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母のボヤキとデスノート

副反応
昨日、4回目のワクチン接種をしましたが、高熱にはならず、腕の痛みも消えました。多少の倦怠感はありますが、まずまずの体調です。おそらく今までの副反応で一番軽い症状でした。

実はワクチン接種に母が同行していました。どうしても私に聞いてほしい話があるようで、接種についてきました。この年で注射に親が付き添うという構図は、いささか恥ずかしいかったです。

ワクチン接種会場
母はかかりつけ医で、ワクチン接種をしているので、大規模接種会場は初めてで、物珍しそうに、きょろきょろしていましたが、経過観察席で、自衛隊音楽隊のDVDを見て楽しそうに眺めていました。

実のところ母の人生においては、自衛隊は、とても相性が悪いと言います。若い頃自衛隊の看護師養成所の受験をしましたが、不合格だったそうです。その後、自衛官とお見合いをしたが、これも先方から断りそされたとか。以来、トラウマになったようで「私は自衛隊には縁がない・・・」と言っていました。しかし音楽隊の演奏に長年の頑なな心が、氷塊したようでした。

北浜サロン
母が「めったに都会に来ることがない。」と言うので、接種会場の近くにある、五感の北浜サロンに案内しました。レトロビルのお菓子屋さんの2階のティールームです。店内の大きなオーブンからお菓子の焼ける香りが漂っています。いつもこの店に立ち寄るたびに、お菓子の焼ける幸せな香りで胸がいっぱいになるのです。そこで母の話をゆっくり聴きました。

母の話すことは・・・
①父 ②義理兄 ②義兄嫁についてでした。わがままな人たちで、その身勝手な言動により、時に人を傷つけます。「血は水よりも濃い」と母はつぶやいていました。

母は、もともとお年寄りと子どもが大好きで、看護師として病院ので働いてきました。そんな母がこんな身近な人間関係で疲弊しているのが可哀想でした。

舅との約束
母はまだ父と付き合っている時のことです。夏休みで実家に帰省しようと思っていましたが、その時、胃がんの末期の父の父(つまり私の祖父)から、「いて欲しい」と言われたそうです。だから帰省を取りやめて、病床に付き添っていました。ある時、祖父から「〇〇(父)は貧乏人の坊ちゃんだから、頼みます。」と父のことをくれぐれもと頼まれたそうです。

夏休みも終わろうとしたある日、母は「明日、休暇が終わるのです。」と祖父に伝えました。すると「そうですか、窓を開けてください。」と祖父が言い、
窓をあけるとすぐに息を引き取ったそうです。魂が出ていったのでしょう。

この話は私が子どもの頃に何度か聞いた話です。最近、聞き直してみましたが、母は忘れてしまっているようでした。

それから母は祖父と約束をしたから、父を大事にしなくちゃならんと、生きてきました。子どもから見て、甘やかしすぎのように見えるほど、母な父に気を使い、小遣いを与え、自分の退職金で父に車を買っていました。老いてもなお同じように父に気を遣っています。

実母との約束
母は結婚する時に、田舎の実母から「自分の親のように、夫の親を大切にしなさい。」と言われたそうで、その約束を守っていました。

姑(私の祖母)から「年上(母は1歳年上)で実家が遠い、しかも仕事をしている嫁なんて、もらうもんじゃない。」と随分やられたそうです。ストレスで倒れても頑張ったそうです。

そんな姑が亡くなった時に、死後の処置に看護師さんと一緒に行ったそうです。
「看護技術の集大成!」と自分で言うぐらい、長時間に渡りベッドサイドで姑の顔のマッサージを行い、みごとな若々しい死に顔にしていました。

母はもう十分、
2人の約束は果たしているのではないでしょうか。

これから
母は誕生日がくると81歳になります。15人きょうだい(成人したのは9人)の末っ子の母は、生まれた時から両親ときょうだいの最後を見とるのは私の役目だと思っていたそうです。

きょうだいが入院するたびに、広島県の病院を訪ね、髭剃り、爪切り、足浴などをして、できる限りのケアをしてきました。一番仲が良かった姉さんは、最後は大阪に呼び寄せ、最後まで見取りました。母は、その遺言を執行し、大阪の寺で供養を続けています。そのきょうだいは、2人の兄と母だけになりました。人にはその役割というものがあるのではないかと思わせるのが母の人生です。

そんな母がいまだ父や婚家の人たちに振り回されているのです。でも母は「運」があります。なんとか看護部長ととして定年退職しましたが、在職中、母にきついことをしていた総婦長や同僚たちの、その後が恐ろしいことになっていました。

母は密かにデスノートを持っているのではないかと、夫が恐れていました。
(←あんたの名前も書かれていたのではないか!?)
実際、母は長年、日記をつけていますが、そこに何が書いてあるのかは分かりません・・・

そうです。人生の結末はまだまだ分からないのです。母の物語には続きがあります。楽しいオチになるかもしれません。いま1度、母の話に付き合っていこうと思います。



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