見出し画像

導きのすごろく-新島襄か法螺貝か-

先日、同志社大学のキャンパスの建物を見物してきましたが、わたしはこの学校に正面から入れるほどの学力はありませんでした。しかしこの学校とは何かとご縁があるようです。

南禅寺の奥山で
その昔、わたしは息子と南禅寺を訪ねました。南禅寺の水路閣を見物するためです。「ルパン三世カリオストロの城」のローマ水道に似ていること、2時間ドラマでよくロケに使われる場所だからです。

思ったより喜ばない息子と水路閣あたりを散策していました。するとぶぉーという地に響くような不思議な音が山の奥から聞こえてきます。なんの音か好奇心がうずうずしてわたしは息子をひきずり音の鳴る方向へ歩いて行きました。

この段階の推理は、吹奏楽部の自主練で、チューバかスーザホーンあたりかと考えました。

坂のうえには、法螺貝の練習をしている人たちがいました。みなさん法螺貝をカラーのネットに入れて抱えるように固定をし吹いていました。まさかの南禅寺の奥山なので、この人たちはタヌキかキツネの集団ではないのかと我が目を疑いました。

すると法螺貝おじさんの一人が、街中では、うるさいと苦情がくるので、このような山の中で法螺貝を吹く練習をしているのだと教えてくれました。

そのおじさんは「この山の上には、新島襄の墓があるんですよ。連れて行ってあげましょう。」と法螺貝を片手に山の上へと先導して行ってくれました。ちょうどその頃、大河ドラマ「八重の桜」が放送されていましたが、わたしは1度も見たことはありませんでした。

険しい山をおじさんはずんずん登っていきます。予想もしていない山登りと、普段からの運動不足で、わたしはこの先どうなるか不安になりました。道の分かれ道で、「こっちに行けば墓がありますよ、ではわたしはここで!」と法螺貝のおじさんは消えていきました。

法螺貝おじさんがタヌキなら、わたしと息子は確実に遭難している・・・

そもそも墓になんか興味もないし、ドラマも見てないし、同志社大学に入れる頭もないわたしです。しかしここまで来たら道を進むしかないので、山道を進んで行きました。

すると同志社大学の墓地がありました。南禅寺の裏山の、墓参りには険しすぎる山の中です。当時のクリスチャンはこのような墓地に葬るしかなかったのかな・・・そんなことを想像して手を合わせてきました。

見れば外国の方のお墓もありました。宣教師や学校の先生たちでしょうか。遠い異国からキリスト教や教育を教えに来てくれたのです。有り難いことですと、再度手を合わせました。

その後、娘の代理でオープンキャンパスで京田辺キャンパスに出向いたり、わたしの好きなフルーツサンドのお店フリーツパーラーヤオイソが今出川キャンパスのすぐ近くにあったり、気なっていたチーズケーキのパパジョンズもありました。

先日、同志社大学今出川キャンパスを見物した時に、すばらしい建築物がたくさありました。その建築物を設計したダニエル・クロスビー・グリーンも、あの墓地に埋葬されていることを今朝、知りました。

彼が残した建築物は、なにも知らないわたしに感動を与えてくれていたのです。あの墓地に行った頃には、同志社大学に足を運ぶなど夢にも思っていませんでしたが、何年もかかって、すごろくの目が進むように徐々に同志社大学にじわじわと近づいていったのです。

あの法螺貝おじさんは導きの天使だったのかもしれません・・・まさかね、知らんけど。それとも新島襄さんにおいでおいでされたのかな・・・ご縁を信じて、そのうちこちらにお邪魔してみたいと思います。

ではまたねー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?