「50の恵み」と「似合う服がなくなる頃」
50歳が近くなってきた時、無性に歳を取ることが怖くてたまらない気持ちを抱えていました。ドラックストアのコーナーで立ち止まると沢口靖子がニッコリ微笑みながら、「もうすぐ50歳のあなたには『50の恵み』ですよ💖」と差し出されているように感じます。
「沢口靖子さんだから正視に耐えられるのですよ。私など一般人には、とんでもございません。」と気の弱い私は足早に立ち去りました。
少し年上の人に話すと「そんな時もあったけど、50を越えると、なんだか楽になるよ。」とカラカラと笑います。いよいよカウントダウンが始まった49歳の私は、そんな心境になるなんて信じられないと心の中で悶絶していました。私にとって人生の折り返し「50歳」の峠は思うより険しい道のりでした。
そんな私の悩みに拍車をかけたののが、持ってる洋服がことごとく似合わなくなってきたことでした。可愛すぎる。裾が短い、顔写りが悪い・・・つい最近まで着ていた洋服が、見るに耐えないくなり次々と袖を通せなくなっていきました。思い切って全ての洋服を仕分けし、その多くを処分しました。
そんなことをしてみても似合うスタイルが見いだせないし、洋服を探すのも疲れるので、いっそのこと白と黒で制服化してしまおうと決めました。「そうだ私はジョブズになるのだ。シンプルなスタイルでいいのだ。」と黒のトップスとデニムまたは黒のスカートが基本スタイルにしました。
時々、娘が「もういらない。」と置いていったストールを身に付けたり、母が「ウェストがキツくなったからあげる。」というスカートを引き取り、似合えばそのまま着たり、時に友人からも「飽きたからあげる」と頂くこともあり、私が選びそうにない洋服がやってきます。それでもそれなりに落ち着くなら、鏡の前で「まあいいや」となっていました。いつの間にか50歳のラインを超えたことも忘れていました。
「何を着ても自分がご機嫌ならOK!」思える今は、かつての私より明らかに生きることが楽になっています。これが50歳の気楽さだったのです。長い間、自分自身を縛り続けてきた「こうでなければならない」がなくなっていました。開き直った50歳という年代は、悪くありません。いやこれまでで一番居心地のいい年代かもしれません。
鏡の中では「50の恵み」よりもハトムギ化粧水とニベアは質もコスパ最高!!うししと笑う50歳オーバーの私がいました。