の結果を招くとは限らない。だから「災い転じて福となす」ということわざもあるのでしょう。     結局のところそれぞれ違う人生を開くことになるだけなのです。

「じゃあ私は誰に生かされたの?」                     知らんけど・・・でもここまで生きてこれたことは、自分の力で生き抜いてこれたとは思えない。

「とどのつまり右に選んでも、左を選んでも、どちらも運が良かったと思えたら、それが一番じゃないかな。ああ能天気。」

こんなことを考えていたら、スーパーで、いちごジャムかブルーベリージャムにするかで悩んで買えませんでした。でもいいわ、生命に関わる選択じゃないことを感謝します。

「誰に感謝するの?」                           知らんけど・・・とにかく神まさま仏様、八百万の神様、すべてのものに。

曽祖父のような動乱の時代を生きているわけでないけど、今、私が生きている時代も後世の教科書には、異常気象、火山の噴火、戦争諸々の動乱の時代と書き記されているかもしれません。曽祖父の生きた時代もそうだったのでないかな。気がついたら、時代のうねりの渦に巻き込まれていた・・・ちょっと怖いなぁ。そんなことを感じながら、記しています。

「今度買い物に行ったら、いちごジャムを買おう。」笑えるぐらい小さな選択を心に誓ってみた。


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