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「あの子」と、わたしの後悔

本を読み続けて、「発達障害」の概要を知ることができました。もっと早くに知っていたら、もう少し配慮ができたかもしれない・・・まだ「発達障害」が世間に認知されていない頃の思い出が蘇りました。

「通信制大学生のころ」

私は40代で通信制大学に編入しました。普段は自宅学習なので、スクーリングや集中講義に参加する機会は、学生同士の交流の場です。社会人の年齢構成は幅広く、20代から70代ぐらいまでの学生がいました。学生同士の貴重な時間なので、休憩時間を利用して、勉強や試験の情報交換をして過ごしました。講義で一緒になる人と、連絡先を交換して、積極的に話しかけていきました。

その中で、「あの子」とは、何度か同じ講義になりました。グループディスカッションで司会をしたときに、テーマとまったく違う話を始めたり、軌道修正するのに四苦八苦しました。どうも話が噛み合いません。他の講義でも、そのような場面がありました。「あの子」とは、懇親会ではつまらないことで、喧嘩になりかけました。思えば、あの子はいつもひとりでした。しかし社会人がほとんどなので、「あの子」ひとりであることが特別なことでないと思っていました。

「あの子」は、そのように目立っていた学生なので、顔は知れ渡っていたようです。誰も名前が出てこないのです。今も思い出せないのです。いつも「あの子」で会話が通じていました。その後「あの子」は学生同士だけでなく、教員ともトラブルを起こしたと噂が流れてきました。

学生は、日本中からスクーリングに来ますが、普段は子どもがいて勉強ができないからと、ホテルで勉強したり、レポートの提出があるからと、遊ぶ時間もない人もいました。私も御多分に洩れず、自分の勉強で必死でした。自分で困っていると、言い出さない人は、多くの学生の中で埋没していたのだと思います。

「あの子」のその後

私が卒業し、しばらくしてから「あの子」が退学したと聞きました。なんだか棘が刺さったような気持ちになっていました。

ある日、心理学を学んだことがある友人に、「あの子」の話ました。すると、「あのさ、発達障害に当てはまらないかい。」と指摘されました。
言われてみると、いくつか思い当たる「あの子」の行動や言動が思い出されました。
「なぜ気が付かなかったのだろうか・・・」
看護師の資格があり、息子は知的障害者なのに、身近な人に配慮ができていなかったのです。自分の情けなさに大きなショックを受けました。

別の友だちから「偶然、バスで一緒になって話をしたことがあったんだけど、「あの子」ね、小さい子どもを抱えて大学に来ていたんだよ。」と
聞かされました。私は言葉を失いました。
「あの子もさ、貴野と話をしていたら、また人生が違ったものになってたかもしれないね。」

私は、そんな人間じゃないんだよ。正面からしか人を見れてなかったんだ。どうして一呼吸おいて、「あの子」の発言を考えられなかったのか。自分の心の余裕の無さを悔いました。

「でもね学生のときは、みんな必死だから仕方なかったんだよ。歳をとった社会人学生も、レポート課題を抱えた学生なんだから、余裕がないのは、仕方なかったんだよ。」
友だちが慰めてくれました。

「これからのわたし」

そんな苦い経験を持つ私でしたが、やっと「発達障害」の本を読み学ぶことができました。これは身近な人が「発達障害」で悩んでいると知ったからです。そのうち彼女をお茶に誘おうと思います。いろんな話をしてみたいです。

でもあの頃の私のように、それぞれの余裕のなさが「不寛容な社会」の空気を生み出しているのだと思います。誰も悪くはないのです。それでも「発達障害」ということが世間で知られるようになったことは、悪いことではないと思います。

誰に対してもイラっとすることがあっても、まず一呼吸おいて、この人の態度の理由を考えるように心がける努力します。むかしの私と違う私に変わりたいのです。これは修行です。いつも「あの子」のことを思い出しながら。


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